福西崇史がサッカー五輪代表ベスト4を称賛も課題は「攻撃力と疲労マネージメント」

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不動のボランチとしてジュビロ磐田の黄金期を支え、2006年開催のドイツワールドカップには、日本代表の中心メンバーとして出場。日本のサッカーが世界水準へと飛躍していく瞬間をピッチの中央から見つめていた福西崇史(ふくにし・たかし)さん。

そんな福西さんに以前も、日本代表の現在地についてのインタビューを敢行したが、東京五輪を終え、アジア最終予選に日本代表が向かうこのタイミングで再び直撃。4回にわたりインタビューをお届けする。

第1回は、東京五輪について。福西さんから見て、ベスト4という成績はどのように映ったのか。また、今大会でU−24世代の選手たちが得たもの、そして足りなかったものとは。

――W杯アジア最終予選が始まります。9月2日(木)のオマーン戦、9月7日(火)の中国戦に臨む日本代表メンバーが発表になり、東京五輪メンバーからはオーバーエイジで出場した吉田麻也、酒井宏樹、遠藤航のほかに、GK谷晃生、DF中山雄太、冨安健洋、MF板倉滉(こう)、堂安律、久保建英の6選手が選ばれました。

福西崇史(以下福西) オーバーエイジの3選手はもちろんですが、東京五輪に出ていたU−24世代の選手たちには、日本代表を引っ張っていく意欲や責任感を全面に出しながら、日本代表をもっと活発にしてもらいたいですね。

――W杯アジア最終予選のお話をうかがうにあたって、まずは東京五輪の感想を教えていただけますか。

福西 メダルを獲ってもらいたかった、というのが率直な感想ですね。期待値は東京五輪が開幕する前よりも、東京五輪のグループリーグ(以下GL)の試合を経るごとに膨らんでいったので。チームとしての成長度が見えていただけに、メダルに届かなかったのが残念でした。

――成長は、どんなところに見られましたか?

福西 チームで戦う姿勢ですね。大会前に合宿を組みましたが、どこまでチームとしてまとまれるかに注目していました。GLの戦いを通じてチームとしてのまとまりを、想定していたレベルよりもさらに高めてくれたように感じました。

――それは森保(一)監督が日本代表と五輪代表の監督を兼務していたメリットが生きたということでしょうか?

福西 そうですね。五輪代表と日本代表でやろうとするサッカーは同じで、東京五輪代表のU−24世代の選手たちの多くは、それ以前までに日本代表でオーバーエイジの選手たちと一緒にプレーする経験がありました。代表活動の時間は限られていますが、その時間を最大限有効につかえた成果だと思います。

――逆の見方をすれば、東京五輪世代に経験を積ませて五輪代表の強化をしながら、日本代表の強化にもなっていたということですよね。

福西 そのとおりです。東京五輪代表はオーバーエイジをのぞけば19選手が選ばれましたが、そこに至るまでのチーム発足からの3年8ヶ月間に、実に88選手が招集されました。東京五輪メンバーからは漏れたけれど、森保監督がやりたいサッカーをすでに経験している。東京五輪世代が底上げされたことで、日本代表の選手層も厚みを増したと言えるでしょうね。

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――メダルの話に戻ると、東京五輪日本代表にはメダル獲得のチャンスは2度ありました。1度目が準決勝スペイン戦、2度目が3位決定戦のメキシコ戦。何が足りなかったのでしょうか?

福西 攻撃力と疲労マネージメントでしょうね。W杯も同じですが、国際大会でメダルを獲るにはGL3試合、決勝トーナメント(以下決勝T)3試合の計6試合を戦わないといけない。メダルを獲るには決勝Tでの戦いを見越して、選手を入れ替えながら戦うやり方がある。ただ、この方法はGLでつまずいたら、そこで大会が終わる危険性も抱えていて。日本サッカーはこれまで五輪でもW杯でも初戦から全力で入っていくことが多かったのですが、今後は決勝Tを見据えた戦い方でも経験を積まないといけないでしょうね。

――東京五輪はGL初戦から決勝戦までの試合間隔が中2日。勝ち上がるほど選手は疲労を溜め込むのでコンディションを整えるのが難しい大会でした。

福西 GLで小さな疲労を溜めない戦いができていたら、決勝トーナメントも違うものになっていたでしょうね。GL最終戦のフランス戦は主力を休ませるような戦いができていたら、決勝トーナメントの戦いぶりも変わった気がします。フランス戦は遠藤航、田中碧を途中で休ませることはできたけど、吉田麻也は休ませることはできなかった。初戦、2戦目にしても、試合終了まで生真面目にやった印象でしたが、リードを奪った状況ではノラリクラリとボールを回すなどして、体力温存をはかってよかったと思いますね。

――3位決定戦のメキシコ戦は選手たちは体が重そうでした。

福西 前半途中の時点で選手が腰に手をあてて下を向いてましたよね。あれはそうとう疲労が溜まっていた証ですね。

――試合開始時間も急きょ2時間前倒しになりましたが、そういう影響もあったのでしょうか?

福西 18時キックオフに変わった影響はデカイですよ。ボクも、現地にいたのでよくわかるのですが、ピッチに暑さが残っていましたから。20時開始の暑さなら、ボクがスーツのジャケットを着られるまで気温は下がっていましたからね。気象条件は相手も同じだと言いますが、日本開催のメリットがまったくなかったなと感じましたね。

――無観客になったことでホームならではの声援もありませんでした。

福西 観客がいないスタンドから試合を観ているから、これが本当に東京五輪なのかとは感じていました。これのどこがホームなのか。練習試合を観ているのかというくらい緊迫感も感じられなかったですよ。

――観客の声援は大事なものなんですね。

福西 もちろんです。チームに勢いをつけるのは、観客の生み出す空気ですから。選手だけで「行こうぜ!」とやっても無理。あと、無観客でやるなら、もし出来るのであればいっそU−24日本代表の試合すべてを札幌ドームで開催したら、開催国の恩恵があった気はしましたよね(笑)

――札幌ドームは涼しいですからね。

福西 日本選手は日本の暑さに慣れていると言いますが、1試合やるだけならそうですけど、中2日で試合が続きましたからね。今年の札幌は37度を記録したりで外は暑かったのですが、札幌ドームは涼しくて天国。それだけに思いますよね。

――東京五輪U−24代表は、GLではメキシコに勝ちましたが、3位決定戦では敗戦。この差は体力的な部分がやはり大きかったのでしょうか。

福西 確かにそれもありますが、3位決定戦ではメキシコが日本対策をしっかり練ってきていました。前からプレスをしっかりかけ、日本は相手の術中にハマってしまった。そこでパスをひとり飛ばして繋いだりとか前線でボールキープしたりとか、相手の裏に抜け出したりといった柔軟な対応ができませんでした。こういうところはW杯カタール大会を見据えたときにも日本代表の課題になる可能性はあるので、しっかり高めていってもらいたいですね。

●第2回 「遠藤航と柴崎岳ですね」福西崇史が語る、今の日本代表でベストなボランチの組み合わせ

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■福西崇史(ふくにし・たかし)
1976年9月1日生まれ 愛媛県新居浜市出身 身長181cm
1995年にジュビロ磐田に入団。不動のボランチとして黄金期を支える。その後、2006年〜2007年はFC東京、2007年〜2008年は東京ヴェルディで活躍。日本代表として2002年日韓ワールドカップ、2006年ドイツワールドカップにも出場。現役引退後は、サッカー解説者として数々のメディアに出演している。

取材・文/津金壱郎 撮影/鈴木大喜

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