2007年・日本シリーズ 完全試合目前 落合監督が語った“山井交代劇”の真相

話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、2007年の日本シリーズで物議を醸した中日・落合博満監督の「完全試合目前での交代劇」にまつわるエピソードを取り上げる。

2007 日本シリーズ第5戦中日対日ハム 山井大介と落合博満監督=2007年11月1日 写真提供:産経新聞社

4月7日付の当コラムで、2007年、中日・落合監督がニッポン放送『のってけラジオ』にゲスト出演した際、打ち合わせで筆者が伺った話を紹介しましたが、複数の読者の方から、こんなご質問をいただきました。

「日本シリーズでの“山井の交代劇”について、落合監督はどんな話をしたんですか?」

その件は後日、稿を改めて書くつもりでしたが、気になった方も多いようですので、続けて書くことにします。

“山井の交代劇”とは……2007年、ナゴヤドームで行われた日本シリーズ第5戦・中日-日本ハム。3勝1敗の中日は、勝てば53年ぶりの日本一が決まるゲームでした。

この試合、中日の先発・山井大介は得意のスライダーが冴えわたり、神懸かった投球を披露。8回まで1人の走者も許さず、パーフェクトピッチングを続けていたのです。

試合は9回を迎えた時点で、中日が1-0とリード。「53年ぶりの日本一」と「日本シリーズ史上初の完全試合」まで、あと3人……筆者はこの試合、内野スタンドで生観戦していましたが、ナゴヤドーム全体が異様な雰囲気に包まれ、「100年に1度の歴史的なゲームに出くわしてしまった!」と、観ているこちらまで緊張で身震いしたほどです。

“山井コール”がこだまするなか、落合監督はベンチを出て主審のもとへ。念には念を入れて守備固めをするのかと思いきや、次の瞬間、場内にどよめきが起こりました。

「ドラゴンズ、ピッチャー・山井に代わりまして……岩瀬!」

パーフェクト達成寸前のピッチャーを、打たれてもいないのに代える……本来ならあり得ない交代劇ですが、落合監督はためらうことなく、スパッと山井を代えました。

スタンドのあちこちから「エーッ!? 何で?」という声が聞こえて来ましたし、私も一瞬目を疑いましたが、そんな場内のざわめきは、絶対的守護神・岩瀬仁紀が1球投げるごとに自然と収まって行きました。

岩瀬は9回を3者凡退で締め、中日は53年ぶりの日本一に輝きました。同時に日本シリーズ史上初の「継投による完全試合」という大記録も達成されたのです。

ところが……試合終了後、大半のスポーツマスコミはその偉業よりも、「落合采配の是非」を前面に立てて報じました。

「あんな場面で代えるなんて、大記録を楽しみにしていたファンのことを全然考えていない。夢のない采配だ!」と批判する声も多く、球場にいて、喜びに沸き返るドラゴンズファンの姿を目の当たりにした私としては、その温度差が意外でもありました。

この采配については、野球ファンだけでなく、世間でも当時その是非が話題になったほどです。落合監督がゲストに登場した『のってけラジオ』でも、真っ先にこの件に触れましたが、落合監督の答えは、至ってシンプルでした。

「あの場面はね、何があっても代えますよ。最後は岩瀬です。3年連続40セーブのピッチャーですよ。いちばん間違いがないでしょ?」

もしこれが点差の開いたゲームであれば、落合監督は山井を続投させ、記録が途切れたら岩瀬投入……という策を採ったかもしれません。ですが、この試合は9回の時点で「1-0」の僅差。仮にランナーを許し、ホームランを1発食らえばたちまち逆転してしまいます。

実際に終盤、山井は球威が落ち、外野に大きい飛球を何本か打たれていました。

逆転負けで第5戦を落とせば、第6戦は敵地・札幌ドーム。嫌な流れを引きずったまま札幌に行けば、シリーズの流れ自体が変わりかねない……そんな最悪の事態も考えて、イニング頭からスパッと岩瀬に代えた落合監督の決断力には、やはり唸らざるを得ません。

情を優先するのは簡単ですが、批判は、監督である自分がすべて受け止めればいいと、二兎を追わず、「いつもの野球」でチームの宿願である「53年ぶり日本一」を確実に達成しに行ったリアリストぶり。これぞ落合野球の真骨頂だと思います。

番組で、落合監督はさらにこう語りました。

「ドラゴンズは、岩瀬で締めるチームなんです。もし9回も山井を投げさせて、完全試合を達成したとしても、チームの誰も喜ばなかったと思いますよ」

2007年、中日はレギュラーシーズンで78勝を挙げましたが、岩瀬は61試合に登板し、2勝4敗43セーブ。すなわち、勝ち試合の大半に関わっているのです。

筆者は試合当日の深夜、地元・名古屋のテレビ局で生放送された「ドラゴンズ日本一特番」にもスタッフとして関わり、実際に選手たちの話も聞きましたが、「最後は岩瀬さんで締めてほしかった」という声がほとんどだったことを付け加えておきます。

あの試合だけを見れば「非情采配」に映るかもしれませんが、シーズンを通じて見ると、「筋の通った信念の采配」であり、嫌われることを恐れない指揮官だからこそ、在任8年間でリーグ優勝4回、日本一1回という黄金期が築けたのではないでしょうか。

関連記事(外部サイト)