出場停止乗り越え初優勝 阿炎を救った「師匠の言葉」

話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は11月27日、大相撲九州場所千秋楽で悲願の初優勝を飾った阿炎関と、師匠・錣山親方の絆にまつわる背景を紹介する。

【大相撲十一月場所(九州場所)千秋楽】賜杯を持つ阿炎=2022年11月27日 福岡国際センター 写真提供:産経新聞社

『うれしいです。なんかうそのような…まだ高ぶっています。師匠からも一番集中と毎日メールを頂いていたので、星を考えず集中して取りました』

~『東京新聞 TOKYO Web』2022年11月27日配信記事 より(阿炎・優勝力士インタビューでのコメント)

照ノ富士休場で、横綱不在のまま幕を開けた大相撲九州場所。7月の名古屋場所は前頭2枚目の逸ノ城、9月の秋場所は前頭3枚目の玉鷲と、平幕力士の優勝が2場所続いていただけに、九州場所もまた荒れそうな予感はありました。

実際、14日目を終えて2敗で単独トップに立っていたのは、東前頭筆頭の高安でした。これを星1つの差の3敗で追っていたのが大関・貴景勝と、西前頭9枚目の阿炎です。優勝はこの3人に絞られました。

注目の千秋楽は、高安と阿炎の直接対決。高安が勝てばすんなり優勝決定ですが、阿炎が勝つと3敗で並び優勝決定戦に。さらに結びの一番で貴景勝が若隆景に勝つと、3者で決定戦という状況でした。

高安は元大関の実力者ですが、幕内での優勝経験はまだありません。初優勝へのプレッシャーからか、高安はしぶとく粘る阿炎に屈し、さらに貴景勝も勝ったため、3人が12勝3敗で並びました。

この場合、大相撲では「ともえ戦」という独特の方式で優勝決定戦を行います。誰かが2連勝するまで3人が交互に当たっていくシステムで、ともえ戦での決定戦は1994年の春場所(曙・貴ノ浪・貴闘力)以来、実に28年ぶりのことでした(くしくも、阿炎が生まれた年です)。

対戦順を決めるクジ引きの結果、まずは本割で取ったばかりの高安と阿炎が再び対決することに。「勝てば優勝」の一番を落とし、内心穏やかでなかった高安に対して、阿炎は冷静でした。何と立ち合いで変化! 突き倒しで高安はバッタリ土俵に落ちました。

阿炎は休む間もなく、今度は貴景勝と対戦。大関相手に臆することなく、今度は真っ向からぶつかって行った阿炎は、気迫で前へ前へと攻め立て、気付けば大関は土俵を割っていました。本割と合わせて、1日3勝。元大関と大関を撃破して、阿炎は逆転で悲願の初優勝を飾ったのです。

『頭の中にこれまで見てきた動画が、大関も高安関ともにあった。イメージして臨めた』

~『中日スポーツ』2022年11月27日配信記事 より(阿炎・優勝力士インタビューでのコメント)

ついに賜杯を手にした阿炎。本当はもっと早く手にしていてもおかしくはありませんでした。

埼玉県越谷市出身で、相撲強豪校の千葉・流山南高を卒業後、錣山(しころやま)部屋に入門。2013年夏場所に初土俵を踏み、得意の突き押し相撲で順調に出世を重ね、2015年春場所、新十両に昇進します。それまで本名の「堀切」で取っていましたが、関取になったのを機に現在のシコ名「阿炎(あび)」に改名しました。

実は、師匠・錣山親方(元関脇・寺尾)のニックネームが「アビ」。親方は自分のあだ名を弟子のシコ名にしたのですから、期待の大きさが窺えます。また「阿炎」という字には「阿修羅のように燃えて戦え」という意味も込められています。

阿炎はその期待に応え、2018年初場所で新入幕。2019年名古屋場所で初の三役(小結)に昇進。このときまだ25歳でした。すぐ大関になると思われましたが、阿炎はいろいろと“問題”を起こします。

