ウクライナ侵攻のサッカーへの影響。いきすぎた"拝金体質"は変わるか

各国リーグの試合会場ではファンが反戦を示すも侵攻は止まらず。FIFAやUEFAのロシアへの制裁は厳しさを増す

札束で頬をはたかれ続けてきた欧州フットボール界が、戦争という一大事になって、ようやくそのカネに付着していた"血のり"を直視するようになった。

本当はずいぶん前からわかっていたことなのだが、大金がもたらす勝利や愉悦、そしてスペクタクルに、大部分のファンは無批判に熱狂し、それを可能にしたパトロンを称えてきた。クラブやリーグ、協会、連盟、そして政治家たちも、臭い物にふたをして、狂騒を容認し、主導してきた。

ところが今、思わぬ形で、そんな常軌を逸したスポーツ界の構図が、修正されることになるかもしれない。

多額の資金でチェルシーを強豪に仕立てたロシアの富豪、アブラモビッチ(右)に経済制裁が科され、チームの売却が進められている

欧州のトップレベルのフットボール界では、100億円以上の選手の移籍金や総資産1兆円超のクラブオーナーの存在が珍しくなくなって久しい。

そんな時代が始まったのは、2003年夏。そう、ロマン・アブラモビッチというロシア人オリガルヒ(旧ソ連諸国の資本主義化の過程で形成された巨万の富と政治的影響力を持つ、少数の新興財閥)が、チェルシーを買収してからだ。

当時36歳のアブラモビッチが、推定1億4000万ポンド(現在のレートで約216億円)を投じてチェルシーの実権を握ると、それまでは国内リーグで1度しか優勝できていなかったクラブが真の強豪に生まれ変わった。

以降の約19年間で、プレミアリーグを5度、チャンピオンズリーグを2度(2度目は昨季、つまりチェルシーは現在の欧州王者だ)、ヨーロッパリーグを2度、国内カップを8度、そして今年2月には初めてクラブW杯を制し、主要タイトルをすべて手にした。

本来、プロのスポーツクラブは自分たちで稼いだ資金だけで運営されるべきだが、アブラモビッチのチェルシー買収を機に、イングランドや欧州のライバルたちもそれに対抗するように、ビリオネアオーナーを喜んで迎えるようになった。

中東の国家ファンド(どこも人権侵害を疑われている)やレバレッジド・バイアウト(買収先のクラブを担保に巨額資金を借り入れ、買収後はクラブそのものに借金を返済させる方法)など、その多くは深い闇を持つオーナーだったり、倫理性から外れた手法だったりした。

一部では問題視されながらも、およそ20年間にわたって"財政的ドーピング"が常態化していた欧州フットボール。しかしロシア軍のウクライナへの全面侵攻が、その流れを変えるきっかけになるかもしれない。

22年2月24日に、ウラジーミル・プーチン政権によりロシア軍がウクライナを攻撃し始めると、西側諸国ではロシア政府関係者やロシア国営企業トップ、同政府と密接な関係にあるオリガルヒへの経済制裁が検討され始めた。英国政府のリストの中には、アブラモビッチの名前もあった。

すると現在55歳のロシア人は当初、「運営権をクラブの慈善団体に移管する」と発表したものの、制裁を求める声が強まると、「クラブの利益を最優先に考えて」(公式声明より)、売却を決断。数日間はスイス人ビリオネアなど、買い手候補の名前も挙がっていたが、3月10日に英国政府がついにアブラモビッチへの制裁を科し、チェルシーも資産凍結の対象となった。

「彼ら(アブラモビッチらオリガルヒ)がプーチン政権と密接につながっている事実は証明されている」と、英国のボリス・ジョンソン首相は話した。「だからこそ、制裁に踏み切ったのだ」

また、英国のリズ・トラス外務大臣は、「彼らもプーチンの(ウクライナ)侵攻の共謀者だ。その手にはウクライナ人の血がついている。英国の経済や社会に、彼らの居場所はない」と語っている。

チェルシーは公式ストアも閉鎖されるなど、グッズやチケットの販売も禁止に。試合は実施されるようだが、今後の動向に注目が集まる

これにより、アブラモビッチはチェルシーを売りに出すことも、それを元にビジネスをすることもできなくなった。この原稿を書いている時点の最新情報では、クラブは政府主導の下、新たなオーナーを探しているが、売却が成立してもアブラモビッチには一銭も入らないという。

またクラブは選手との契約延長はおろか、チケットやグッズの販売を禁じられ、公式ストアは一時閉鎖を余儀なくされている。今後、スタジアムで観戦できるのは、シーズンチケットを持つサポーターか、すでにチケットを購入しているファンだけとなる。

フットボールチームとしてのチェルシーは、政府の特別ライセンスの下、少なくとも今シーズンはこれまでどおり試合を消化していくことになりそうだ。

オーナーへの経済制裁が決まった後の初戦、ニューカッスルとのホームゲームには1−0で勝利している(ちなみにこの相手は昨年10月、サウジアラビア──反体制派の記者を殺害した疑いのある国家──のファンドから買収されたばかりだ)。

一部のチェルシーファンはいまだに、アブラモビッチを称えているようだが、これはフットボール界全体のいきすぎた"拝金体質"を正す機会ともとらえられている。

欧州フットボールを統括するUEFAも、ロシアの国営企業ガスプロム社との推定年間5000万ユーロ(約64億円)のスポンサー契約を破棄。

危険な独裁国家が牛耳る天然ガス企業のほかにも協賛社は見つかるはずだし、そもそもそこまでの巨額資金がなくても、ふたつのチームがボールを蹴って、ゴールを奪い合うことは十分にできる。構造が狂っているだけの話だ。

世界で最も愛されているスポーツ、フットボールがビリオネアたちのビジネスツールだけでなく、深い闇を持つ権力者たちの印象を高める道具として使われるようになって、長い年月が流れた。

それは一部では危機感を持って伝えられてきたが、多くの人々は戦争という悲劇によって、ようやくそれがどれほど危険なことだったかに気づかされている。

喧騒(けんそう)の裏で長く叫ばれてきた"グレートリセット"の始まりとなるだろうか。

取材・文/井川洋一 写真/アフロ

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