セルジオ越後、1972年当時の日本サッカーの話をしよう「僕の来日当時と比べると日本サッカーはよくここまで来たと感慨深いよ」

今の日本サッカーを見たときに、少しずつだけどいろんなものを吸収して世界に近づいてきたんだなと実感すると語るセルジオ越後氏

前回に引き続き、今週も僕の来日当時(1972年)の日本サッカーの話をしよう。僕は日本リーグの藤和不動産(J1湘南の前身)に加入したんだけど、やっぱり驚きの連続だったね。

特にデビュー戦の記憶は今でも鮮明に残っている。国立競技場での三菱重工戦、試合前に控室からピッチに向かう階段で観客席を眺めていたら、マネジャーが血相を変えて駆け寄ってきたんだ。「セルジオ、早く着替えろ。試合が始まるぞ」って。

僕は「まだお客さんが全部入ってないよ」と言いながら時計を見たら、試合開始15分前だった。リーグの関係者はたくさん入ったといって大喜びしていたみたいだけど、6万人近く入るスタジアムなのに2万人くらいしか入らないなんて、ブラジルでは考えられないこと。

しかも観客席にはユニフォームを着ている人も、旗を振っている人もいない。そもそも、どっちのチームを応援しているのかもわからない。静かにプレーに見入って、時々面白いプレーがあるとようやく小さな歓声が上がる。それまでに未体験の不思議な感覚だったよ。

チームの本拠がある宇都宮のスタジアムも大変だったね。冬になるとピッチに霜柱が立って、試合中に溶けだしてだんだんグチャグチャになってきてラインが消えるから、PKかPKじゃないかで必ずモメる。ハーフタイムに引き直してもすぐに消えて、今度はゴールキックかコーナーキックかでモメる。

設備も不十分。シャワーでお湯が出ないのは当たり前。国立競技場でもお湯が出ないときがあった。でも、西が丘(味の素フィールド西が丘)だけは別格。あそこには広めのお風呂があって、冬の試合のときは試合終了と同時に皆でユニフォームを着たまま、スパイクを履いたまま飛び込んだね。

試合中にも信じられないことがたくさんあった。あるとき、僕が出したノールックパスを、受け手の選手がビックリしてミスをしたら、監督に「セルジオ、ああいうパスは出すな。しっかり相手を見て出せ」と言われたんだ。それじゃあ、ノールックパスの意味がないよね。受け手の選手がこっそりと「セルジオ、もう1回出して。次は大丈夫だから」と言ってくれてホッとしたけど。

また、僕は試合中に足の裏やヒールキックを多用していた。そういうプレーをするとお客さんが喜ぶからなんだけど、監督やコーチは面白くなかったみたいで、若い選手に「おまえたちはまねするな」と言っていた。自分が教えられないプレーをする僕は嫌われていたのだと思う。

それでも、僕のいたチームは冬になると雪でグラウンドが使えなくなるから体育館で練習していて、必然的に狭いスペースでのプレーを求められるから、チームメイトはみんな僕のテクニックをまねしていた。指導者はともかく、チームメイトは考え方が柔軟だったね。

遠征も大変だった。北九州での試合には、3段ベッドの夜行列車も使って18時間かけて移動。北九州に着いたときには3人くらい風邪をひいていた。旅館も4人部屋、6人部屋が当たり前。片道18時間だから欧州に行くよりも遠い。今でいう完全アウェーだ。

でも、そういう時代を経験したからこそ、今の日本サッカーを見たときに、少しずつだけどいろんなものを吸収して世界に近づいてきたんだなと実感するし、感慨深いものがある。決して満足してはいけないけど、よくここまで来たと思うよ。

構成/渡辺達也

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