福西崇史がJリーグで対峙して衝撃を受けた『攻撃的なポジションの外国人選手』4選「最初に浮かぶのは『浪速の黒豹』」

Jリーグで印象に残った外国人選手をフカボリ!
不動のボランチとしてジュビロ磐田の黄金期を支え、2006年開催のドイツワールドカップには、日本代表の中心メンバーとして出場。日本サッカーが世界水準へと飛躍していく瞬間をピッチの中央から見つめていた福西崇史。 

そんな福西崇史が、サッカーを徹底的に深掘りする連載『フカボリ・シンドローム』。サッカーはプレーを深掘りすればするほど観戦が楽しくなる! 

第34回目のテーマは、Jリーグでプレーした攻撃的なポジションの外国人選手。現役時代に多くの外国人選手と対戦した福西崇史。その中でも、対峙して特に印象に残っている攻撃的なポジションの4選手を選んでくれた。

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Jリーグの夏の移籍ウインドーの締め切り日である8月12日(金)が迫ってきました。今年は、国内での移籍や海外への移籍は例年通り活発にありましたが、外国人選手の補強はチーム状況に応じた選手獲得はあったものの、"大物"と呼べる選手の獲得はなし。大物の加入は話題性があるのでJリーグへの注目度は高まるだけに、それがないのは寂しい感じが否めませんよね。

ボクが現役だった1995年から2008年までを振り返ると、Jリーグでプレーした外国人選手は錚々たるメンツがいました。今回はそのなかでも攻撃的なポジションで印象に残っている選手をピックアップしたいと思います。

■圧倒的な身体能力とテクニックを持っていたエムボマ

外国籍選手と対峙したときに驚かされるのが、その身体能力。パワー、足の速さ、背の高さ、ストライドの大きさ、瞬発力、跳躍力など、フィジカル能力にはいろいろとありますが、そのほとんどで人間離れしていると感じさせられたのが、元カメルーン代表のパトリック・エムボマでした。

Jリーグで最初にプレーしたのは、ガンバ大阪に加入した1997年からの2シーズン。28試合で25得点を決めた1年目の活躍は衝撃的でしたね。初めて対戦した試合で磐田はエムボマに試合を決定づける一発を決められて1−3で負けましたね。

そうした活躍から『浪速の黒豹』の異名がつきましたが、エムボマは走っては速いし、パワーもあるし、跳んでも高かった。身長は185cmでしたが、それ以上の高さを感じました。ただ、それだけなら対峙しても何とかなるのですが、エムボマはボール扱いがとんでもなく上手かったですね。

有名なのは1997年の開幕戦でのJリーグ初得点のシーンですよね。G大阪対湘南ベルマーレ戦で、ドリブル突破を仕掛けて相手DFに当たって浮いたボールを、態勢を崩しながらも体をまわし、右足、左足でリフティング、相手DFをかわすと、そのまま左足を振り抜いて豪快にボレーシュート。

ほかにも体を前方に投げ出しながら、かかとでボールを蹴るスコーピオンキックを見せたりと、パワーを生かした豪快なミドルシュートを決めたり、独特のタイミングから意表をつくシュートを放ったりしましたよね。

1998−1999シーズンからセリエAのカリアリに移籍し、その後はパルマやプレミアリーグのサンダーランドなどでもプレーし、2003年から東京ヴェルディ1969、2004途中からヴィッセル神戸でプレーしましたよね。

2003年にJリーグへ復帰して最初の対戦でも、試合は磐田が7−2で勝ちましたが、エムボマには2ゴールを決められて。そのあとにあったヤマザキナビスコカップのグループリーグ最終節では、決勝トーナメントを決めていた磐田が若手主体だったとはいえ、エムボマにハットトリックを許して2−3で負けたんですよね。そういう記憶があるので、Jリーグに来た攻撃的なポジションの外国人選手といえば、やっぱりエムボマの名が最初に浮かびますね。

■キャリアの最盛期にJリーグでプレーしていたエメルソン

浦和で2001年から2005年までプレーしたエメルソンもすごいストライカーでした。2000年に岡田武史監督が率いていたコンサドーレ札幌に加わって34試合で31得点でJ2得点王。翌年はJ2だった川崎フロンターレに移籍し、この年の夏から浦和レッズに所属しましたが、とにかくスピードがすごかった。

スピードがあって、ブラジル人らしいテクニックもあって、シュートもうまい。札幌に加入したときの年齢は18歳で、2001年はまだ20歳ということでしたから、いずれはブラジル代表に入っても不思議はないと思っていましたよね。

