馬淵監督も困惑する“中学生の明徳離れ”、内部生10人流出

馬淵監督も困惑する“中学生の明徳離れ”、内部生10人流出

甲子園常連校で何が?

 第91回センバツの最中、高知県の谷間にある明徳義塾高校のグラウンド「野球道場」では、1992年夏の甲子園で当時、星稜高校(石川県)の4番だった松井秀喜氏への“5打席連続敬遠”で知られる智将・馬淵史郎監督(63)の溜息がもれていた。

「わしも引き留めはしたんやけど、よその学校に行きたいというのなら仕方ない。選手を鍛え上げて強くするのではなく、素材の良い選手を集めたところが甲子園で勝つ。高校野球が面白くなくなってきておる」(馬淵監督、以下同)

 昨年度、中高一貫校の明徳義塾の中学軟式野球部にはふたりの3年生スーパー球児がいた。小学生時代に福岡ソフトバンクジュニアに選ばれた長崎出身の選手で、既に143kmを記録している右の豪腕。もうひとりは左腕兼一塁手の「二刀流」で、主将としてもチームを牽引した京都出身の選手だ。

 いずれもテレビ番組への出演経験もあって名前は全国区。昨夏、明徳義塾を訪ねた際には、甲子園通算48勝の馬淵監督も、ふたりの入学を心待ちにしていた。

 ところが昨秋、両選手は高知を離れ、それぞれの地元に帰り、公立中学に入り直したという。明徳義塾では、他の高校に進学する場合、卒業を待たずに学校を辞めなければならないルールが存在する。

 右腕は昨年2度目の春夏連覇を達成し、高校野球の一強時代を築く大阪桐蔭に、左腕は工藤公康(現福岡ソフトバンク監督)やイチローを輩出した愛知の名門・愛工大名電に進学することが明らかになった。

「せっかく3年間をここで過ごしたんやから、もう3年間、明徳で過ごして花を咲かせたらどうや、という話はしました。でも、『よその方が強いから』と言われたら、こちらは何も言いようがない。親御さんの意向もある。隣の芝は青く見えるんやろうね……」

 もちろん、進学先の選択は選手の自由であり、勧誘も各校の自由競争だ。だが、将来有望な2選手の転出は、チームメイトにも動揺を与える。明徳を離れる球児が続出し、最終的にその数は10人ほどにのぼったという。球児に振られた形になった馬淵監督のショックも大きい。

「彼らの大半は高校でレギュラーになることは難しかったかもしれない。2人がいないなら、明徳で野球を続けても面白くないと思ったんかな……それはわしにもわからない」

 馬淵監督の実績は疑うべくもない。2002年には夏の甲子園で初めて全国制覇を遂げ、2011年の春のセンバツで日大三高(東京)に負けるまで甲子園で20大会連続初戦勝利という驚異の記録も保持している。

 一時こそ“5連続敬遠”の影響でファンからも敬遠されてしまった感のある馬淵監督だが、今なおマスコミからの人気は絶大だ。勝っても負けても歯に衣着せぬ物言いで試合を論じ、記者はまるで坊主の説法を聞いているような感覚に陥る。そして、取材が終了すると、必ず最後に「帰って練習します」と口にし、甲子園を後にする。

 そんな馬淵監督率いる明徳義塾も、近年は初戦で敗れることもあり、甲子園制覇も一度きり。日本一を目指すだけでなく、プロ野球選手を現実的な目標に据える有望中学生たちは、大阪桐蔭を筆頭に、横浜、愛知の名門私立などに集まる印象がある。そもそも高知駅から1時間弱もかかる人里離れた谷深い狭い空間で、野球漬けの日々を送ること自体、現代の球児から敬遠される要素となっているのかもしれない。

「そうは思わんよ。ここ3年、明徳から3人(2016年古賀優大・ヤクルト、2017年西浦颯大・オリックス、2018年市川悠太・ヤクルト)がプロに入っているし、甲子園でも成績を残しているんやから」

 明徳離れの背景には、同じ県内のもうひとりのスーパー中学生の存在があったかもしれない。高知中学3年生だった昨年度、一般的に硬式球よりも球速がでにくい軟式球で、150kmを記録した豪腕・森木大智。今春、彼は全国の強豪校からの誘いを断り、そのままエスカレーター式に高知高校に進学することを決めた。

 2010年から春夏どちらかの甲子園に必ず出場してきた明徳義塾も、今後は高知で苦戦を強いられるのではないか――そういう判断が、明徳を離れた球児たちにあったのかもしれない。

「うん、そうやね。強力なライバルがいるからこそ、明徳で勝負したいと考える親子もいれば、よそへ行った方が甲子園に出やすいと考える親子もいる。やっぱり、明徳を選んで入って来てくれた選手を鍛えて強くするのが明徳の野球や。2人のことは残念やけど、今度、入学してきた選手もええのがおる。まあ、楽しみにしとってや」

 去る者は追わず、来る者は拒まず。高知の高校野球は群雄割拠の時代を迎えた。

●取材・文/柳川悠二(ノンフィクションライター)

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