ロシア戦を断固拒否し、ウクライナの支援を続けるポーランドサッカー協会の矜持

ポーランドサッカー協会のピオトル・シェファー事務局長。ロシア戦ボイコットという決断に至った経緯を聞いた

ウクライナに対するロシア軍の侵攻が始まると、隣国ポーランドは即座に国境を開放。一時は414万人もの避難民を受け入れた。国内の至る所に設置されている救援センターでは、無条件で即日、個人ナンバーが取得でき、行政サービスを受けられるなど、今も献身的な支援を行なっている。

大国による侵略を絶対に許さない。その思いは政府だけでなく、サッカー界も同様だった。ポーランドとウクライナは2012年の欧州選手権を共同開催しており、ポーランドサッカー協会(PZPN)は今こそパートナーを支えるべきとFIFA(国際サッカー連盟)からの制裁も覚悟の上で立ち上がった。

2月24日にロシアが侵攻を始めると、その2日後にW杯欧州予選プレーオフでのロシアとの対戦拒否を表明したのだ。経緯について、PZPNのピオトル・シェファー事務局長に聞いた。

「決断は早かったです。ボイコットの意思はPZPNのトップダウンではなく、選手たちから侵攻開始の日に上がってきました。

ポーランド代表チームには、評議会という意見を集約する機関があり、レヴァンドフスキをはじめとする中心選手たちで構成されているのですが、全員一致で『われわれは侵略を続けるロシアの代表とは試合はできない。ピッチの上でロシアの国歌を聞きたくはない。これは総意だ』と私たちに伝えてきた。PZPNはこれを受けて決定しました」

――レヴァンドフスキはコメントを出していましたね。

「彼はツイッターで『ロシアの選手にもサポーターにもなんの罪もないことはわかっている。しかし、私は(侵略行為を)見て見ぬふりはできない』とつぶやいています。

当時、FIFAにプレーオフのボイコットを伝えれば、逆に私たちPZPNが制裁を受ける可能性がありました。出場停止処分にでもなれば、W杯出場を夢見ていた選手たちのキャリアに大きな傷がつきます。しかし、そのリスクを冒しても、彼らは戦争を看過してはいけないと全員で決めたのです。

これに対しては、わが国のドゥダ大統領も『正しい決定だ』と同調してくれました。隣国で悲劇が起きているのに、何事もなかったかのように振る舞うわけにはいかない。プレーオフの同じグループにいたスウェーデンやチェコにも呼びかけました」

――ボイコットに対する批判はなかったのですか。

「ポーランド市民は圧倒的に支持してくれました。W杯に出場できなくなってもよいから戦争に抗議すべきだ、という声がとても大きかったです。

FIFAは当初、ロシアの国旗と国歌を禁止した上での出場許可を考えていました。昨年の東京五輪でIOC(国際オリンピック委員会)が執った方式です。

しかし今回は国際世論に押される形で、ロシアの出場を禁止しました(※ポーランドは不戦勝。その後プレーオフを勝ち抜き、カタールW杯出場を決めた)」

――FIFAからすれば、ロシア外しはマーケティング的に痛手だったと思います。

「14年にロシアがクリミア半島に侵攻したときは、制裁すら検討されませんでした。また、ロシアによる国家ぐるみのドーピング違反が明らかになったときも、IOCは『国家ではなくオリンピック委員会として』という詭弁を弄して参加を認めた。

しかし、今回は私たちのボイコットが先駆けとなって、経済などの分野でもロシアが国際社会から排除されていきました」

ロシアに不戦勝となったポーランド代表は、続くスウェーデン戦に勝利してカタールW杯進出を決めた。写真中央はエースのレヴァンドフスキ

――ロシアとの対戦拒否以外にも、PZPNはウクライナへのサポートを行なっているそうですね。

「(PZPNの)クレシャ会長は、ウクライナサッカー協会のアンドリー・パベルコ会長と連日電話で話していました。侵攻の開始直後にパベルコ会長は避難シェルターにいましたが、彼はポーランドに避難したウクライナのユース世代の選手を助けてくださいと頼んできました」