ただ、のちにサンパウロでプロ入りするときに3つ年齢詐称していたことが判明し、実際は21歳で来日し、初対戦した2001年は23歳になる年だったわけですが、それでも当時のエメルソンのプレーが残した衝撃まで偽物ということにはならないですよね。

スペースがあるなかでエメルソンがボールを持ったら止めようがないほどでした。浦和での4シーズン半でJ1リーグでは100試合71得点。この結果を残せたのも、キャリアの晩年にJリーグでプレーした有名選手とは違って、エメルソンが年齢的に全盛期でJリーグに来たというのもあったでしょうね。

エメルソンはその後、カタールのアル・サッドに移籍し、一時はフランスリーグのレンヌでもプレーしましたね。2012年にはコリンチャンスの一員としてクラブワールドカップで日本に凱旋し、チェルシーを破って世界一になっています。

■華麗なテクニックで魅了した妖精・ストイコビッチ

Jリーグに来る外国人選手には、スピードのある選手、うまい選手、強い選手、高い選手など、さまざまな特長があります。でも、"華麗な選手"という表現が当てはまるのは、ピクシーことドラガン・ストイコビッチだけな気がしますね。

旧ユーゴスラビアの代表としてイビチャ・オシム監督のもとで1990年ワールドカップ・イタリア大会でベスト8。あの大会の決勝トーナメント1回戦のスペイン戦での先制点は、ピクシーの名を世界に知らしめましたよね。クロスボールにダイレクトで合わせるシュートフェイントを入れておいて、足元にピタッと止めてから決めた先制ゴール。あの冷静さとテクニックが、その後のJリーグで見られるとは思いもしませんでした。

ピクシーが名古屋グランパスでプレーしたのは、1994年から2001年まで。アーセン・ベンゲルが監督だった1995年には年間MVPを受賞したのを始め、名古屋の象徴として君臨しました。

ピクシーがボールを持つと、守る側にとっては本当に厄介でした。間合いを詰めたら抜かれそうでしたし、距離を取ったら変幻自在にパスを出されたり、重心の反対側にボールを持ち出され突破されたりと、なんでもできる選手でしたから、対応が難しかったです。

しかも、ピクシーのすごいところは、動きのひとつひとつが華麗なんですよね。余裕があるからできるのか、もともとそういうプレースタイルなのか。きっと両方だったと思うんですが、ときには対峙していても目を奪われるようなプレーをしました。

監督になっても華があるところは変わりませんでしたよね。名古屋の監督を2008年から2013年までつとめましたが、ピッチサイドに転がってきたボールを革靴で扱うさまは、現役時代そのままでした。もう一度、日本で監督をやってほしいですね。

■Jリーグから巣立ってブラジル代表にのぼりつめたフッキ

ボクが現役時代に感じたすごい外国人選手の最後は、フッキです。2005年に18歳で川崎フロンターレに加入し、コンサドーレ札幌や東京ヴェルディで2008年までプレーし、2008−2009シーズンからポルトガルのポルトに移籍し、2009年からはブラジル代表にも名を連ねて49試合に出場しています。

ヴェルディ時代はボクも一緒のチームだったので知っているのですが、フッキはJリーグでプレーしていた頃にピッチのなかでもっとまわりの選手を信頼していたら、ステップアップはもっと早まっていただろうし、もっと大成したのかなと思いますね。

ヴェルディ時代のフッキは、表現は悪いですが、Jリーグを甘く見ているところもありましたよね。いい言い方をすればエゴが強いというのでしょうか。自分ひとりで何とかできる、なんとでもなるというプレーをピッチで見せました。

18歳でひとり異国にやってきて、サッカーで認められたい思いから、そうなっていた部分もあったと思いますし、独りよがりなプレーをしても使いたくなる才能を持っていたのは間違いないです。ただ、それだけに彼が味方を上手に使うことを知っていたら、もっと数字は残せたと思います。それによってヨーロッパのスカウトの評価も違ったものになっていたのではないでしょうか。

Jリーグが誕生した当初は、1994年ワールドカップ・アメリカ大会で優勝したブラジル代表メンバーをはじめ、世界に名だたる選手がキラ星のごとくいました。でも、その後はサッカー強豪国の現役代表や、その後に代表へと上り詰める選手はガクッと減りました。時代が変わったと言ってしまえばそれまでですが、日本サッカーの力を伸ばす役割を外国人選手が担っている部分もあるだけに、Jリーグには世界基準のクオリティーを持った外国人選手が増えてしいなと思います。

構成/津金壱郎 撮影/鈴木大喜

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