孤立深める貴乃花親方 昭和の大横綱・大鵬の悲運を想起

試練続き貴乃花親方に「大鵬の悲運」想起も 日馬富士暴力事件では八角理事長らと対立

記事まとめ

  • 貴乃花親方が8月21日、若手力士を指導中に突然意識を失い痙攣を起こし、搬送された
  • 日馬富士による貴ノ岩への暴行事件対応を巡り、八角理事長ら執行部と激しく対立した
  • 貴乃花親方の現状からは「昭和の大横綱・大鵬の悲運」が想起されるという

孤立深める貴乃花親方 昭和の大横綱・大鵬の悲運を想起

孤立深める貴乃花親方 昭和の大横綱・大鵬の悲運を想起

平成の大横綱は大鵬の悲劇を繰り返すのか

「一兵卒に戻って後進の育成に邁進する」──出直しを誓った貴乃花親方がさらなる試練に直面している。「協会改革」を掲げる平成の大横綱が、親方として再起を目指す道は一層、険しいものになりそうだ──。

 貴乃花親方が若手力士の稽古指導中に倒れたのは、8月21日。巡業先の秋田でのこと。審判部員の1人として巡業に同行していた貴乃花親方は、炎天下の山稽古で幕下の貴健斗を相手に股割りの指導をしていたとき、突然意識を失って仰向けに倒れ、痙攣を起こした。

 周囲の呼びかけにも反応しなかったが、救急車が到着した時点では意識を取り戻し、翌日には退院。東京へ戻って精密検査を受けたという。

 秋田で倒れるまでの間、貴乃花親方は巡業先で存在感を見せていた。

「どこに行っても、朝稽古に貴乃花親方が姿を見せると大歓声が沸き、取組で審判席に登場するとまた客席が沸く。サインや記念写真の撮影には、横綱の白鵬や稀勢の里も霞むほど、ファンが長い列を作る。改めて貴乃花親方の人気は凄いと感じた」(協会関係者)

 一方で、昨年秋の巡業中に起きた横綱・日馬富士(当時)による貴ノ岩(十両3)への暴行事件の対応を巡って八角理事長(元横綱・北勝海)ら執行部と激しく対立し、協会の中では孤立を深めてきた。

「再起を期す焦りもあったのではないか。倒れた日に限らず、巡業中は連日のように、部屋の若手力士を直接、熱心に指導していた。3月場所では当時十両だった弟子の貴公俊(たかよしとし)が付け人への暴行事件を起こし、親方として降格処分を受けただけでなく、世間からの風当たりも強くなった経緯がある。信頼を取り戻すには、何よりまず実力のある弟子を育てることだと考えているのでしょう。

 暴行事件後の休場で大きく番付を落としていた貴ノ岩が先場所、親方の期待に応えて十両優勝を果たしたが、“次の関取を早く育てなければ”という思いがあったのではないか」(同前)

◆壁を見たまま……

 復活を目指す貴乃花親方にとって、状況が厳しくなっていることはたしかだ。一連の騒動を経て、貴乃花親方は、3か月の間に理事から5階級も降格させられ、現在はヒラ年寄だ。その間に同志との距離も少しずつ離れていった。

 2月の理事選では一門の代表を阿武松(おうのまつ)親方(元関脇・益荒雄)に譲り、その後、一門の名前から貴乃花の名称を外すことを決断した。それを受けて発足した阿武松グループとも今は距離を置いている状況だ。

 さらに、“身内”との関係にも変化が生じている。

「2月の理事選での貴乃花親方の得票は『2票』だった。本人の他に唯一、陣幕親方(元前頭・富士乃真)だけが貴乃花親方に1票を投じたとされています。陣幕親方は、敵対陣営である八角部屋の部屋付き親方という立場ながら、長女が貴乃花親方の長男と結婚して親戚になったことで、支援する関係になったといわれていた。

 ところが8月に入って、その長男夫婦の別居報道が出た。今もお互いの信頼関係は変わらないといわれている一方で、“陣幕親方が貴乃花部屋の部屋付きに移籍する”という話がずいぶん前からあるのに、実現しない。ついに最後の1人まで離れたという情報も流れている」(担当記者)

 7月の名古屋場所では、審判部の控室でも壁を見たまま、かつて盟友と言われた玉ノ井親方(元大関・栃東)や浅香山親方(元大関・魁皇)らとも必要最小限の言葉しか交わそうとせず、4日目の取組後に市内で行なわれた阿武松グループの集会にも姿を見せなかった。

「執行部をはじめとする協会主流派の親方衆からすれば、貴乃花親方が世間の信頼を取り戻し、再び角界の慣習や既得権にメスを入れるような改革をブチ上げられては困る。貴乃花親方が孤立し、“理事復帰”など望むべくもない状況になっているのは都合がよく、そこにきて今回の体調不良。“執行部に歯向かってストレスを抱えたなら自業自得”“理事への復帰がさらに遠のいた”と、心の中でほくそ笑んでいる幹部がいておかしくない」(若手親方の一人)

◆「健康不安」は“都合がいい”

 想起されるのが「昭和の大横綱・大鵬の悲運」だ。

 32回の優勝回数を誇る第48代横綱・大鵬幸喜は1971年に引退。5年後の1976年には35歳で役員待遇となり審判副部長に抜擢されたが、翌1977年に脳梗塞を発病。これで理事長への道が断たれたといわれている。

「左半身に軽いマヒが残ったため、優勝賜杯を手渡すのは難しいと判断されたという話になっています。しかし実際のところは、違うと考える関係者が多い」(ベテラン記者)

 本当の理由は協会内の権力闘争に敗れたことにあったとみられているのだ。

 大鵬が引退したときの一門理事には師匠の二所ノ関親方(元大関・佐賀ノ花)と初代若乃花の師匠の花籠親方(元前頭・大ノ海)がいた。

 1975年に二所ノ関が亡くなり後継問題が起こった際、一門内では大鵬親方ではなく二子山親方(元横綱・初代若乃花)が理事に指名された。その後、二子山親方は春日野理事長(元横綱・栃錦)と手を組んで協会を運営し、理事長を禅譲された。

 絶大な人気のあった大鵬親方が理事長の椅子に届かなかった理由として、脳梗塞での「健康不安」がちょうどよかったというのである。

「現役時代の実績も、ファンからの人気も申し分ない貴乃花親方を協会の要職から遠ざけるために『健康不安を抱えて職責を果たせない』という理屈が都合よく使われてしまうのではないか」(前出の協会関係者)

 そんな懸念の声もあがる。協会内の勢力争いは、新たな局面を迎えている。

※週刊ポスト2018年9月7日号

関連記事(外部サイト)