村田兆治氏「投げられないときはいつも山道を40km走った」

村田兆治氏「投げられないときはいつも山道を40km走った」

マサカリ投法で活躍した村田(時事通信フォト)

 日本球界12年ぶりの白星を挙げ、すでに3勝をマークした中日の松坂大輔(成績は6月13日現在)。松坂は2011年にトミー・ジョン手術(※フランク・ジョーブ医師によって1974年に考案された肘の側副靭帯を再建する手術。初めてこの手術を受けた投手にちなんで名付けられた)を受けた。同じ手術を1983年に受けたのが“マサカリ投法”で215勝を挙げた元ロッテ・村田兆治(68)だ。

「松坂がどれだけ見えない努力をしてきたか、私にはよくわかります。術後はスポンジを握るだけでも指がむくんだ。投げられないときはいつも山道を40キロ走った。また先発完投して勝てるようにならなければと必死だった」

 復帰後、村田は6年間で59勝。41歳まで投げ続けた。1985年4月14日の西武戦で1073日ぶりの勝利を挙げたとき、普段は無愛想な同僚・落合博満が、くしゃくしゃの笑顔で走り寄ってきたという。

「試合後もアイシングのためトレーナーが遅くまで残ってくれるなど、スタッフに支えられた。松坂も感謝を忘れないこと。野球ができているのは、ソフトバンクとファンのおかげなんですから。復活というにはまだ早い。オールスターでは9連続三振を目指してほしいね」(村田氏)

 打者の復活劇も記憶に残る。村田のライバル、元南海の門田博光(70)は1979年のキャンプでアキレス腱を断裂してシーズンを棒に振った。しかし翌1980年に41本塁打を放って復活した。1981、1983年には本塁打王を獲得。1988年には44本塁打、125打点で二冠に輝き「不惑の大砲」と呼ばれた。

「“ホームランを打てば全力で走らなくていい”と自分を鼓舞しましたね。引退まですべての生活をリハビリに費やした。電車通勤で足を鍛え、朝から足を風呂で温めた。地味な努力の積み重ねです」(門田氏)

 元中日の谷沢健一(70)はプロ9年目の1978年頃、持病のアキレス腱痛が悪化。選手生命が危ぶまれたが、1980年に打率3割6分9厘で2度目の首位打者に輝いた。

※週刊ポスト2018年6月29日号

関連記事(外部サイト)