もともとヤンチャな性格で、自由奔放な行動と発言でも話題を呼んでいたのですが、2019年11月、仲のいい十両力士の手足をテープで縛った動画をSNSにアップ。この悪ふざけがネット上で炎上し、協会から口頭で厳重注意を受けることに。

2020年2月には、日本相撲協会の研修会が終わった直後、報道陣の取材に「寝ていたので何も聞いていない」と発言し、これも協会から厳重注意を受けています。

さらにその5ヵ月後、新型コロナウイルス感染が拡大し、不要不急の外出自粛を求められていた時期に、隠れて“夜の店”に出入りしていたことが発覚。このとき、協会の聴取に対して虚偽の報告をしたことも問題になり、阿炎は師匠を通じて協会に引退届を出しています。

しかし、協会はこの引退届を受理しませんでした。かわりに3場所出場停止などの処分を決定。阿炎は住まいを錣山部屋に移し、生活に支障がある場合を除いて当面外出は禁止、師匠の監督の下で暮らすことを通達されました。

この時期に改めて自分を見つめ直した阿炎。昨年(2021年)3月、春場所で土俵に復帰したときは、番付は大きく下がり西幕下56枚目。関取の地位も失っていました。もちろんこの位置では実力が違いすぎ、7戦全勝で幕下優勝。ただし本人によると「勝って当たり前」という状況で格下の力士と取るのはプレッシャーがかかり、精神的にも相当辛かったようです。

復帰の場所となった昨年の春場所について、阿炎はこう語っています。

『相撲をとれる喜びを学ばせてもらった場所。精神的にも体力的にも体力を削って、全力で相撲をとれた』

~『朝日新聞デジタル』2021年5月26日配信記事 より

続く昨年5月の夏場所も2場所連続で幕下優勝を果たし、十両に復帰。以前のような放言は一切なくなり、インタビューにも丁寧な受け答えをするようになりました。

昨年9月の秋場所で十両優勝。11月の九州場所で幕内に復帰し、いきなり12勝3敗の好成績で敢闘賞を受賞。そして今年(2022年)1月の初場所でも12勝3敗。3月の春場所で初の関脇昇進を果たし、三役を3場所維持しました。

この見事な“V字回復”を陰で支えてくれたのが、師匠・錣山親方でした。親方自身も弟子の監督責任を問われ、6ヵ月20%の報酬減額処分を科されましたが、阿炎をこう諭し、二人三脚で復帰の道を歩んでくれたのです。

『迷惑をかけたんだから、しっかり稽古して返しなさい』

~『中日スポーツ』2022年11月27日配信記事 より

こうして心を入れ替え、心技体とも充実した状況で三役に返り咲いた阿炎。しかし9月の秋場所は、痛めていた右ヒジと左足首の手術に踏み切ったため全休することになりました。

休場明けの九州場所は「リハビリの場所」と位置づけていた阿炎。それで無心で取れたということもあったのでしょう。序盤から快調に勝ち星を重ね、初優勝という大きな果実を手にすることができました。

この場所中、錣山親方は体調不良のため入院。九州には入りませんでした。師匠不在で復帰場所を迎えることになった阿炎ですが、師匠から毎日、メールを受け取っていたそうです。特に心の支えになったのが、この言葉でした。

『一番に集中して相撲をとることが大事だ』

~『日刊スポーツ』2022年11月28日配信記事 より

土俵に上がる前に、この言葉を胸に刻んで白星を積み重ねていった阿炎。優勝を決めたあと真っ先に頭に浮かんだのは、師匠の笑顔でした。

『稽古以外は父親みたいな存在で、若いころは付き合っている女性の話もしました。入門してからずっと師匠を超えることを目標にしていたけど、また1歩進めたのかな』

~『日刊スポーツ』2022年11月28日配信記事 より(阿炎のコメント)

これで三役復帰は確実になった阿炎。目指すは、師匠が果たせなかった「大関昇進」です。

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