選手も五輪開会式見た…1964年日本シリーズの阪神vs南海の苦渋

選手も五輪開会式見た…1964年日本シリーズの阪神vs南海の苦渋

五輪を観戦するON(時事通信フォト)

 今季のプロ野球は五輪期間中に公式戦を中断する影響で、例年より10日ほど開幕が前倒しされる。この決定に、「苦い記憶が蘇ります」と語るのは、元阪神監督の安藤統男氏である。

 安藤氏は前回の東京五輪があった1964年、阪神の二塁手として活躍。リーグ優勝に貢献した。当時の栄光を素直に喜べないのは、このシーズンが不運にも五輪の影響をモロに受けたからだ。今季と同じように日程を前倒ししてスタートした1964年のペナントレースだが、台風による順延が続き、阪神がリーグ優勝を決めたのはシーズン最終日の9月30日。

「五輪開会式が10月10日だった関係で、本来は9月29日に日本シリーズを開幕する予定だったんです。結局、10月1日にずれ込み、祝勝会もなく甲子園球場の裏の宿舎でビールを1杯飲んだだけ。翌日の試合に備えることになりました」(安藤氏)

 この年のパ・リーグ優勝は南海。第7戦までもつれても10月9日には終わる予定だった。ところが雨による順延が発生し、最終戦が五輪開会式当日と重なってしまった。

「午後1時半からの開会式とずらす形でナイターで行なわれたんですが、全然話題にならなかった。選手たちも昼間は練習もそこそこに開会式を見ていたくらいですから(笑い)」(安藤氏)

 むべなるかな、観客動員数は第6戦に比べて1万人以上減ったという。

「甲子園のアルプスも外野席もガラガラでした。あんなに観客が少ない日本シリーズ最終戦は記憶にありません」(デイリースポーツ元編集局長・平井隆司氏)

 この試合を3−0で南海が制し、日本一に。当時、南海の2番打者で日本シリーズに臨んだ広瀬叔功氏が嘆息する。

「あの年は初の首位打者と盗塁王を獲った最高のシーズンだったんです。ノムさん(野村克也氏)も打点と本塁打の二冠に輝き、チームも日本一になった。それなのに世間は五輪一色で、まったく騒がれなくてね……」

 ちなみにこの年、王と長嶋を擁する巨人は早々に優勝戦線から脱落。2人は新聞社の企画で開会式に足を運び、注目を浴びていた。4年に一度の祭典は、国内最大の人気を誇ったプロ野球まで呑み込むほどの熱で人々を魅了した。

※週刊ポスト2020年2月21日号

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