北京五輪の取材環境はどうだった!? 報道関係者が明かす現地のリアル

報道陣が集まるメディアセンターのスペースは広く、大会期間中は施設内に「マスク着用」を呼びかけるアナウンスが何度も流れていたようだ

コロナ禍での開催となった北京五輪が2月20日に閉幕。冬季五輪で過去最多となる18個(金3、銀6、銅9)のメダルを獲得した日本選手団の活躍が目立った一方で、疑惑の判定、ドーピング問題といったニュースも絶えない17日間だった。取材者側にとっても難しい大会だったようだが、その内情を、現地取材を終えて帰国前だった報道関係者が明かした。

まず厳しかったのは寒さ。屋外競技の会場は氷点下20℃前後の極寒で、「過去の冬季五輪を取材されてきた方も、『これまでで一番過酷な現場』と言うほどでした。外で仕事をするときは上半身に6枚、下半身は3枚ほど重ね着していましたが、それでも寒さを感じたほど。カバンに入れたペットボトルの水が凍っていたのは衝撃でした」と振り返る。

本来であれば、五輪の醍醐味(だいごみ)でもある各国の関係者との交流もコロナ禍により激減。外部との接触を遮断する"バブル"方式のため、取材の合間に現地の街をぶらつくことも禁止されていた。

「バリケードで囲まれたホテルの周りを常に警官が巡回しており、外出は厳しく制限されていました。街の様子は、会場に向かうバスの窓越しに見ただけですが、五輪関連の装飾は施されていたものの、現地の人々が競技を見て盛り上がっている雰囲気はあまり感じませんでしたね」

唯一の"遠出"は、スキーやスノーボードの会場になった河北省張家口(ちょうかこう)市への移動。移動手段は最高速度が350キロに達する高速鉄道で、「所要時間は約50分。新幹線のようで快適な乗り心地だった」という。

食事面に関しては、本場の中国料理を堪能することはできなかった。

「毎日の食事はホテルのレストランで取っていました。朝はバイキング形式で、夜はレトルトで済ませることがほとんどでしたね。『食事はひどい』という報道もあったようですが、私が宿泊していたホテルでは、スープのダシが薄かった以外は問題なかったように思います。

ただ、試合会場では軽食しか販売されていなかったので、サンドイッチを買ったり、あらかじめ用意されているお菓子や果物、カップ麺などで空腹を紛らわせることもありました。メディアセンターにもレストランはありましたが、安いメニューで50元(約910円)くらいで、あまりおいしくないと不評でしたね。

夜にはバータイムになってお酒が飲めるようになるんですけど、ほかの国のスタッフがマスクなしで宴会を始めてしまうことも......。毎日PCR検査をしているとはいえ、正直、抵抗感がありました」

メディアセンター内のレストランでは、夜に酒類が提供された。ホテルの食事は満足度が高かったようだが「当たり外れがあった」という声も

一方で、「懸念されていたほど悪くなかった点」も。そのひとつが交通事情だ。北京市内は朝夕のラッシュ時に発生する渋滞が有名で、北京五輪は春節明けで交通量が増えることが予想された。

対策として、関係者が乗るバスやタクシーだけが走行できる専用レーンが設けられることは事前にわかっていたが、「そこを走ってしまう一般の違反車もなく、すごく移動はスムーズでした。その代わり、レーンが1本減った道路は渋滞がひどくなっていましたが(笑)。

競技の開始時間、終了時間に合わせたバスなどは車内が密になることもありましたけど、全員がPCR検査済みでマスクもしていましたから、気にはなりませんでした」と振り返る。

さらに通信環境に関しても、「不自由さは感じなかった」という。

「中国当局の厳しい検閲で、当初は『日本とのやりとりができないのではないか』と心配していましたが、取材エリアではLINEやGoogleなどのツールも使えました。大会組織委員会から支給されたWi−Fi、スマートフォンのテザリング機能を使った通信も快適でしたよ」

ダウンロードが必須でありながら、個人情報漏洩(ろうえい)などのリスクも指摘されている健康管理アプリ『MY2022』については、「五輪には間に合わなかったようですが、パラリンピックの日本選手団にはアプリをダウンロードするためだけの端末が配られるそうですね。私は帰国したら削除しようと思います」と言及。

機能自体は優秀だったようで、「時間変更の情報もすぐ入ってくるバスの時刻表、会場の天候も確認でき、翻訳機能などもついていたのでとても便利だった」と話す。

「このアプリの情報漏洩問題や、"疑惑の判定"といったネガティブな情報は、現地ではそこまで話題にはなりませんでした。日本や海外メディアのニュースを通じて、数日遅れで耳に入ってくることが多かったです」

アプリによる体温や健康状態の報告に加え、毎日課されていたPCR検査は負担ではなかったのか。

「毎朝、食事の前に駅中の売店のようなスタンドに並び、検査を受けることが日課になっていました。取材IDを見せると、マスクや防護服に身を包んだ係員が、慣れた手つきでノドの粘膜を拭ってくれて短時間で終わりました。陽性者が出た話も聞きませんでしたし、『感染者が1万人以上いる東京より安全かも?』と、現場のスタッフ同士で話していましたよ(苦笑)。

取材に関しても、ミックスゾーンでのインタビューの距離など制限はありましたが、ここ2年くらいで慣れてしまった部分もあります。戸惑ったり、いら立ったりする人もほとんどいませんでした」

そんな取材者たちの苦労もあって、陰と陽の両面が報じられた北京五輪。果たして4年後のミラノ・コルティナ五輪(イタリア)はどんな大会になるのか。

取材・文/白鳥純一 写真/アフロスポーツ

関連記事(外部サイト)