一度は使ってみたいプロレスの言霊 発言者・ジャンボ鶴田 「全日本プロレスに就職します」

80年代中盤以降、全日本プロレスの絶対的エースとして君臨し、今なお「歴代最強日本人レスラー」とも称されるジャンボ鶴田。

 しかし、デビュー当初には「やる気や闘志が感じられない」など批判的な声も多く、これは入団会見での印象的な発言に起因するものであった。

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 ジャンボ鶴田(当時は本名の鶴田友美)が全日本プロレス入団会見に臨んで発した言葉は、「僕のように体のでっかい人間が就職するには、全日本プロレスが一番適した会社かなぁと思って、尊敬する馬場さんの会社を選びました」というもの。これが報道の際には「全日本プロレスに就職します」と簡略化され、世に広まってしまった。

 実際のコメントがどこか謙遜気味であるのに比べて、後者のほうは“就職”の部分が強調されたような印象があり、一部ファンからは「就職って、サラリーマンじゃあるまいし」「プロレスはもっと厳しい世界だ」などと反感を招くことにもなった。

★悲壮な決意とは無縁の入団会見

 ただし、鶴田に就職の意識があったのも確かで、五輪代表となったアマレスからして「オリンピックに出たいがために、重量級の選手層が薄いこの競技を選んだ」のであって、特にプロレスへの思い入れがあったわけではない。

 力道山が亡くなったのは鶴田が12歳の頃で、その全盛期の記憶は薄く、ジャイアント馬場とアントニオ猪木のBI砲が人気だった当時も、高校でバスケットボールに打ち込んでいたため、馬場からスカウトされて初めてプロレス界入りを具体的に考えたというのが実際であった。

 鶴田がアマレスを選んだ経緯を見ても、実利的かつ合理的な思考をするタイプであり、プロレスに対する世間の偏見もあって当初は入団を相当迷ったという。

 また、当時の中央大学法学部(文系私大では偏差値上位)を卒業しているように、鶴田は学歴においても優れており、本人が望めば元五輪代表の肩書もあって、一般企業から引く手あまたであったに違いない。

 しかし、スカウトを受けた後に父親が亡くなったことで「自分で稼がなければならない」という意識が高まり、また、当時の日本レスリング協会の八田一朗会長は、プロレスへの理解が深く、鶴田の全日入団を強く勧めたことがプロレス入りへの後押しとなった。ちなみに八田会長は、鶴田と同学年だった長州力の新日本プロレス入りにも関わっている。

 中学時代には見学に行っただけのつもりだった相撲部屋で、なぜか新弟子検査に合格してしまい(親族の働きかけで合格を取り消し)、高校から始めたバスケットボールではインターハイに出場。そして大学からレスリングを始めれば、わずか1年あまりでグレコローマン、フリーともに全日本選手権2連覇という、まさに才能の塊。常に成功体験に恵まれてきた鶴田にしてみれば、プロレス入りにおいても悲壮な決意など一切なかったであろう。

 それゆえにサラリーマン気分というよりも、「就職先として考えたときにプロレス界が一番稼げそう」との意識はおそらくあったはずで、それが会見での就職という言葉につながったのかもしれない。

★いまだ謎が多いクーデター事件

 入団からしばらくは大物相手に好勝負をしながらも勝ちきれないことで、ファンからは“善戦マン”などとも揶揄されたが、これも鶴田に“仕事”という意識が強かったために「社員の自分は社長の馬場に従うのが当然」と、与えられた役割を素直にこなしていたことが原因であった。

 そんな鶴田にとって唯一、若気の至りとでもいうべきものが、いわゆる“幻のクーデター事件”である。

 1977年、全日所属のサムソン・クツワダが、鶴田をエースに担いで、新団体の旗揚げを画策したこの一件。クツワダは仲のよかった鶴田を口説いて了解を得た上で、テレビ局や大口スポンサーとも交渉を重ねていたという。

 クツワダは大相撲の朝日山部屋出身で、鶴田が中学時代に見学に行ったとき、手違いで角界入りしそうになったのも、同じ朝日山部屋という縁があった。

 結局、途中でこの動きが全日側に露呈し、クツワダは即時解雇。「あくまでも首謀者はクツワダ。鶴田はそそのかされただけで、それもクツワダの話に相づちを打った程度のこと」として、おとがめなしに終わったが、果たして、本心はどうであったか。

 この事件の前年に鶴田はUN王座を獲得し、若手の域を出て一本立ちしていた。一方の馬場は40歳の手前で、そろそろ下り坂になってきた頃である。鶴田としても世間一般の会社員たちと同じく、ここが“転職のチャンス”と考えたとしても不思議ではない。

 のちに鶴田が、全日と縁のなかったWWE王者時代のハルク・ホーガンや、新日の藤波辰爾との対戦を希望するコメントをした際には、単なるファンサービスと受け止められたが、実はその内側には強い独立心を秘めていたのかもしれない。

ジャンボ鶴田
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PROFILE●1951年3月25日生まれ。山梨県出身。身長196㎝、体重127㎏。
得意技/バックドロップ、ジャンピング・ニー・バット、フライング・
ボディシザース・ドロップ、ジャンボ・ラリアット。

文・脇本深八

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