佐々木朗希を潰さず伸ばした「じっくり育成」の真実

4月10日のオリックス戦で完全試合を達成。1週間後の日本ハム戦でも8回パーフェクトと、世間を震撼させる快投を続ける

驚異のピッチングを披露する"令和の怪物"佐々木朗希(ささき・ろうき)。高校時代も、そしてプロ入り後も、彼が慎重に慎重を重ねて育てられた裏には、最先端のスポーツ科学・医療に基づく的確な判断があった!

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■体の強さを測定して投球強度を調整

これがフィクションだとしたら、「やりすぎ」と思ってしまうくらいリアリティのない快投だった。

4月10日、ZOZOマリンスタジアムでのロッテ対オリックス戦で、ロッテの佐々木朗希が完全試合を達成した。しかも13者連続奪三振の日本新記録、1試合19奪三振の日本タイ記録のおまけつき。球数はわずか105球。ヒット性の当たりすらなかった。

翌週の4月17日の日本ハム戦(ZOZOマリンスタジアム)では8回まで完全投球。疲労を考慮されて降板したものの、この2試合の投球は日本プロ野球史上最高のピッチングだったはずだ。

私は3年前、大船渡高校時代の佐々木を取材した。そのときの印象からすると、今回の佐々木の快投は「予想よりも早く見られた」という実感がある。大器を長い目でじっくり育成しようと腐心した、関係者の姿を見てきたからだ。

2019年4月6日、U−18高校日本代表候補研修合宿の紅白戦で、佐々木は最速163キロの剛球を投げ込んだ。全国屈指の強打者を前に、アドレナリンが分泌されたのだろう。

佐々木は登板後、「変な力が入りました」と語っていた。捕手を務めた藤田健斗(現阪神)が「捕手をやっていて初めてピッチャーのボールが怖いと思った」と感じるほど、殺気のこもったボール。

さらにスライダー、フォークなどの変化球も藤田はほとんど止められなかった。二塁ランナーとしてその変化量を目撃した紅林弘太郎(現オリックス)は、「まるでボールが生きているみたいに動いていました。こんなの初めて見ました」と証言している。その3年後、自身が完全試合の餌食になるとは紅林も想像できなかったに違いない。

だが、それから約1ヵ月後に見た佐々木は別人のようだった。最高球速は139キロで、「ケガでもしたのか?」と思うほど緩い腕の振り。スローカーブを交えて打たせて取る投球に終始した。試合後、大船渡高校の國保陽平監督は意外な事実を告げた。

「骨密度を測定した結果、まだ大人の骨ではないと。球速に関する期待はあるんですけど、それに耐えられる体ではない。骨、筋肉、靱帯、関節がまだ大人のものじゃなかったんです」

佐々木本人は、この日の投球強度について「4〜5割程度」と明かしている。つまり、力をセーブして投げたのだ。

高校時代の佐々木育成のキーマンは、間違いなく國保監督だった。

異色の指導者だった。筑波大学卒業後に海を渡り、アメリカの独立リーグでプレー。その後に教員となり、佐々木が入学したタイミングで大船渡に赴任した。当時30歳の若き指揮官だった。

國保監督は自身が筑波大学出身ということもあり、スポーツ医科学の見地から逸材の育成に取り組んだ。動作解析の第一人者である川村 卓准教授(筑波大学監督)、スポーツドクターの馬見塚尚孝氏ら専門家に意見を求めている。川村准教授は投手が故障するのは球数だけでなく、投球強度もポイントだと語る。

「常に10割ではなく、7〜8割の力でいいボールがいくように練習していく。例えば菅野智之投手(巨人)などは、東海大学時代からその調節が非常に上手でした。私は彼こそ理想だと考えています。いまだに大きな故障がなく続けられているのは、強度をコントロールできるからでしょう」

高校日本代表合宿では力いっぱい腕を振っていた佐々木だが、日頃は強度を落として投げることを心がけていた。もし佐々木が何も考えず、常に全力投球をしていたら令和の怪物≠ニ騒がれる前に潰(つぶ)れていた可能性すらある。

ごく普通の地方の公立高校に在学しながら、最先端のスポーツ科学・医療に守られたのは佐々木にとって幸運としか言えない。

■論争になった登板回避までのプロセス

その一方で、國保監督は選手を型にはめる指導はしなかった。佐々木に対する技術面の指導について尋ねると、國保監督はこう答えた。

「メカニックな部分は触りません。誰かに指導いただいても、自分の感覚の上でプレーしないと、頭と体にズレが生じる危険があります。選手には『自分の感覚を大切にしなさい』と伝えています」

