元横綱・輪島氏の豪快伝説「銀座は高速のSAみたいなもの」

元横綱・輪島氏の豪快伝説「銀座は高速のSAみたいなもの」

「黄金の左」でファンを沸かせた(共同通信社)

「自分の好きな車に乗って、自分の好きな店で飲んで、自分の食べたいものを食べる。お金がもったいないとか考えたら、番付が下がってしまう。そんなふうに考えていたね」

 10月8日に都内の自宅で亡くなった第54代横綱・輪島の輪島大士氏(享年70)が、生前に語っていた言葉だ。本誌・週刊ポスト記者の手元には、2010年3月に当時の横綱・朝青龍が一般人への暴行事件で引退勧告を受けたあと、輪島氏に見解を聞いた時の音声データが残っている。

 輪島氏は「黄金の左」と呼ばれた左差しからの強烈な攻めを武器に、学生相撲出身力士として唯一、横綱に昇進。横綱・北の湖とともに「輪湖時代」を築いた。

 移動はド派手な「リンカーンコンチネンタル」で、腕時計や衣類も高級ブランドで揃えた。場所中も毎晩のように銀座に立ち寄って有名人と酒を飲んでいたことが批判もされたが、本人は明るく振り返っていた。

「15日間も相撲をとっていると欲求不満になるわけです。だから、懸賞金が入ると“飲みに行こう”となる。当時、(花籠)部屋が阿佐ヶ谷にあったので、(国技館に近い)駒形(IC)から首都高に乗ると途中に銀座があるからね。私にとって銀座は、高速のサービスエリアみたいなものなんです。決まった店にしか行かないので、そんなに金を使ったわけじゃない」

 1973年の九州場所では、初日から12連勝後に右手を負傷し、13日目は黒星、残りの2日間を休場しながら、「12勝2敗1休」での“休場優勝”を果たした唯一の力士でもあった。

「千秋楽に病院で男子ゴルフの『ダンロップフェニックス』の放送を見ていたら、テロップでいきなり、〈輪島優勝〉と出て驚いたよ。看護師が“理事長から電話です”というから、てっきりタニマチのゴルフ場の理事長かと思って出たら、相撲協会の理事長だった。『これから大銀杏結って来てほしい』といわれて慌てて会場に向かったんだ」

 実際にはこの時、13日目の時点で優勝は決まっていたので、“輪島流ジョーク”だったのだが、その豪放磊落なキャラクターがファンには愛された。

「ある年の九州場所前に、こっそりゴルフをしていたら、前の組に打ち込んでしまった。謝りに行こうとしたら、(春日野)理事長と師匠(花籠親方)がラウンドしていてね。慌ててハーフでスパイクを脱いで帰ったよ(苦笑)」

 ただ、相撲に真摯に取り組む横綱でもあった。だからこそ、強かった。

「遠山の金さんが遊び人を装っていたのと同じように、私も稽古には精進した。稽古して勝てば、遊べるわけだからね」

 魅力的な人柄でファンの注目を集め続ける、不世出の国民的スターだった。

※週刊ポスト2018年10月26日号

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