目指すは欧州から初の横綱ーー最長スロー昇進、大関・栃ノ心を支えた“心”

目指すは欧州から初の横綱ーー最長スロー昇進、大関・栃ノ心を支えた“心”

13勝2敗で夏場所を終え、技能賞と敢闘賞をW受賞するとともに大関昇進を決めた栃ノ心。今後の活躍に期待が集まる *写真はイメージです

大相撲夏場所で、関脇の栃ノ心(30歳、春日野部屋)が13勝2敗と好成績を収め、ジョージア出身力士として初の大関昇進を決めた。

2度目の幕内優勝こそ逃したが、欧州出身では琴欧洲、把瑠都(ばると)に続く3人目の新大関。そのルックスから“角界のニコラス・ケイジ”と呼ばれる甘いマスクの新大関は「番付が上がってもやることは変わらない。稽古に精進して次の目標に向かって頑張りたい」と声を弾ませた。

平幕だった今年の初場所を14勝で初優勝。関脇となった春場所は10勝、今場所は13勝と3場所で37勝の成績を収めた。大関昇進の目安は“三役で3場所33勝以上”だが、初場所で優勝し、直近3場所で目安を大きく上回る勝ち星を挙げたことから、文句なしで昇進が決まった。

特に高く評価されたのが、12日目の横綱・白鵬戦だ。2008年九州場所での初顔合わせから25戦全敗の横綱を力相撲で寄り切った。これまでは横綱とは右四つ左上手の合い四つだけに、自身が得意な形になっても力でねじ伏せられていた。それを今場所はがっぷり四つに組んで常に攻め続けて圧倒。八角理事長が「白鵬のこんな負け方は初めて見た」と驚くほどの進化だ。

初対決から10年かけてたどり着いた最強横綱からの初白星は大関昇進を自力でつかんだ一番だった。新入幕から所要60場所と2代目増位山と並ぶ最スロー昇進。ここまでの道は平坦ではなかった。

故郷、ジョージア・ムツヘタの実家はワイン農家で、家業を手伝っていたことから自然と足腰が鍛えられた。柔道、サンボ、チダオバ(ジョージアの古式武術)に熱中。17歳のときに、未経験のまま相撲の世界ジュニア選手権に出場し3位入賞を果たす。この活躍がきっかけで春日野部屋への入門が決まった。

初土俵は06年の春場所。190cm、110kgを超える恵まれた体格と力強い四つ相撲ですぐに頭角を現し、08年初場所で新十両昇進。同年夏場所に新入幕を決めた。10年の名古屋場所では新三役に昇進し、順調に出世街道を歩んできたが…。3年後の名古屋場所に悪夢が待っていた。

場所中の取組で右膝前十字靱帯断裂の重傷を負い、4場所連続で休場。西幕下55枚目まで転落したのだ。入院したときは「もうダメだ。引退かな」と頭をよぎったという。

そんな危機を師匠の春日野親方や部屋の親方、仲間の励ましを受け再起を決意。そこからは「下がるとまたケガをする。とにかく何がなんでも前に出る」と攻める姿勢を徹底し、ついに夢をつかんだ。

1925年に第27代横綱栃木山が創設し、栃錦、栃ノ海の2横綱を輩出した春日野部屋からは、62年の夏場所後に同時昇進した栃ノ海、栃光以来となる、56年ぶりの大関誕生。四股名(しこな)の「心」は、春日野親方が「日本人の心を持ってもらえるように」との願いを込めた。そんな思いを受け止めて日々稽古に精進。部屋全体の支えがあったからこその昇進でもあった。

関脇から幕下まで陥落し大関昇進したのは、81年秋場所後に昇進した琴風(現・尾車[おぐるま]親方)以来、ふたり目。苦労を味わった男は「負けたらダメと思ったら負ける。だからいつもどおりやる」と欧州出身初の横綱へ目を輝かせた。

(取材・文/松岡健治)

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