いかにもプレーヤー視点に立った配慮だが、國保監督は責任を一身に背負うこともあった。19年夏の岩手大会決勝。國保監督は決勝当日に佐々木の登板回避を決め、社会的な論争が湧き起こった。

佐々木がプロで大成功している今を受けて、國保監督の決断を再評価する機運が高まっている。だが、忘れてはならないのは、佐々木が決勝で投げたとしても故障しなかった可能性があったことだ。

着目すべきは、國保監督が投手起用を決める際のプロセスにある。試合当日に投げさせるかどうかを決める際、本人の言葉以外にどんな判断材料があるのかを問うと、國保監督はこう答えた。

「理学療法士、医師、トレーナーからのアドバイス、あとは球場の雰囲気、相手チームの対策、自分たちのモチベーション。それらを複合的に踏まえて判断しています」

岩手大会の決勝戦は、気温(31.9℃)と佐々木の精神的負荷、当日の佐々木の動きを見て、「今までで最も故障する危険が高い」と判断して登板回避を決めた。2、3番手の投手を起用しなかった不可解さはあったものの、國保監督の采配には一貫して佐々木という国宝級の逸材≠守る使命感がにじみ出ていた。

國保監督の恩師である筑波大学の川村准教授は、有望選手を預かる指導者の心構えとしてこう語っていた。

「指導者がまず考えるべきは、選手を壊さないで上≠ノつなぐこと。いい選手を預かったときほど『自分の所有物ではない』と言い聞かせるようにしています。先のある選手は、大げさに言えば日本の宝≠フようなもの。それを自分のエゴで壊してしまうことは許されません」

國保監督の決断に対する評価は称賛ばかりではなかった。学校には抗議の電話が殺到し、國保監督はつるし上げのような状況に陥った。「公式戦の試合後以外は原則取材シャットアウト」という学校側の方針により、國保監督の意図や理念が伝わりづらい構図も遠因だったのかもしれない。

それでも、自分が袋叩きに遭うのを承知で登板回避を決めた國保監督からは、スポーツ医科学を信じてきた男の矜持(きょうじ)が感じられた。

■ロッテ・吉井コーチの異例の英才教育

19年10月に佐々木がプロ志望届を提出する意向を表明する記者会見で、國保監督は佐々木の肉体の状況についてこう語っている。

「強度に耐えられる体づくりの途中にあります」

ドラフト会議で4球団の競合の末に当たりくじを引き当てたロッテは、育成強化の過渡期にあった。佐々木の入団と時を同じくして順天堂大学医学部と提携。医療、栄養、コンディショニングを全面的にサポートする体制をつくり上げた。

さらに、技術コーチの意向が優先されがちな現場指導のあり方も見直され、体づくりを優先すべき選手と、技術向上に取り組むべき選手を選別。高卒の若手選手は体づくりを徹底できるようになった。

佐々木が入団した時点の投手コーチは吉井理人氏(現ロッテピッチングコーディネーター)。筑波大学大学院で川村准教授の下でコーチングを学んだキャリアを持つ吉井コーチは、プロ1年目の佐々木に驚くべき英才教育を施す。

まず話題になったのは、プロ1年目のキャンプでの遠投。佐々木は40mという短い距離で、5分間だけ投げた。さまざまな文献に目を通してきた吉井コーチは、「40mを超えるとリリースする際の腕の角度が変わり、球速や投球の質も悪くなる」と理由を説明した。

その後、佐々木のコンディションが上がらなかったこともあり、1軍はおろか2軍でも公式戦登板はなし。にもかかわらず、佐々木をほぼ通年1軍に同行させ、トレーニングを積ませたのだ。

吉井コーチの方針を「過保護」と批判する声もあったが、身体的に発展途上の20歳前後の選手を保護する手法は今後も球界のスタンダードになっていくかもしれない。

プロ3年目での大爆発は、佐々木の底知れないポテンシャルを信じていた者にとっても想像をはるかに超える大事件だった。強度を落としながら160キロ台の快速球を連発する投手など、歴史上いなかった。

私たちは今まで見たことのない地平を眺めることができる。その喜びを噛(か)み締めながら、佐々木の快投に酔いしれよう。

取材・文/菊地高弘 写真/共同通信社

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