日本記録のロッテ18連敗「得たものも大きかった」と元コーチ

日本記録のロッテ18連敗「得たものも大きかった」と元コーチ

3連覇中のカープも11連敗を喫した(写真/時事通信フォト)

 今季のプロ野球で際立つのが「大連敗」だ。6月、ヤクルトがセ・リーグ最多タイの16連敗を喫するや、パ・リーグ首位だった楽天も10連敗。さらにリーグ4連覇を目指す広島までもが11連敗と、悪夢が続いた。

 連敗が続くと、チームの雰囲気は重くなる。

「数年前、セの球団が大型連敗した時、主力野手が“いくら点を取っても投手が抑えないと勝てない”と報道陣を前に投手陣を公然批判し、投手も“こんな雰囲気で勝てるわけがない”と応戦。ベテランが発言した選手を説教して収拾に走っていたが、ベンチは重苦しかった」(スポーツ紙デスク)

 日本記録の「18連敗」を記録した1998年ロッテは、その比ではなかった。

 連敗を16で止めるべく登板したエース・黒木知宏が9回2死2ストライクまでリードしながら、“最後の1球”で同点2ランを被弾―─黒木はマウンド上に崩れ落ち、ナインも呆然とするばかり。「七夕の悲劇」と今なおファンの間で語り草とされている“悪夢”だ。

 この年のロッテで一軍コーチだった中村稔氏は「18連敗の前からチームの雰囲気は悪かった」と、当時を振り返る。1998年は開幕から好調で4月終了時点で首位。しかし、守護神の河本育之が故障で離脱すると順位も急降下。そこである事件が勃発する。

「近藤昭仁監督が投手コーチの私に相談もなく、移動の新幹線で黒木に“ストッパーに回れ”と言ったんですよ。新幹線から降りると、黒木が泣きべそをかいて私のところに来たんです。私は“先発で育ったばかりの黒木を転向させるべきではない”と何度も監督に訴えたんですが、周囲の反対を押し切る形で抑えに回された。結局、3試合連続で救援に失敗した黒木は先発に再転向することに。監督に歯向かった形となった私は18連敗の時は編成部へ異動していた」(中村氏)

 中村氏は現役時代、巨人のエースを張り、V9に貢献した実績も持つ。なぜ当時の巨人は大型連敗とは無縁だったのか。

「V9時代は、6連敗した際、投手陣には打撃コーチ、野手陣には投手コーチが赴いて、不平不満を聞いたんですよ。川上哲治監督の発案で、コーチから話を聞いた監督は不満の解消に動き、チームをひとつにまとめあげた。コーチや選手が前向きになれるムードづくりが大切なんです。だからV9時代は大型連敗はなかった」

 ロッテベンチで18連敗の“当事者”となったのは、当時打撃コーチだった広野功氏だ。

「連敗が社会問題になり、球場には社会部の記者が取材に来るようになってどんどん現場がピリピリしたね。打線は好調だったので野手に悲壮感はなかったですが、投手のプレッシャーは相当だった。初回に大量点を取ってもひっくり返されることもあった。投手は連敗中に援護点をもらうと、力むんですよね。棒球になり、四死球が絡んで大量失点につながる。悪循環です」

 今季に限らず、大型連敗が起きると、必ず引き合いに出される18連敗だが、得たものも大きかったという。

「今のロッテの選手とファンが一体となって闘うチームの基盤ができたのは、18連敗の時です。8連敗あたりまでは野次が飛び交っていましたが、2ケタになると地方遠征に行っても応援団が集まってくれるようになった。“俺たちが付いている”と声援があり、負けても“明日がある”と言ってくれた。応援歌ができたのもあの頃だったのではないか」(同前)

※週刊ポスト2019年8月2日号

関連記事(外部サイト)