星稜・林和成監督「松井世代に続く第3期黄金時代をつくる」

星稜・林和成監督「松井世代に続く第3期黄金時代をつくる」

星稜高の林和成監督は松井秀喜氏の1学年下(写真:マスターズスポーツマネジメント)

 いよいよ開幕する春の選抜高校野球。大会初日の第3試合で履正社と対決する星稜高校には甲子園の歴史を彩ってきた伝説の試合がある。箕島との延長18回や松井秀喜氏の5打席連続敬遠…。しかし、春夏合わせて31回出場を誇る名門校は、まだ一度も全国の頂点に立ったことがない。高校大学球児向けフリーマガジン「サムライベースボール」の発行人である古内義明氏が、名将・山下智茂監督(星稜高校野球部名誉監督)から2011年にバトンを受け継いだ林和成監督に、ドラフト1位候補の奥川投手、先輩・松井秀喜、そして全国制覇への決意について訊いた。

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 昨年、北陸地方を襲った大雪が嘘のようだった。「この時期に、こんなに良いグランド状態は珍しいですよ」。名将・山下智茂の息子で、部長の山下智将はトラクターを巧みに操って、黒土が敷かれたグランドを丁寧に整備していた。ほどなくして姿を現した林監督は、高1の夏の甲子園ベスト4、翌2年の夏は松井秀喜氏と三遊間を組んだ。日大を卒業後、1998年よりコーチ、部長、監督を歴任し、星稜の伝統を守り続けいている。

──3季連続甲子園出場は、林イズムが確実に浸透してきた証ですか?

林監督「強豪の星稜中学校からの進学してくる生徒と、高校から入学してくる生徒の2通りの強化の仕方がありますが、その流れがうまくいっていると思います。新チーム発足から数か月でチームを作り上げていくのは大変難しいことです。私自身も秋に新チーム発足してから勝てないことが続いていました。夏の甲子園に、5人の1、2年生が出場している年があり、周囲からも、「秋の大会は間違いなく優勝狙えるね」と言われていましたが、北信越大会の初戦で敗退してしまったことがあります。その時の反省が今に生きていると思います」

──その秋季大会で、勝てるようになった要因はどこにあるのでしょうか。

林監督「夏の完成したチームのイメージが残っていて、細かい点を含めて出来ないことに対して、叱ることが多かったです。夏の完成したチームのイメージで指導していたので、当然私の要求の質も高くなりますが、生徒たちはそれが理解できず、生徒と私の距離感がうまくかみ合わなかったことがありました。そこで、荒山善宣コーチ(同校OB)から、『少し目線を下げてみてはどうだ?』とアドバイスされ、いきなり完璧を目指すのではなく、伸ばせるところをまず伸ばしていこうと考えるようになりました。叱る回数、細かい点についてもあまり言わないようにして、飲み込むところはぐっと飲み込むようになりました。どんどん成功体験を植え付けるイメージで接するようにすると、新チームが秋の大会でグンと成長していく姿を見たように思います」

──「自立」したチーム作りを目指すということでしょうか。

林監督「『自立』と言うのは私の中での一つのキーワードです。信じるところは信じたり、生徒たちだけの力だけで、問題点や改善点を考える時間を作ってあげたりしました。1から10まで言わないように、心掛けるようにしました」

──星稜中学校が強いのもメリットなのでは?

林監督「しっかりと教育してくれるのでありがたいです。中学の方が厳しいくらいなので、やんちゃな生徒は高校まで上がって来ません」

──考えるという点においては、山瀬慎之介主将を中心にミーティングを重ねたのでしょうか。

林監督「3、4年前から、昼休みにキャプテンに練習メニューやポイントを練習前に伝えるシステムにしました。キャプテンが練習を引っ張り、チームをまとめるようにすると、キャプテンの仕事量も必然的に増えてきて、山瀬は迷ったり、うまくいかなくなったりすることが多かったようです。私以上に、キャプテンと選手の距離感がうまくいかない期間が長かったようですが、それを乗り越えていくことで、山瀬と選手たちの互いの理解が深まったと思います。その結果、北信越大会や明治神宮大会の結果に繋がったと思います」

 新チームには、プロ注目のエースの奥川恭伸、と正捕手の山瀬のバッテリーの存在感が際立ち、「日本一のバッテリー」の呼び声も高い。秋の全国大会に位置づけられる明治神宮大会では、松井秀喜氏を擁した1991年以来の優勝は逃したが奥川の名前を全国に轟かせるに、十分な投球を披露した。奥川と山瀬は小学校2年生からのチームメイトで、宇ノ気中学時代は全国中学校軟式野球大会で全国優勝。中学日本一のバッテリーは揃って星稜に進学し、林監督の下、高校でも日本一を射程距離に捉えている。

──今年のチームを一言で表すと?

