「プロレス解体新書」特別編2 藤波辰爾が語る 俺の名勝負!

 ドラゴン殺法のジュニア時代から長州力との名勝負数え唄、UWFや外国人勢との闘いなど、数々の名勝負を残してきた藤波辰爾。そんな中から自身がベストバウトとして選んだのは、1988年8月8日、横浜文化体育館で行われたアントニオ猪木との一戦、60分フルタイムを闘い抜いた師弟対決だ!

 僕がベストバウトを選ばせてもらうとなれば、やっぱり猪木さんとの8・8です。この試合に先立って、僕の持つIWGPのベルトへの挑戦権を懸けた決定戦があったけれど、周りのムードからしても猪木さんが勝ち上がってくるものだと準備はしていました。
 だから当日は無心で闘いに臨めたけれど、今になって思うとやっぱり夢の世界ですよね。猪木さんの待つリングに僕が後から上がって行くなんて、まずあり得ないことですから。
 弟子である僕をリングで待つというのも、またすごいことですよ。あの人は本当に捨てるものがないというか、いざとなったら何でもやってしまうんです。あれだけプライドの高い人だから、普通はそういう試合を組まれてもまず出てこない。でも、あのときは身をもってすべてのものをさらけ出した。そこが猪木さんの底力なんでしょうね。

 この試合より前、'85年にはタッグマッチで猪木さんからフォールを取っていますが、それで猪木越えを果たしたという気持ちはなかったですね。そもそも僕の場合は、新日本プロレスの立ち上げからずっと猪木さんと一緒にいるわけでしょ。だから、猪木さんとの闘いに100%の気持ちを向けられないんです。どこかで「会社のためにも猪木さんを支えていかなきゃ」って部分がある。
 でも、ファンの期待に応えるために、自分の殻を破って猪木さんを越えなきゃいけない、という部分も当然あるんですよ。その意味で8・8は猪木越えの最大のチャンスだったわけですが、あのときは自分の中で気持ちがすごく楽だったんですね。それまでの闘いはいろいろと考えが交錯する中でやってきたけど、あのときは素直に「よし、自分の気持ちをそのままぶつけられる!」と、猪木さんが相手でもプレッシャーを感じなかった。

 試合になっても不思議と時間がたつほどにアドレナリンが出て、あの60分は気持ちがよくて「時間よ止まれ」って思ったぐらいでした。試合の序盤でジャイアントスイングを仕掛けたんですけど、それまでやったことがない技ですよ。猪木さんが跳んできたときに自分がその脚を抱えて、たまたま体勢に入ったから振り回しただけです。本当に成り行きで、本能のまま闘っていたんですよね。
 あと、改めて思うのが猪木さんのすごさですよ。あのとき45歳、それもいろんな障害というか負担を抱えている中で、60分間の最後まで闘志や動きが衰えることがなかったですから。猪木さん自身も引退を間近にして、きっと心のどこかで「選手として燃え尽きたい」「出し切りたい」というものがあったと思うんですよね。だから僕が感じるに、あのときは猪木さんが最後に燃え尽きた試合だったと思います。

 試合の前には猪木さんが“負けたら引退”という報道があって、ファンもこの試合が大きな山場になると感じていたのでしょう。猪木さんへの声援もすごかったし、あとで映像を見たら、テレビカメラが会場の絵をずっと追っていくときに、お客さんたちの悲壮観まで伝わってくる。あれじゃあ、もし僕が勝っていたら暴動が起きてましたよ。
 今から思えば、引き分けというのは一番いい結果だったじゃないかな。勝っていたら僕の時代が来るんじゃなくて、新日本のファンはきっとさめていたでしょう。試合が終わったときは気持ちよかったっていうか、やっぱり自分の中でいろんなものがすっきりしました。
 もちろん勝ちたかったというのはあるけれど、それでも猪木さん相手にIWGP王座を防衛できた。翌年の腰の故障がなければね、僕なりのエース像というのが確立できたのではないかと思います。でも、それが人生、うまくいかないもんですよ。だから8・8で、本来あるべきプロレスの試合ができたことは、本当によかったと思います。

 この試合について猪木さんと話したことは、いまだにありません。まあ、レスラーっていうのは「あのときの試合はこうだった」とか「あのときの技は」なんて、あんまり振り返らないものですよ。長州(力)や前田(日明)ともそうです。だって僕から「猪木さん、あのときの試合はどうだったですか?」なんて聞けます? 聞けないですよ(笑)。

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