ラグビー・松尾雄治氏、練習試合へ45km走ってボロ負けの過去

ラグビー・松尾雄治氏、練習試合へ45km走ってボロ負けの過去

今の代表と昔の代表はどこが違うのか(撮影/藤岡雅樹)

 ラグビーW杯で初の決勝トーナメント進出を果たし、準々決勝で敗れた日本代表は今年、240日の合宿を行ってきたことでも注目された。かつての日本ラグビーを牽引した松尾雄治氏(65)も、高校時代には、過酷すぎる練習をこなしてきたという。そのエピソードを語った。

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 高校中退でどこのチームにも所属できずに苦しんでいた僕に、手を差し伸べてくれたのが北島先生(当時、明治大学の監督だった北島忠治氏)でした。僕の親父は「勉強なんて人生に必要ない」という考え方の人で。それで僕の進学先には、個性尊重の校風で、幼稚園から大学まで進学できる成城学園を選びました。

 だけど、高校1年の時に学校の方針が変わり、きちんと勉強しないと進級できないことになった。これを聞いた親父が烈火のごとく怒り、学園長と大喧嘩。結果、私は退学になってしまったんです。

「これからどうする」と途方に暮れていたある日、八幡山の明大グラウンドに明大ラグビー部の練習を見学に行ったところを北島監督に声をかけていただいた。そして北島監督に、梅木恒明さんが監督をしている目黒高校に紹介してもらったんです。

 目黒高校時代の練習は本当に過酷でした。梅木監督は「戸塚ヨットスクールなんて甘い」なんて言ってる人でしたから。

 授業にまったく出ないのは当たり前。朝の5時から練習して、それから10キロ離れた学校まで走って、朝礼だけ出てすぐ明大のグラウンドまで10キロランニング。それから練習か練習試合。これが毎日ですからね。もう本当に死ぬかと思いましたよ。

 大学時代、社会人時代を振り返っても、あれほどつらかった日々はありません。もう毎日誰かがいなくなって、音信不通になる。今の日本代表がいくら猛練習したっていっても、アレにはかなわないよ(笑い)。

 東海大学で練習試合をやったときは、45キロ離れたグラウンドまで走りました。早朝に出発して、着いたのは午後3時半ですよ。しかも、水をたっぷり入れた重いヤカンを持って走っているヤツまでいる。水なんて道中どこでもあるのに、一体何を考えてるんだって(笑い)。もちろん試合はぼろ負けです。

 そういう日々を繰り返していたから、目黒高校は元不良や未経験者ばかりの集まりで、フォワードの平均体重80キロとものすごく軽かったのに、それでも日本一になれた。効率を求める現代とまるで違う方法論の時代でした。隔世の感がありますね。

【プロフィール】まつお・ゆうじ/1954年東京都生まれ。目黒高校、明治大学、新日鉄釜石で活躍。日本ラグビー史上最高のスタンドオフと呼ばれる。明大を初の日本一に導き、1979年からは新日鉄釜石の選手、主将、監督兼選手として社会人選手権、日本選手権7連覇を達成する。

※週刊ポスト2019年11月1日号

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