高校球児に品格を押し付けすぎるのもハラスメント?

高校球児に品格を押し付けすぎるのもハラスメント?

この夏、大いに盛り上がった高校野球(撮影/藤岡雅樹)

 作家の甘糟りり子氏が、現代の「ハラスメント社会」について考察する。今回は、例年以上に盛り上がりを見せたこの夏の甲子園を振り返る。

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 金足農業旋風一色だった、今夏の第100回全国高校野球選手権大会。私も御多分にもれず、地元の代表・横浜高校が劇的な逆転をされた「かたき」(といういい方もおっかないけれど)だというのに、「こうなったら金足に優勝してもらいたい!」とテレビの前で声援を送っていた。

 横浜高校のような選りすぐりの野球のエリート軍団を、部員全員が地元出身の公立高校野球部=いわば雑草たちが撃破してくのが、世の中の欲求にハマったのではないだろうか。農業高校という地に足が着いたイメージもよかった。金足ナインが背をそらして力の限りに校歌を歌う姿は、私たちが高校野球に求める「ひたむきさ」「さわやかさ」を存分に体現していた。見ているだけで胸が熱くなった。

 とはいえ、私は金足に限らず、そうした自分にない要素を高校野球に見つけ、心を動かされる度に、これってちょっと怖いことなんじゃないかとも思う。彼らに対して無条件にピュアでいることを押し付けている気がして。

 創志学園の2年生エース西純矢投手も注目の投手だった。最速150キロという球の速さだけでなく、派手なガッツポーズも話題となった。確かに、三振を取ると、雄叫びをあげたり、マウンド上でステップを踏んだり、右腕でリズミカルにポーズを取ったりする場面は度々見られた。中にはかなり大げさな仕草もあって、プロレスみたいだなあと感じるものもあった。しょっちゅう帽子が落ちるのも派手さに拍車をかけていたのかもしれない。それだけ身体を回して投げているのだろうけれど。

 2回戦の対下関国際では、序盤に球審から「必要以上にガッツポーズをしないように」と注意を受けた。それで動揺してリズムを崩し、9四死球を出して負けた。

 派手でもプロレスみたいでもいいじゃないと私は思う。ピンチでも笑顔だった吉田輝星選手がいる一方で(大阪桐蔭相手にはさすがに笑顔が消えていたけれど)、ああやって緊張を解き、自分を鼓舞するスタイルの投手がいるのもおもしろい。プロ野球じゃないんだから、おもしろいなんていっちゃいけないのかな? でも、さわやかでピュアな個性しか認めないのは「教育上」だって良くないんじゃないだろうか。

 否定派には相手に対してのリスペクトに欠けるという人がいるようだが、別に中指立てたわけでも唾を吐いたわけでもないし、いうほど下品だろうか? 上品ではないというだけである。別になんでもかんでも品がなければならないというわけではない。

 ガッツポーズで余計なエネルギーを消費するのは投手として損という意見もある。もしそうだとしても、それは当の本人と監督が判断すればいいことだ。世の中が強制することではない。だいたいああやって緊張を解いたほうが投げやすいなら、必要なエネルギーではないだろうか。

 違う競技に当てはめてガッツポーズを論じるのは野暮だが、現在公開中の『ボルグ・マッケンロー 氷の男炎の男』という映画がある。テニスファンならご存じの通り、マシーンとまでいわれる程の冷静さが個性のビヨン・ボルグと、審判や観客に悪態をつきまくって悪童とあだ名をつけられたマッケンローの、1980年ウィンブルドンでの決勝戦を描いたものだ。まさしく氷と炎のような真逆の個性のぶつかり合いは、その後のテニスブームのきっかけとなった。この作品を見れば、その理由がわかると思う。

 西投手のガッツポーズを通して。個性を尊重することの尊さを改めて考えた。高校野球だからといって、「さわやかさ」「ひたむきさ」を押し付けるのは彼らに失礼である。

 二十年近く前、朝日新聞のスポーツ面で高校野球についての現地取材&エッセーの依頼があり、ほぼ同じ結論を書いたら、便箋十枚にも及ぶ抗議の手紙がきた。「お前には高校野球を見る資格はない」とかなんとか。そこそこ年配の男性で元新聞記者と自己紹介があったが、あの人は派手なガッツポーズを連発する西投手に対しても今回やっぱり憤慨しているのだろうか。

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