プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「ボブ・バックランド」日本ではライバル不在だった“MSGの若き帝王”

ブルーノ・サンマルチノから“MSGの帝王”の座を受け継いだボブ・バックランドは、70年代後半から80年代にかけて、怪物ぞろいのWWFマットでその王座を守り続けた。

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 1976年のスタン・ハンセン戦で首に爆弾を抱えたブルーノ・サンマルチノは、年齢的にも長く頂点にはいられない状態であった。次世代のWWWF(1979年に団体名をWWFに改称。2002年に再び改称して現在はWWE)を誰に任せるべきか頭を悩ませていたビンス・マクマホン・シニア(WWWF創業者で、現在のWWE最高経営責任者ビンス・マクマホンの実父)の耳に届いたのが、当時、NWAの主要なテリトリーにおいて実績を重ねていたボブ・バックランドの名前だった。

 アメリカ大学選手権で優勝しているように、レスリングの技術は折り紙付き。技術だけでなくパワーも備えている。顔立ちも整っており、上流階級のお坊ちゃんのような品のよさがどこか感じられる。そして、何よりもバカが付くほど真面目な性格で、レスラー仲間や関係者からの評判はすこぶる良好だった。

 それまでのWWWFは、イタリア系のサンマルチノやプエルトリコ系のペドロ・モラレスを王者とすることで、特定の観客層を集めるビジネスモデルを指向していた。しかし、バックランドならば、アメリカ人全体から支持を受ける王者になれる。そう踏んだビンスは新時代を託すことを決断し、1978年2月、スーパースター・ビリー・グラハムを破ったバックランドが新王座に就いた。

 「ルー・テーズ以来のプロレス界を統一する絶対的な王者になれる逸材」

 そんな触れ込みで売り出されたバックランドは、実際にアメリカマットにおいて、NWA王者のハリー・レイスやリック・フレアー、AWA王者のニック・ボックウィンクルらと統一戦を行っている(結果はいずれも引き分け、もしくは反則裁定でタイトル移動はなかった)。

 本来はテクニシャンでありながら、ニューヨークのファンの好みに合わせてパワーファイトを展開。いかにも優等生的な見た目とは裏腹に、反則裁定なしのテキサス・デスマッチや金網デスマッチなど、ラフな形式の試合にも真っ向から挑んでいった。

 そうして“若き帝王”バックランドは、5年10カ月にわたりメインイベントを張り続けることになる。途中、’79年には日本においてアントニオ猪木がタイトル奪取しているものの、これは正式に認められておらず、記録上ではずっとバックランドがタイトルを守り続けたことになっている。

 1984年からのWWFによる全米侵攻では、「派手で分かりやすいアイコン」ということでハルク・ホーガンが抜擢されることになったが、そもそも世界戦略という大勝負に打って出る基盤をつくり上げたのが、誰あろうバックランドだったのだ。

 こうして見ればバックランドが、歴代レスラーの中でもトップクラスの名王者であったことに疑いの余地はない。

 藤波辰爾戦での★謎の3カウント

 ただ、日本においてはどうだったか。レイスやフレアー、ニックと比べたときに、バックランドを「一枚格が落ちる」と見るファンも多いだろう。

 「全盛期のほとんどを王者としてすごし、アメリカでのスケジュールが過密で来日回数が少なかった。その影響もあるのでは?」(プロレスライター)

 バックランドの日本での名勝負といえば、1978年〜1979年にかけての猪木戦が挙げられようが、それ以降になると王者としての貫禄を示すような試合はほとんどない。

 目立つところでも、猪木のパートナーを務めたMSGタッグ・リーグ戦や、藤波辰爾戦における謎のフォール勝ち(グラウンドの流れの中で、なぜかレフェリーの山本小鉄が3カウントを数えてしまい、勝ったバックランドまでもがこの裁定に抗議している)ぐらいである。

 「レイスたちと違って典型的なベビーフェイスだから、単にきれいな試合に終わってしまうところはありました。また、猪木としては年齢やキャリアでは自分が上という意識から、ライバルとは認めたくなかっただろうし、同年代の藤波はジュニアからヘビーに格上げしたばかりで、WWF王者とはそもそものランクが違っていた。そういう意味でライバル不在でした」(同)

 猪木がWWF王座を奪取したとされる試合以降、タイガー・ジェット・シンとの対戦などではラフファイトへの対応力もしっかりと披露しており、こういう試合がもっと多くあればその評価も異なっていただろう。

 いかなる逸材であっても、相手に恵まれなければ光り輝くことはない。日本におけるバックランドの在り方は、そんなプロレスならではの難しさ、複雑さを改めて教えてくれる。

ボブ・バックランド
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PROFILE●1950年8月14日生まれ。アメリカ合衆国ミネソタ州出身。身長190㎝、体重115㎏。

文・脇本深八(元スポーツ紙記者)

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