度重なるケガを乗り越え、幕下からカムバックした豊ノ島「もし神様がおったら、『オレのことめっちゃ嫌いやん!』って思いました(笑)」

度重なるケガを乗り越え、幕下からカムバックした豊ノ島「もし神様がおったら、『オレのことめっちゃ嫌いやん!』って思いました(笑)」

昨年11月場所で903日ぶりの「関取白星」を挙げた豊ノ島関

順風満帆の相撲人生を送っていたある日、左アキレス腱断裂という大ケガに見舞われ、幕下陥落。その後も度重なるケガを乗り越え、昨年の11月場所で約2年半ぶりに十両復帰を果たし、今年1月場所は10勝5敗で終えた豊ノ島。プライベートでも親交のあるインタビューマン山下が直撃した!

■大ケガで幕下陥落後、支えられた言葉

──関取(十両以上)復帰、本当におめでとうございます。

豊ノ島 ありがとうございます。

──2016年の夏に大ケガをして幕下に落ちることになったときは、どんなお気持ちでしたか?

豊ノ島 最初はアキレス腱が切れたというのがわからなくて、今場所は厳しいかなというぐらいの感じでした。ところが医者に診てもらったら、「相撲が取れるようになるには半年かかる」と言われたんです。

その時点で幕下に落ちることがわかったので、ショックでしたね。お見舞いに来てくれた人の前では平然としてましたが、皆さんが帰って家族だけになったときに、申し訳ないという気持ちになって。

しかもケガをした5日後が娘の誕生日で、それもちゃんと祝えなくなってしまい......嫁とふたりで泣きましたね。そのときに嫁さんから、「次に泣くのは関取に戻ったとき。うれし涙で泣こう」と言われました。

──「うれし涙で泣こう」を合言葉に、前を向いたんですね。

豊ノ島 はい。そこからはリハビリの日々です。リハビリのトレーニングは普段、力士があまりやらないような体の動かし方をするので、けっこうきつかったんですよ。それを乗り越えないといけないのに、筋肉が落ちているのもあり、簡単にできると思うことが全然できなくて、自分にイライラして歯がゆかったです。

──リハビリ中に同じ時津風部屋の(元小結)時天空関が病気で引退されて、その後に亡くなられました。つらかったんじゃないですか。

豊ノ島 そうですね。彼は弟弟子なんですが、年齢は向こうが4つ上で、お互いに意識し合っていました。仲が悪かったわけじゃないですが、14年間同じ部屋にいたのに、ふたりでご飯に行ったことがなかったんです。

だからなのか、彼が引退したときに「お疲れさま」と僕が電話をしたら、「電話をくれるとは思わんかったわ」って言われましたね。そのときに「俺の分まで頑張って、必ずケガを治して復活してくれ」「わかった、必ず約束する」って言葉を交わしました。

──そんなエピソードがあったんですね。

豊ノ島 僕の場合はケガが治ればまた相撲ができるけど、彼はまだ相撲を取りたかったのに病気でそれができない体になってしまったので、彼の分まで頑張ろうと思いましたね。それで、「お互い治ったら、ご飯に行こう」という約束もしてたんですけど、結局それは叶(かな)わなかった。だから、関取に戻るという約束だけは果たしたいと思ってました。

■携帯電話の審査が通らない?

──幕下に落ちたら、待遇が全然違いますよね。

豊ノ島 そうですね。まず給料がほぼなくなります(編集部注:幕下には「養成員場所手当」として当時2ヵ月で15万円が支払われた)。付け人もいなくなるし、食事や風呂の順番も番付順。そこは親方が気を使ってくれて、「これまでと一緒でいいよ」って言ってくれたんですけど、甘えたくないなと。

ここで甘えたら俺の相撲人生はこのまま終わるんじゃないかと思って断りました。だから、地方場所では若い衆と一緒に大部屋で寝ましたし、ほとんど無給状態だったので、自宅も家賃が安い所へ引っ越しました。

