福士加代子と福島千里 2人の女王の転機となった2008年の出来事

話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、1月に相次いで現役引退を表明した、日本女子陸上界の2人のレジェンド・福島千里と福士加代子にまつわるエピソードを紹介する。

第41回大阪国際女子マラソン ハーフマラソン 現役引退の福士加代子 ラストランを笑顔でゴール=2022年1月30日 写真提供:産経新聞社

2022年1月、日本陸上界を長年に渡って牽引して来た2人の女王が同じタイミングで現役生活に別れを告げました。短距離界の女王・福島千里と、長距離界の女王・福士加代子。ともに高校時代までは目立った成績を残していませんでしたが、そこから日本のトップランナーに成長を遂げ、活躍を続けて来ました。

福島は100メートルと200メートルで何度も日本記録を樹立し、日本選手権では両種目で8度優勝。オリンピックは2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロと3大会連続で出場。2010年のアジア大会では100メートル、200メートルで2冠に輝きました。

一方の福士は、2004年のアテネオリンピックから北京、ロンドンと3大会連続でトラック種目に出場。2016年リオデジャネイロ大会ではマラソンを走り14位。2013年世界選手権のマラソンで銅メダルを獲得しました。

そんな偉大な実績とともに誇るべきは、福島は33歳、福士は39歳と、長く現役を続けることができたこと。その背景を探ると、ともに“2008年の経験”を口にしていたのが印象的でした。

福島にとっての2008年は、大きな飛躍を遂げた1年であり、世界の壁の高さを知った年。4月の織田記念100メートルでは当時の日本タイ記録11秒36をマーク。5月には追い風参考ながら、200メートルでも当時の日本記録を更新。一躍、日本のトップランナーの座を獲得し、勢いそのままに北京オリンピック代表となったのです。日本女子のオリンピック100メートル出場は何と56年ぶりの快挙でした。

しかし、北京オリンピック本番では1次予選で敗退。世界の壁の高さを知ったこの北京での経験こそ、自身の“原点”になったと言います。

『北京のトラックを走ることができましたけど、世界の大舞台は本当にすごくて不思議なところでした。一度経験することで、“絶対にもう一度、出場して走りたい”と思えました。それから練習への取り組みも変わりましたね』

〜『SEIKO HEART BEAT Magazine』2022年1月29日配信記事 より(福島千里のコメント)

福島といえば、腹筋や背筋を徹底的に鍛えあげ、体の軸を強くして実現したブレの少ない走りが強み。あの鍛え抜かれた腹筋を生む苦しいトレーニングが継続できたのも、世界の大舞台で勝負したい、という強いモチベーションがあったからです。その上で福島は、0.01秒を削るという過酷な努力に前向きに取り組んで来たのです。

『いつも根底にあるのは“もっと速く走りたい”という気持ちです。もうちょっと速く走れるのではないか。2010年に日本記録を出したときも、実はそう思ったんです。現状維持ではなく、“昨日よりも速く”を一日一日積み重ねていけば、さらに速くなれるし、良い状態で進化することができると思うんです』

〜『SEIKO HEART BEAT Magazine』2021年4月22日配信記事 より(福島千里のコメント)

一方、福士加代子が経験した2008年の出来事は、とても苦い挫折の味。それまで、トラック長距離を主戦場として来た福士にとって「初マラソン」となる大阪国際女子マラソンでのことです。30キロ付近までは先頭争いを演じながら、そこから急失速。脱水症状による貧血を起こしたことで意識も朦朧となり、ゴールするまで何と4度も転倒したのです。

それでも棄権という選択はせず、ボロボロの体を引きずりながら執念で完走しました。19位という結果に終わった初マラソンでしたが、それでも学んだことは多かったと言います。

『マラソンのおかげでちょっと走る時間が長くなって、道具は靴しかないので自分と会話するしかない。毎日どうやったら走れるだろうと会話した。それで自分の嫌いなところも含めて全部好きになった。自分と向き合えたのはマラソンのおかげ』

〜『THE ANSWER』2022年1月30日配信記事 より(福士加代子のコメント)

「どうやったら走れるだろう」という試行錯誤の末にたどり着いたのは、内臓の強化でした。マラソンでレース終盤にたびたび失速してしまうのはスタミナ不足に原因があると考え、管理栄養士の指導のもとで「食トレ」を実施。食事量を3倍にしました。「練習より食べることの方がきつかった」と本人が語るほどの食トレで内臓を強化した結果、2013年、2016年と大阪国際女子マラソンで2度も優勝を果たしたのです。

まさに挫折と栄光の地、大阪。だからこそ、福士は引退レースを1月30日の大阪ハーフマラソンにしたのでしょう。途中、立ち止まることもありながら、「慣れ親しんだ大阪で走れてよかった」と最後は笑顔でゴール。レース直後の引退セレモニーでも、いつも明るく周囲を笑わせる福士節は健在でした。

『やめたくなかったかなー! 走るの楽しかったもん!! でも今日は走れなくなったので終わりにします!』

〜『THE ANSWER』2022年1月30日配信記事 より(福士加代子のコメント)

ともに今後は、所属企業にとどまり、イベントを企画して「走ることの楽しさ」を伝えたいと語っています。いつまでも前向きな気持ちで競技に取り組んだ2人からバトンを受け継ぎ、次代を担うトップランナーが登場することを期待するばかりです。

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