ペトル・チェフのアイスホッケー転身で宮澤ミシェルが振り返る、サッカー選手のセカンドキャリア

ペトル・チェフのアイスホッケー転身で宮澤ミシェルが振り返る、サッカー選手のセカンドキャリア

サッカー選手のセカンドキャリアについて語った宮澤ミシェル氏


サッカー解説者・宮澤ミシェル氏の連載コラム『フットボールグルマン』第124回。

現役時代、Jリーグ創設期にジェフ市原(現在のジェフ千葉)でプレー、日本代表に招集されるなど日本サッカーの発展をつぶさに見てきた生き証人がこれまで経験したこと、現地で取材してきたインパクト大のエピソードを踏まえ、独自視点でサッカーシーンを語る――。

今回のテーマは、サッカー選手のセカンドキャリアについて。元チェコ代表GKのペトル・チェフが、アイスホッケーのGKとしてデビューしたのを見て、「あらためてサッカー選手のセカンドキャリアについて考えさせられた」と宮澤ミシェルは語った。

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アーセナルやチェルシーで活躍して昨シーズン限りで現役を引退した元チェコ代表GKのペトル・チェフが、アイスホッケーのGKとしてデビューしたんだってさ。

2006年に頭蓋骨陥没の大怪我を負ってからはヘッドギアをしてプレーを続けたチェフだけど、引退後にまさかアイスホッケーのヘルメットをかぶる選択をしたのには驚かされたな。

ただ、転身の理由が「子どもの頃からの夢」って聞くと、アイスホッケーが盛んなチェコ出身らしいなと感じるよね。やっぱり子どもの頃に抱いた夢ってのは、ずっと心のなかに大きくあるものだからさ。

マイケル・ジョーダンだってバスケットで成功しながら、一時期は父親との夢を叶えようとメジャーリーグに挑戦したし、陸上界の頂点を極めたウサイン・ボルトもサッカー選手になる方法を模索したでしょ。

アスリートになる人たちは、挑戦が好きだからね。トップ・オブ・トップになれるかは運の要素も絡んでくるけれど、そもそも挑戦心がなければプロ選手にもなれやしない。だから、一生遊んで暮らせるほど稼いだとしても、気持ちのなかの挑戦したいという火は消えないし、引退しても新たな夢を見つけて、それに挑戦していくのだと思う。

とはいえ、引退後のセカンドキャリアは、プロで大成した選手と、道半ばでユニフォームを脱ぐことになった選手では状況はだいぶ違うからね。

最盛期には約7億円ほどの年俸をもらっていたチェフのように、残りの人生を遊んで暮らせるほどの大金を手にしていれば、新たな夢に挑戦するハードルは低い。だけど、そうじゃない選手が、第二の人生で新たな夢に挑むのは並大抵のことじゃない。生活だってあるわけだから。

そうなると、私のような解説業を含めて、引退後もサッカーに携わる仕事をする人は多いよね。子どもの頃からサッカーで培ってきた技術や知識、それに人脈だって生かせるわけだから。

だけど、サッカー選手を引退した後は、別世界に飛び込む人たちもいるんだよね。

フィリップ・トルシエ時代の日本代表だった都築龍太さんは、現在はさいたま市議。アテネ五輪代表だった高松大樹さんも現在は大分市議として働いている。

もしかしたら元サッカー選手だからってことで1度くらいなら当選するかもしれないけど、都筑さんは今年4月で2期目。日頃の地道な活動が認められているからこそ、選挙でトップ当選したんだよな。

起業して活躍している人もいる。ガンバ大阪をスポンサードしている株式会社SOUの代表取締役社長の嵜本晋輔さんは、もとはガンバ大阪の選手だからね。

サッカークラブの社長になった元選手といえば、コンサドーレ札幌の野々村芳和さん。慶応義塾大学を出て、95年にJEF市原へ鳴り物入りで入団してきた。

私の現役最後のシーズンに同じチームだったからね。思い出はいろいろあるし、"ノノ"の初ゴールをアシストしたのは、何を隠そう、この私だからね。まあ、正直言えば、ノノの初ゴールの記憶はあまりないんだけれど、ノノがそう言うんだから、そうなんだろうな(笑)。

彼は昔から先輩を頼るのがうまいし、先輩からも可愛がられるタイプだったんだ。そういう恵まれた資質に加えて、しっかりと経営者としての勉強もしたからこそ、いまのポジションを得たんだよね。

他競技に挑戦した選手で言えば、競輪界にはサンフレッチェ広島に田中マルクス闘莉王と同期入団した河野淳吾さんや、ファジアーノ岡山でプレーしていた竹内翼さんという元Jリーガー競輪選手がいる。

そういえば、久保竜彦は最近、塩づくりに携わっているらしいね。自由人な彼らしいセカンドキャリアを送っていて、羨ましくもあるよな。

私は現役引退後に縁あってサッカー解説者として歩んできた。でも、ふとした瞬間に「親父と同じ音楽の道を歩んでいれば......」と思うことがあるんだよね。

子どもの頃はピアノを習っていたけど、音楽家だった親父のレッスンの厳しさに耐えかねてサッカーに逃げちゃった。だから、そもそもサッカー引退後に音楽家という選択肢はなかったのだけど、それでも音楽の持つ力を考えると、サッカーよりも音楽を選んでいればと揺れるよね。

そうした思いや、親父から受け継いだ音楽への情熱は、ときどきカラオケで発散しているけどね(笑)。

この歳になって思うのは、ありきたりだけど、成功することも大事だけれど、チャレンジすることに意義があるってこと。人生100年時代。何歳になっても新たなチャレンジを続けていきましょうよ!

構成/津金壱郎 撮影/山本雷太

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