──かなりつらかったでしょうが、ハングリー精神は鍛えられますね。

豊ノ島 ちょうどその時期に携帯が壊れて、機種変更に行ったんです。年収を書く欄があったんで、「去年まではそこそこ収入があったんですけど、諸事情で今は少ないんです......」って店員さんに相談したんですけど、「今の年収を書いてください」って言われたので、仕方なく90万円と書いたんです。

そしたら店員さんに、「これだと審査が通らないので去年の年収でいいです」って言われて関取時代の年収を書いたら、店員さんに「何があったんですか!?」って驚かれましたね(笑)。

──相撲界の制度を知らない人にしたら、「この人、何をやらかしたんや!」って思いますよ(笑)。

■横綱よりも横綱相撲をしていた

──関取復帰まで紆余(うよ)曲折があったんですよね。

豊ノ島 十両が目前に迫った2017年3月場所の直前の稽古で、右足肉離れのケガをしてしまい、その場所は負け越したので落ち込みましたね。次の場所は幕下19枚目まで落ちたんですが、さすがにこの位置だったら対戦相手のレベルも下がるので勝てるだろうと思っていました。

でも初日からいきなり3連敗......。今思えば、受け身に回っても勝てるだろうという慢心があったのかもしれないですね。

──横綱相撲みたいな感覚になっていたんですか?

豊ノ島 いや、そのときは横綱よりも横綱相撲をしていたと思います。横綱でももっと踏み込むはずです(笑)。これではいけないと思い、「今場所の結果次第で進退を考えます」と師匠に伝え、「この位置でこんなに負けるんやったら、もう無理やわ。辞める覚悟をしといてくれ」と嫁さんにも言いました。

それで僕が相撲を辞める気持ちで自宅に帰ったら、そんなことを何も知らない6歳の娘が、僕の雰囲気を察したのか、「パパ、絶対に相撲を辞めないで」って言ってきたんですよ。驚きましたね。「これは辞められないな」と思いました。

──強烈な起爆剤ですね。

豊ノ島 それで奮起して3場所連続で勝ち越して、また十両に上がれるチャンスがある位置まで戻ってこられたんです。そしたら、その勝負の2018年1月場所の初日に、今度は左足の肉離れを起こしたんですよ。

■「神様はおらんのやろな」

──前回も十両に上がれる直前にケガをし、また直前にケガ......。どんな気持ちになりましたか?

豊ノ島 すごろくでゴール直前まで行ったのに、またスタートに戻るみたいな感じですよ。

──確かに、また振り出しに戻ってイチからケガを治さないといけないので、気力を振り絞るのが大変ですよね。

豊ノ島 そうですね。本当にそのときは「神様はおらんのやろな」と思いましたね。「もし神様がおったら、俺のことめっちゃ嫌いやん!」って(笑)。

──上がれる寸前まで泳がしといて、ガッチーンって落とすという(笑)。確かにひどいですね。かなりまいったんじゃないですか?

豊ノ島 このときは「さすがに無理やな」って思って、「気持ちを持っていかれへん」って嫁さんに漏らしました。でも、その場所で現大関の栃ノ心が優勝したんです。栃ノ心も以前、ケガで幕下まで下がったことがあって、そこから治して頑張って幕内初優勝まで持っていった。

それが励みになって、自分自身にもう1回だけチャンスを与えようと。でも、次にもし負け越したら引退だという覚悟を決めました。

──栃ノ心関に勇気づけられてもう一度、前を向いたんですね。

豊ノ島 ところが、なんとかケガを治したものの、進退をかけた次の3月場所の初日にまた受け身の相撲が出ちゃって、負けてしまったんです。そのときは本当に引退を覚悟しましたね。

そこで、自分の相撲人生の最後ぐらい、受け身の相撲じゃなく、前に出る相撲をしようと思ったんですよ。「それで負けたら納得いくやろう」と思って。そこから前に出る相撲を意識して取ったら6連勝したんです。

──引退を覚悟することによって、どこか吹っ切れたんですかね。

豊ノ島 でも、その後の場所も負け越したら引退すると決めていたので、2勝2敗になったときは「次に負けたらリーチがかかっちゃう」と考えてしまうんです。自分の引退会見の夢を見て、パッと目が覚め、「うわ! 引退したかと思った」と驚いたこともありました。そのくらい追い込まれていたんです。

──相当なプレッシャーだったんですね。しかし、その重圧を乗り越えて連続で勝ち越し、昨年9月場所も勝ち越しました。ほぼ十両復帰が決まったそのときの心境は?

