プロレス解体新書 ROUND18 〈ライバル闘争の裏事情〉 長州力vs藤波辰巳“名勝負数え歌”

 新日本プロレスで中堅の座に甘んじていた長州力が、スター街道を走る藤波辰巳(現・辰爾)に牙をむいた下剋上。パワーの長州と技の藤波、異なる個性が絡み合う両者の対戦は、さまざまなドラマを内包した“名勝負数え歌”として、黄金期の新日マットを彩った。

 かの有名な“噛ませ犬発言”の印象もあって、ブレイク前の長州力は何か冷や飯を食わされていたと記憶するファンもいるようだが、事実は異なっている。
 そもそも長州は、日本レスリング界の父・八田一朗の肝入りで新日入りした超有望株。同じミュンヘン五輪に出場した全日本プロレスのジャンボ鶴田の向こうを張って、次期エース候補と見る向きは強かった。
 デビュー戦からオリジナル技のサソリ固めをフィニッシャーに使い、リングネームも一応は一般公募としながらも、会社側が力道山から一文字をとった「力」の名をあらかじめ用意していたという、まさに破格のデビューだった。

 テレビ中継への登場回数も多く、これには同世代の藤波辰巳や木村健悟が嫉妬したとの話もあるほど。ちなみに藤波は長州よりも二つ年下だが、デビューは3年も早い先輩である。その立場が逆転するのは1978年1月23日、藤波が米ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンでWWWFジュニアヘビー級王座を奪取し、ドラゴンブームが起こってからだった。
 一方の長州もNWA北米タッグ選手権を戴冠したが、これはあくまでも坂口征二が主体のもの。
 「爽やかなルックスで女性ファンをつかんだ藤波に対し、パンチパーマにずんぐりとした体形の長州は見栄えで劣り、人気面ですっかり水を開けられてしまった」(プロレス記者)

 '78年から始まったMSGリーグ戦でも藤波は猪木、坂口に次ぐ日本人3位が指定席であったのに比べ、長州は下位低迷するばかり。五輪代表の経歴から強さで勝負しようにも、その五輪が韓国代表としての出場とあっては、日本のファンにアピールしづらいという側面もあった。
 藤波がWWF王者のボブ・バックランドやハルク・ホーガンらのトップどころと好勝負を繰り広げて、ヘビー級転身へのキャリアアップを順調に進める中、長州は初来日のローラン・ボックにわずか3分で敗れるなど、中堅レスラーの座に甘んじていた。
 '82年のメキシコ遠征も選手としての格上げが目的ではなく、国際運転免許を取るためというリング外の理由によるもの。この時、長州は“このままくすぶっているぐらいなら…”と思いつめ、ついには日本へ引退の意思を伝えるまでに至ったという。

 しかし、このSOSが転機となる。
 「会社としては、エース候補として入団させた長州をこのまま腐らせるわけにはいかない。そこで持ち上がったのが、藤波との日本人対決だったのです」(同)

 藤波も長州もヘビー級としては体が小さく、無理に大型選手と戦わせるより良策との判断だったが、この読みがズバリ当たる。
 '82年10月8日、後楽園ホールのシリーズ開幕戦で長州の造反劇が始まり、22日の広島で最初のシングル対決を迎えると、互いに感情むき出しの好勝負を展開。結果はノーコンテストではあったが、ジュニア仕込みのスピードと切れのいいパワーファイトという互いの異なる個性が絶妙に噛み合い、これまでにないハイスパート・レスリングを生み出した。
 両者の闘いは回を重ねるたびに練度が上がり、いつしか“名勝負数え歌”とまで呼ばれるまでになった。そんな闘い模様の最初のクライマックスは、'83年4月3日、蔵前国技館において長州が藤波からWWFインターナショナル王座を奪取し、「俺の人生にだって一度ぐらい幸せなことがあってもいいじゃないか」とつぶやいた場面になろうか。

 くすぶりから一念発起した長州が、スター街道をひた走る藤波を倒したことは、プロレス史に残る下剋上として、多くのファンの支持を受けた。
 実際には、エリートの長州が叩き上げの藤波を倒して、元の位置に戻ったに過ぎなかったのだが、これによって遅まきながら長州人気が爆発する。

 抗争の第2章は、同年夏、藤波のリベンジだった。先の敗戦後に、藤波は失意の海外遠征を経て帰国。第1回IWGP決勝で失神敗退した猪木が欠場するシリーズで、エースの座を任された藤波だが、それはあくまでも仮の措置というのが大方の認識であり、一方の長州はすでに革命軍(のちに維新軍)として確固たる地位を築きつつあった。
 そんな中での7月7日、大阪府立体育館の対戦で、藤波は長州にサソリ固めを仕掛けた。実況の古舘伊知郎が絶叫した“掟破りの逆サソリ”だった。ロープブレークを無視して技をかけ続け、反則負けにはなったものの藤波の“団体を守るためのなりふり構わぬ姿”は、ファンに好感をもって受け入れられた。
 続く8月4日、蔵前国技館の対戦では、リングアウトながら藤波が勝利してタイトルを奪還。これまで長州コール一色だった客席からは、徐々に藤波コールも復活し始めた。

 珠玉のライバル闘争にファンの期待は高まる一方であったが、それから半年後の'84年2月3日、札幌中島体育センターにおいて藤原喜明が長州を襲撃する“テロ事件”が勃発。さらには長州が全日移籍となり、両者の抗争はファンの望まぬ形でいったん終止符を打つことになった。

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