嫌な記憶が尾を引く馬のトラウマを角居勝彦調教師が語る

嫌な記憶が尾を引く馬のトラウマを角居勝彦調教師が語る

角居勝彦調教師が馬のトラウマを語る

 Traumaとはドイツ語で“精神的外傷”のこと。ある経験がその後の行動に強い影響を持つことをいう。数々の名馬を世に送り出した調教師・角居勝彦氏による週刊ポストでの連載「競馬はもっともっと面白い 感性の法則」から、馬にもトラウマは影響するのかについての分析をお届けする。

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 馬のトラウマ。調教師にとって非常に悩ましい、メンタルの問題です。

 次走に悪影響を及ぼす例として、僅差負けがあると以前に書きました。直線で競り合ってゴール板を2着か3着で過ぎたとき、「勝てると思ったのに、抜けなかった(抜かされた)」と馬が認識する。同じ相手に3回も負けると劣等感を持つし、相手が変わった次走でもラストのせめぎ合いに自信を持てなくなってしまう。オレはベストを尽くしても勝てないんだ、というトラウマです。後方からよく追い込んでの2着とでは、馬の感じ方が違うんですね。

 負けたとしても、競った経験がプラスになる場合もあります。たとえば着外の続いていた馬が地方交流で走って2着に入った。相手関係が強いわけではないから、中央に戻っても人気薄。そういう馬が好走することがある。

 馬群に沈むばかりで、他の馬のお尻を見ているだけだったのが、上位に来たことで、風景が変わった。前には1頭だけ。それまでは諦める気持ちが勝っていたのが、「今度あの馬を抜けば1着だ!」とモチベーションが上がることがあるかもしれない。「勝ち負けに持ち込めるぞ」という自信が芽生えたんですね。

 しかも2着で走ってゴールしたら、厩務員さんがニコニコしながら「何だ、がんばればいい競馬ができるじゃないか」とばかりに、体を撫でてくれる。馬は周りの人間が喜んでいる姿がうれしいと感じる動物だと思います。競り合ってがんばれば、また喜んでくれるかなと思ってがんばる。とても健気ですよね。

 とくにもともと能力はあるはずだという馬が、がんばれば気持ちいいことがあると学習すれば、次もがんばるようになる。競馬新聞などが最近好走している馬について「勢いがある」「前走できっかけ掴む」などと書くのは、こういったこともあるのでしょう。

 では、接戦ではなく勝ち負けに届かないレースの場合はどうでしょう。馬のメンタル面のみを考えた場合、最後の直線ではがんばる努力をさせないほうがいいという説もある。

 日本の競馬では許されませんが、ヨーロッパのジョッキーは無理をさせないこともある。懸命に走っているのに強いムチを入れると、「オレって、全然ダメなんだな」というトラウマになってしまう。馬は健気な部分もあればずる賢いところもあり、「もう届かないんだから、無駄なムチを入れるなよな」なんて思う(笑い)。

 ただし、そのとき馬の気持ちをジョッキーが酌んだからといって、次走は意気に感じてがんばるとは限らない。諦めたほうがラクだと思ってしまうかもしれない。ジョッキーにしても追うのはとても疲れること。届かないと思って諦めると馬も必ず諦めるので、やはりきっちりと追ってもらわなくてはいけません。

 よく「途中で競馬をやめた」といいますが、それはジョッキーがやめることを教えてしまった可能性もある。怠けグセがついてしまった馬の場合は、勝敗が決した後もしぶとく追わせることでメンタル面が変わることもあります。馬がしゃべれるのなら、レース後に騎手の乗り方について聞いてみたいですね。

●すみい・かつひこ/1964年石川県生まれ。2000年に調教師免許取得、2001年に開業。以後15年で中央GI勝利数23は歴代3位、現役では2位。今年は13週連続勝利の日本記録を達成した。ヴィクトワールピサでドバイワールドカップ、シーザリオでアメリカンオークスを勝つなど海外でも活躍。引退馬のセカンドキャリア支援、障害者乗馬などにも尽力している。引退した管理馬はほかにカネヒキリ、ウオッカなど。『競馬感性の法則』(小学館新書)が好評発売中。

※週刊ポスト2017年8月11日号

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