工藤公康が監督になるときに球団と約束した「あること」

黒木瞳がパーソナリティを務めるニッポン放送「あさナビ」(6月8日放送)に元・福岡ソフトバンクホークス監督の工藤公康が出演。監督になった経緯について語った。

【プロ野球ソフトバンク新監督発表会見】写真撮影に応じる工藤公康監督と王貞治氏=福岡市内 撮影日:2014年11月01日 写真提供:産経新聞社

【プロ野球ソフトバンク新監督発表会見】写真撮影に応じる工藤公康監督と王貞治氏=福岡市内 撮影日:2014年11月01日 写真提供:産経新聞社

黒木瞳が、さまざまなジャンルの“プロフェッショナル”に朝の活力になる話を訊く「あさナビ」。6月6日(月)〜6月10日(金)のゲストは元・福岡ソフトバンクホークス監督の工藤公康。3日目は、監督になった経緯について—

黒木)ソフトバンクに行かれる前に筑波大学の大学院の修士課程に進まれていて、監督時代もお勉強なさり、監督を退任されてからは博士課程に進まれたということですが、どのような経緯があったのでしょうか?

工藤)現役を辞めて約3年間、解説をやっていたのです。そのときに子供たちの肩や肘の障害についてお医者さんたちとお話しする機会がいろいろなところでありました。そんなかで、「肩肘検診というのがあって、子供たちの野球に広めていきたいのだけれど、広がらない。工藤くん、手を貸してくれないか?」と言われたのです。

黒木)お医者さんに。

工藤)多くの子供たちが肘や肩が痛いと言って野球ができなくなってしまったり、悩んで苦しんだりしているという現状を知って、「野球界のために何かを残さないといけない」という思いに駆られ、「野球界に貢献できるように」という思いで大学院に入りました。

黒木)野球界に貢献できるように。

工藤)大学院に入って1年経ったとき、学校に通いながらですが、秋に「監督になって欲しい」と王会長からお話をいただきました。ダイエー時代に王会長にはお世話になりましたし、九州の皆さんにも恩返しをしたいという強い思いもあったので、「プロ野球選手のデータを取らせてもらう」という約束をさせていただき、承諾させていただきました。

黒木)選手のデータですか。

工藤)いまはもうほとんどの球団が入れているのですが、「トラックマン」という計測器があるのです。これを使うと選手が投げたときのいろいろな情報が入ってくるのです。ボールの速さだけではなく、回転数もわかるので、ボールが伸びていくことなども情報からわかるのです。

黒木)トラックマンによって。

工藤)選手のコンディショニングをしたり、障害にならないようなアドバイスもしました。

黒木)それはどの球団もやっていらっしゃるのですか?

工藤)どの球団もやっているかどうかはわかりませんが、僕はどちらかというと独自に情報やデータを整理して、選手に役立つようなデータを出していました。コーチや僕のコメントを書いてから選手に見せて、次の1週間のために役立ててもらうというやり方を取っていました。

工藤公康

工藤公康

黒木)「工藤監督が変わった」と皆さんがおっしゃっていたのですが、ご自分で「変わらなければならない」と思われたのですか?

工藤)いままでのままだと、選手たちとの接し方や話し方が、自分が主導になってしまうのですね。僕の悪いところなのですが、起こったことに対してすぐに反応してしまう。

黒木)いままでであれば。

工藤)選手たちのバックグラウンドを考えずに話してしまうのです。グランドのなかは見ていてもグランド以外でやっていることはわからないではないですか。でも、そういうところも理解した上で話すのと、理解しないで話すのとでは、まったく違うのですよ。

黒木)そうですよね。

工藤)起こったことをすぐに言葉に出してしまうので、そうではなくて、コーチや周りのトレーナーさんにも話を聞き、どういうバックグラウンドで野球をやっているのかということを知ると、話し方も変わるのです。こちらの要望ではなくて「選手がどうしたかったか」ということを聞くようにすることで、彼が目指しているものや、「なぜここで失敗したのか」という理由もわかるようになります。

黒木)話を聞くことで。

工藤)「新しいことをやっているので、うまくいっていない」という場合もあるのです。それを知らなくて言うのと、知っていて言うのとでは全然違うではないですか。

工藤公康

工藤公康(くどう・きみやす)/元・福岡ソフトバンクホークス監督

■1963年生まれ。愛知県名古屋市出身。
■名古屋電気高(現・愛工大名電)から西武ライオンズに入団。
1981年の夏の甲子園では、ノーヒットノーランを達成している。
■プロ野球選手時代は14度のリーグ優勝、11度の日本一を経験。
西武ライオンズ・福岡ダイエーホークス・読売ジャイアンツの3球団で日本シリーズを制覇し、優勝請負人と呼ばれた。
■29年の現役生活で通算224勝142敗3セーブ。防御率3.45。
MVP、最優秀防御率、最多奪三振など、数多くのタイトルを獲得した。
■現役引退後は、野球解説者・野球評論家として活動。
■2015年から2021年まではソフトバンクの監督を務め、3度のリーグ優勝、5度の日本一。日本一は2017年から4年連続で、パ・リーグ史上初の快挙。
監督通算成績は558勝378敗42分け。勝率5割9分6厘。
■長男は工藤阿須加(俳優)、長女は工藤遥加(プロゴルファー)。
■ソフトバンクの監督就任前に筑波大大学院に合格。人間総合科学研究科で外科系スポーツ医学を学ぶため2014年から通い始め、在任中に球団の許可を得た上で復学し、得られたデータを球団にも還元するなどして修了し、修士を取得。
■今年2月には筑波大大学院博士課程に合格。この春から博士課程に進んでいる。

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