小出義雄氏 世界一の練習で世界一に導く指導術

話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。本日は、4月24日に訃報が伝えられた、陸上・女子長距離の名指導者・小出義雄さん(享年80)のエピソードを取り上げる。

小出義雄さんが死去 2000年9月、シドニー五輪女子マラソンで獲得した金メダルを持つ高橋尚子選手(右)と小出義雄さん(共同)=2019年4月24日 写真提供:共同通信社

「世界一の練習をしなかったら、世界一になんてなれない。Qちゃん(高橋尚子)には、それができるんだよ」

日本を代表する女子マラソンの指導者で、世界的名選手を輩出された小出さん。1988年にリクルート監督に就任。有森裕子を指導し、92年、バルセロナ五輪で銀メダル。96年、アトランタ五輪で銅メダルを獲得。
積水化学に移籍した97年は、世界選手権で鈴木博美を世界一に導き、2000年のシドニー五輪では高橋尚子が金メダル。陸上の日本女子では初の快挙で、小出さんの指導者としての評価は揺るぎないものになりました。

シドニー五輪を前に、小出さんが高橋に挑ませたのが、コロラド州ウィンターパークでの「超高地トレーニング」でした。当時のマラソン界では、高地トレーニングは標高1,600m前後が最適とされ、あまりに高い場所はかえって逆効果とされていましたが、そんな“常識”など一切無視。何と標高3,500mの超高地で、24キロある山道を全力で駆け上がるトレーニングを課したのです。
周囲からいくら「無謀」「非常識」と言われようと、小出さんは信念を曲げませんでした。それは教え子を「世界一に導くため」です。

「オレは非常識だと思ってない。本当はもっと高いところでやりたかった。常識的なことをやっても勝てないよ」

順天堂大の元陸上部員で、箱根駅伝も走った小出さん。卒業後の65年、教員として地元・千葉の高校へ赴任し、陸上指導者としての第一歩を記します。「女子に42.195キロは酷すぎる」と言われていた当時から、「いずれ女子もマラソンが普通に行われるようになる」と、女子選手の細かいデータを収集。
その読みは正しく、佐倉高校では、まったく無名の女子高生をマラソンに挑戦させ、当時日本歴代3位の2時間41分台をマークさせたこともありました。長年、何百人もの女子選手を指導して来た実戦的データが、大きくモノを言ったのです。

顔や肌ツヤを見ただけで、その選手の体調が分かったという小出さん。選手のバイオリズムを把握した上で「いまのこの子の状態なら、きっとやれる!」と判断すれば、過酷なトレーニングも平気で課しました。また、選手をその気にさせるムード作りも天下一品。基本は褒めて、褒めて、褒めまくります。

有森裕子には「お前はいつも全力で、心で走っている。だから強くなれる!」
高橋尚子には「Qちゃん、いいよ! すごくいい! これなら、もっといけるよ!」

「いいから、この練習をやれ!」と頭ごなしに命じるのではなく、「この練習をやったら、オリンピックで勝てるかもしれないよ」と言うのが小出流。
もちろん、おだて上手なだけではなく、その裏には長い指導経験で積み上げて来た理論の裏付けがあるので、「非常識」と言われる練習メニューに、選手も納得して取り組んだのです。

その非常識と言われる練習法のヒントをくれたのは、東京オリンピックでマラソンを走った、伝説のランナー・円谷幸吉さんでした。
順天堂大時代に、駅伝大会で同じ区間を走ったという小出さん。宿舎が同じになったある日、どんなトレーニングをしているのか聞いたところ、自衛隊所属だった円谷さんは、「朝練だけで、朝霞駐屯地の周りの2キロコースを10本走っている」と答えました。他の選手の倍……限界ギリギリまで走っていたからこそ強かったのかと悟った小出さんは、自分もそのトレーニングを実践。そして、教え子の高橋尚子にも限界に挑ませたのです。

最近は時代が変わり、そういう過酷なトレーニングについて来る選手も少なくなったため、小出さんが腕の奮う機会も減り、この春、高齢もあって指導の第一線から退きましたが、その矢先の訃報……。
しかし、選手のことを誰よりもよく理解し、その能力を最大限引き出そうとした小出流の指導術は、いずれまた評価されるときが来ることでしょう。

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