林監督「今年のチームはまだ完成しきっていないので、現時点ではまだ言い表せません。去年のチームは一番素直さがあったチームでしたが、今年のチームは秋の大会から一番伸びた学年だったと思います。チームのキャッチフレーズは、毎年選手が自分たちで決めて、今年は、『一味同心』にしました」

──このチームの一番の長所はどこですか。

林監督「野球の理解度が高いことと、よく練習することの2点です。選手の理解度が高いので、吸収が早いです。吸収が早いので、成長に繋がります。また練習についてはキャプテンの山瀬が一番練習します。それを選手たちが見て、放っておいても自主練習を行っています」

──選抜では一番の注目を集めるエースの奥川投手の成長具合は、いかがですか?

林監督「ここまで順調に経験を積みながら、いい成長をしてきたと思います。1年生の時は頼りない面もあり、投げさせていませんでした。その秋の決勝戦で、日本航空石川高校にメッタ打ちにされ、その悔しい経験が冬の練習に取り組む姿勢に表れたと思います。2年春、4安打完封でその日本航空石川に雪辱を晴らし、一つステップを踏みました。さらに、昨夏のU18の代表合宿で明治大学を相手に投げてみて、『上のレベルではまだまだ通用しない』と感じたと言っていました。

 甲子園やU18の投球ビデオを見て、荒山コーチと共に1か月半で投球フォームを改良していきました。アドバイスにも聞く耳を持ち、素直に吸収して良くなっていくのが奥川だと思います。その後に、彼の集大成として神宮大会の初戦の広陵高校戦での結果に繋がったと思います」

──林監督から見て、奥川投手の強みはどこでしょう。

林監督「バッターと勝負が出来る点です。150キロのストレートが速いのはもちろん凄いことですが、1年生で入ってきた時からバッターと駆け引きが出来ていました。普通の高校生なら、どの球でストライクを入れよう、どうやってかわす投球をしようなどを考えるところが、奥川は打者によって、力を抜いたり、ギアを入れたりできるクレバーな投手です。その能力は群を抜いてうまい投手ですし、バッターの顔色を見ながら、勝負できる能力には、驚きました」

──力感のないリラックスしたフォームから、腕の振りがとにかく速いという印象です。

林監督「コーチの意向で、投球フォームについては口酸っぱく言っています。無駄な力を入れないことが大事なことだと思います。力感なく、良い回転で放ることが球速以上に大事なことで、この冬は球種を増やすなどせずに、今持っている球種を磨いてきました」

──他に、今回の選抜で結果を残してもらいたい選手といえば誰でしょう。

林監督「1番を打つ東海林航介です。奥川一人では、失点を少なくするにも限界があるので、1番打つ確率が高い東海林の活躍は不可欠です」

 昨夏の甲子園は100回記念大会ということもあり、異様な盛り上がりの中、開催された。開幕カードは松井秀喜氏が始球式を行うことが決まっていた。抽選会でその開幕戦を引き当てたのは星稜だった。当時2年生エースだった奥川は、「石川県民にとって、松井さんは伝説の人です」と、間近でその始球式を見ていた。

 1塁側ベンチ前で整列していた林監督にとって、松井氏は1学年上の先輩でもあり、尊敬すべき偉大な野球人だ。事ある毎に連絡を受け、「選手よりも、林の方が心配だよ」と激励を受けている仲でもある。

──このオフの期間は、どこに重点を置いて練習していましたか?

林監督「体を大きくすることが一つで、あとは秋に感じた課題のバッティングです。私が就任してから8年、打ち勝つ野球を理想とし、どんなピッチャーからでも5点以上取ることを目標としています。特に今年の冬はバッティングに重点を置いて強化しました。冬場は、室内練習場という限られた中で、ティーバッティングが練習の基本となります。そこで、様々な種類のティーバッティングを取り入れながら取り組んできました」

──星稜の名物練習といえば何でしょう。

林監督「山下名誉監督の時代から夏の予選前の6月の間に練習時間のほぼすべてを使ってやるノックです。いまも1塁と3塁に私と部長が分かれて、取れるか取れないかのところにずっとノックを打ち続けます」

──現在建設中の新しい寮が完成したら、また追い風になりますね。

林監督「1学年25人ぐらいが、冬場に室内練習場を回すことが出来る最適な人数だと思うので、増やす考えはありません。現在、県外の生徒は3割いかない程度で、基本的には地元の生徒が多いです」

──松井秀喜さんのエピソードを聞かせてください。

林監督「小学生から、あの黄色いユニフォームに憧れていましたし、入学したら、身体が他の選手とは違う松井さんがいました。テレビで見るように、裏表のない紳士的で温厚な人でした。自主練習は人前では絶対にしない人でした。甲子園に行くと、公園で集まって素振りすることがありましたが、松井さんだけは公園の隅の方で黙々と集中して素振りしていた思い出があります」

──1992年、夏の甲子園で起きた5打席連続敬遠は、グラウンドでどう見ていましたか?