――ウクライナでは18歳から60歳までの男性市民は徴兵に備えるため出国が禁止されていたから、ユース世代の選手しか避難できなかった。

「そこで、私たちは侵攻開始5日目に、ウクライナの選手にEU(欧州連合)加盟国の選手と同等の待遇を与える決議を行ないました」

――それはつまり、EU外の外国籍選手を規制する枠の適用から逃れられる権利を与えたということですね。UEFA(欧州サッカー連盟)もすぐに認めたのでしょうか。

「UEFAは大きな組織だから反応は遅かった。しかし、私たちはUEFAに決定を迫りました。そして国内のあらゆるサッカークラブが、逃れてきた若いウクライナ人選手を自分たちのクラブに登録しようと手を挙げてくれました。そのために私たちはサッカー協会として移籍法の整備を急ぎました。

現在、ポーランド国内には18歳未満のウクライナ人選手が約2万2000人います。まず学校に入学させ、授業が終わったらサッカーをする。クラブや自治体は、着の身着のままで逃れてきた子供たちにスパイクやユニフォームを提供しました。言葉、文化の障壁があったとしても、サッカー場ではそれが消えるのです」

――ウクライナ国内ではサッカーどころではないですが、代表チームやクラブチームに対する支援は?

「ウクライナ代表にはポーランドのスタジアムを本拠地にしてもらいます。欧州チャンピオンズリーグに出場するクラブチームも侵攻でスタジアムを失いましたから、その環境を提供します。ディナモ・キエフはウッジ、シャフタール・ドネツクはワルシャワで試合をしてもらいます」

――一方で、ポーランドリーグにはロシア選手もいますが、彼らはどうしていますか。

「ザグウェンビェ・ルビンというクラブにバシキロフとジグロフというふたりのロシア人選手がいます。バシキロフは自国の侵略行為に対する怒りをすぐに表明しました。また、ジグロフは妻がウクライナ人です。

われわれは彼らを排除したり、罰したりはしていません。ロシアの戦争と彼らは関係ないですし、罰を与える相手が違うからです。あなたが次に聞きたいのはリブスのことでしょう?」

――はい。国際的にロシアが批判されるなか、FIFAはロシアのクラブに所属する選手は所属クラブとの合意がなくともシーズン中にほかの国のクラブへ移籍できるようにしました。しかし、ロコモティフ・モスクワに所属していたポーランド代表のマチェイ・リブスは、侵攻開始後もロシアに留まってプレーすることを選んだ。それに対して、PZPNは彼を代表から追放した。これはやりすぎでないかと思うのです。

「彼はロシア人と結婚していますし、モスクワが自分の居場所だと判断したことはリスペクトすべきです。しかし、ボイコットまで決意したほかの選手の意思も考え、代表のミフニェビッチ監督はリブスと対話の場を持ちました。

家族を思う君の意思は尊重する。しかし、残念だが君がロシアでプレーする限り、代表には呼べないと言った。けれど、リブスの気持ちは変わらなかった。そういうことです」

――ウクライナとポーランドは宗教も言語も文字も異なり、過去においては互いに侵略や虐殺の歴史を背負ってもいます。やはり、12年の欧州選手権共催の経験は大きかったですか。

「あの共催は、ポーランド(サッカー協会)のリストケウィッツ会長、ウクライナ(サッカー協会)のスルキス会長というふたりの親友がいて成立しました。UEFAもまた会長のプラティニ以下、サッカーを東方に拡大したいという戦略を持っていた。

当時、UEFAの基準を満たしているスタジアムは、ポーランドにもウクライナにも4ヵ所もなかった。そこで互いに4ヵ所ずつ建設することにして、全力を注ぎました。この欧州選手権の準備期間の5年間は自分たちを西ヨーロッパにものすごく近づけた時間だったと思う。

ポーランドは、大会の開催が決定された時点ではEUに加盟して3年しかたっていなかったし、ウクライナはEU加盟など夢にも見ていなかった。大会が成功だったと言えるのは、両国民の関係がより密接になったからです。

ウクライナは宗教や文字を同じくするロシアよりも西欧の方に新しい価値を見出した。そして、あのときに使われたドネツクの素晴らしいスタジアムが2年後にロシア軍に破壊されたとき、ポーランド人はわがことのように大きく傷つきました。支援は今後もずっと続けます」

取材・文・撮影/木村元彦 写真/アフロ

関連記事(外部サイト)

  • 記事にコメントを書いてみませんか?