豊ノ島 その時点ではまだ復帰が決定したわけではなかったのですが、4連勝で勝ち越しを決めて泣きましたね。その日に嫁さんが車で迎えに来てくれてたんですけど、乗った瞬間に嫁から「泣いたらしいね。なんで泣いてるの? まだ決まってないのに。気が早いやろ」って言われて。

「いや、そうやけど、安心して涙が出て」って言ったら、「いやいや、場所が終わらんとまだわからんやん」って......。嫁さんのほうがプロ意識が高いんですよね(笑)。

──奥さまは本当にしっかりされてますね。関取復帰が決定したときはどうでしたか?

豊ノ島 苦しかったときを支えてくれたのは嫁さんや娘なんで、関取に戻ったときには、恥ずかしいですが面と向かって感謝の気持ちを言おうと決めてたんです。「おまえが支えてくれたから、ここまでやってこられました。本当にありがとう」って。嫁さんはやっぱり2年半の間、つらかったんでしょうね。大号泣してました。

──目標どおり、うれし涙を流せましたね。

■横綱・白鵬のささやきに涙が止まらず

──いろいろな方にお祝いをしてもらいましたか?

豊ノ島 僕の十両復帰が決まった場所で、横綱の白鵬関が優勝したんですよ。その優勝のお祝いの席に呼んでいただいて、横綱から「今場所、すごい意気込みで頑張った力士がいて、見事に目標を達成できました」と、みんなの前で紹介していただいたんです。そのときに横綱と抱き合いました。そしたら、僕の耳元で「トヨ、まだ頑張ろうな」って......。

もうね、涙が止まらなくなりましたよ。抱き合いながら、「横綱って、やっぱり大きいな」と思い、感極まってずっと横綱を抱き締めていたんですけど、それがあまりにも長かったんでしょうね。後からその場面の写真を見せてもらったら、横綱が「もういいだろう」って顔でちょっと引いてましたね(笑)。

──さすがに抱擁が長いと(笑)。十両に復帰した昨年の11月場所は11勝4敗の好成績で、最後まで優勝争いを繰り広げました。自分の中で以前と何か変わったところはありましたか?

豊ノ島 僕はいつもすごく緊張するタイプで、場所を迎えるのが苦手なんですよ。でも昨年の11月場所はドキドキとワクワクの境目というか、いい緊張感を持ちながら、伸び伸びと相撲を取れました。こんな感覚は初めてでしたね。たぶん幕下に落ちていた2年半がきつすぎて、その反動から十両として相撲を取るのが楽しかったんでしょうね。

──今考えたら、その2年半は無駄ではなかったと?

豊ノ島 そうですね。自分はやっぱり相撲が好きなんだなという再確認ができたし、初心に戻れて、相撲としっかり向き合うことができました。幕内は取組が15番ありますが、幕下は7番しかないので1勝で状況が大きく変わる。そこで相撲の一番一番の重みを知ることができました。

──今後の目標は?

豊ノ島 まずは何よりも幕内に戻ることが一番の目標です。あと同学年の同期入門で昔から付き合いがある琴奨菊関と対戦したいですね。以前、彼はインタビューで「豊ノ島ともう一回対戦するまでは辞められない。一生懸命、頑張っているので、僕は豊ノ島が戻ってくるまで辞めません」って言ってくれたんですよ。

それから白鵬関も自分をずっと気にかけてくれていたんで、もう一回対戦して恩返ししたいです。

●豊ノ島大樹(とよのしま・だいき)
時津風部屋。本名は梶原大樹。現在の番付は十両五枚目。1983年6月26日生まれ、高知県宿毛市出身。身長169cm。体重166kg。得意技は左四つ、下手投げ。最高位は東関脇(12年5月場所)。座右の銘は「三年先の稽古」

取材・文/インタビューマン山下 撮影/藤木裕之

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