林監督「私は一学年下でショートを守っていました。3打席目ぐらいまでは、敬遠についてあまり深く考えていませんでしたが、4打席目2死ランナー無の時に、明徳義塾さんが敬遠をして、初めてこれは徹底していると思いましたし、甲子園が異様な雰囲気になりました」

──生徒たちに、その頃の話はされますか?

林監督「ほとんどしません。それでも、昨年、大会初日の第1試合のカードを引き当てた時は、『まさか!』と思いました(笑)。松井さんにはいつも気にかけて頂き、昨年は甲子園出場の差し入れに、パーカーを頂きました」

 明治神宮大会の決勝で、札幌大谷高校に敗退するまで、石川県大会から北信越大会まで1試合平均6点以上の強力打線と、エース奥川と左腕・寺沢幸多を中心とする総合力で勝ち上がってきた。選抜大会前の前評判も当然高く、初戦は、履正社との優勝候補対決となった。初陣を白星で飾れれば、勢いに乗って、同校初、そして平成最後の選抜優勝も見えて来るだろう。

──9年目を迎えて、監督としての信条は?

林監督「私は山下先生の教えを受けてきましたので、山下先生の『耐えて勝つ』は大事にしています。恵まれた時代に生まれてきた子どもたちが、野球通じて逆境や追い込みに耐えることを大切にして欲しいと思っていますし、常にその考えはしっかり説明しています」

──ベンチに掲げてあるスローガンの中に、「第3期黄金時代をつくる」とあります。

林監督「第1期は山下先生や小松辰雄さん(元中日ドラゴンズ)の甲子園で延長18回を戦った時代、第2期は松井秀喜さん(元ニューヨーク・ヤンキース)や準優勝に輝いた平成最初の時代、その後勝てない時期が続いたので、第3期黄金時代をつくろうということで掲げました。去年のベスト8や神宮大会準優勝など、下地が徐々に出来つつある中で、この選抜で結果を残して集大成にしたいと思っています。そして、それがずっと続くようにしていくのが究極の目標です」

──初の日本一についての思いを。

林監督「皆さんから評価をいただいて、このチームは日本一を狙える位置にいると思っています。その一方で生徒たちには、『選抜32校のうち10番目ぐらいの力だよ。まだ見ぬ強い敵もいるし、分かっていると思うけど、(明治神宮で勝ったけど)広陵の方が力を持っていた』と、話しています」

──選抜でマークしている高校はどこでしょう。

林監督「広陵が一番嫌です。あとは横浜を始め、左投手の良いチームが怖いので、左投手対策をしっかりしてきました」

──甲子園を経験して、全国で勝ち抜くには何が必要だと考えますか?

林監督「甲子園に出場する前から、打てなければ勝てないということです。夏の甲子園の1点の重みは地方大会の3点に相当すると思います。野球にミスは付き物ですが、いかに無くしていくかも大事なことだと思います」

──最後に、平成最後の選抜ですが、決意をお聞かせ下さい。

林監督「この年に結果を残したいです。選抜は投手が良ければ勝てるというのは、もう古いと思います。選抜も打たないと勝てないので、しっかり対策をして、臨みたいと思っています!

【PROFILE】
林和成(はやし・かずなり)/1975年7月23日生まれ。1学年上の松井秀喜氏と1991年夏、1992年春夏と甲子園出場、1998年から星稜高校コーチに就任し、2004年部長となる。2011年からは星稜高校監督となり、2013年、2014年、2016年には夏の甲子園出場を果たす。春の選抜は2年連続で、同校悲願の日本一に挑む。

古内義明(ふるうち・よしあき)/1968年7月7日生まれ。立教大学法学部卒、同時に体育会野球部出身。高校・大学球児向け「サムライベースボール」発行人として、これまで数百校の高校を取材し、アマチュア関係者と独自の人脈を構築。近著に、『4千分の1の名将 新・高校野球学【関西編】』(大和書房)がある。(株)マスターズスポーツマネジメント代表取締役、テレビやラジオで高校野球からメジャーリーグまで多角的に分析する情報発信。立教大学や早稲田大学エクステンションコースでは、「スポーツビジネス論〜メジャーの1兆円ビジネス」の教鞭を執る。

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