大野均引退 ラグビー界の鉄人を変えたジョーンズHCの言葉

話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、5月18日に現役引退を発表した、元ラグビー日本代表・大野均選手にまつわるエピソードを取り上げる。

【ラグビー日本代表】取材に応じる大野均=2015年9月13日 写真提供:産経新聞社

新型コロナウイルスの影響で、1月に開幕したラグビートップリーグの中止が決定した2020年。予定されていた試合は打ち切りとなり、ファンにとっては寂しいシーズンになりましたが、そんななか、また寂しいニュースが飛び込んで来ました。「日本ラグビー界の鉄人」が今季限りでユニフォームを脱ぐことになったのです。

ラグビートップリーグ・東芝ブレイブルーパスは18日、元日本代表・大野均が現役を引退すると発表。22日にオンラインで本人が会見を行います。

特徴のある顎ヒゲと、「キンちゃん」の愛称で親しまれた大野は、福島県出身の42歳。座右の銘は「灰になってもまだ燃える」という熱血ラガーマンですが、実は高校まで野球部に在籍していました。日大工学部に進学後も野球を続けるつもりでしたが、大野の恵まれた体格に目を付けたラグビー部が強引にスカウト。大野は部の雰囲気が気に入り、そのまま入部しました。

“大学デビュー”にもかかわらず大野は才能を発揮し、2001年、強豪・東芝に入団。闘志あふれるプレーで、19年にわたってチームを牽引し、日本選手権優勝3回、トップリーグ優勝5回に貢献しました。日本代表でも活躍しましたが、大学入学までラグビー経験がなかった選手が代表に選ばれたのは異例のことです。

大野はワールドカップに2007年・2011年・2015年と3大会連続で出場。2015年大会で日本は優勝候補・南アフリカを倒し、“世紀の大番狂わせ”を演じましたが、そのメンバーの1人になりました。

昨年(2019年)開催されたワールドカップ日本大会への出場は叶いませんでしたが、日本代表最多の98キャップ(=代表戦の出場回数)を記録。今回は、日本代表の苦しい時期を支え、ラグビーの歴史に名を刻んだ「鉄人」の歩みを振り返ってみましょう。

大野が初めて代表戦に出場したのは、2004年のことでした。当時の日本代表は「ティア1」と呼ばれる世界の伝統強豪国にまったく歯が立たず、この年秋の欧州遠征で、スコットランドに8-100、ウェールズに0-98と惨敗。以後しばらく、日本代表はティア1の強豪とテストマッチを組ませてもらえなくなりました。大野はスコットランド戦に出場しましたが、代表デビュー早々、いきなり屈辱を味わうことになったのです。

大野はその後、2007年・2011年のワールドカップに連続出場しましたが、日本代表は2大会通算で2分6敗。1991年大会でジンバブエに勝って以来、18試合連続で勝利から遠ざかっていました。

大野にとって転機になったのは、2012年、世界屈指の名将、エディー・ジョーンズ氏の日本代表ヘッドコーチ(HC)就任です。ジョーンズHCが日本代表を世界で勝てるチームにするために重視したのは「運動量」でした。

身長2メートル以上の選手がゴロゴロいる強豪国に、体格ではどうしても劣る日本代表。ならば、豊富な運動量で対抗するしかない。とにかく足を止めずに動き回り、倒れてもすぐ起き上がり、次のプレーに移る……大野は、ジョーンズHCが求めるスタイルに「自分はぴったり合っている」と自覚していました。

実際、ジョーンズ新体制になっても大野は代表に選ばれましたが、ある日、こんな記事を見付けます。「経験豊富な大野は、いまの若いチームに必要だから呼んだが、2015年のワールドカップにはいないだろう」……コメントの主は、ジョーンズHCでした。

2015年大会を迎えるとき、大野は37歳。年齢的に厳しくなるのは自分でもわかっていましたが、指揮官にそこまでハッキリと言われると、反発心が沸き上がって来ました。「だったら、代表から外される日を1日でも先に延ばしてやる!」

若い選手たちに負けじと、ジョーンズHCが課した猛練習をこなして行った大野。明るくポジティブな性格もチームにいい影響を与え、大野は4年間代表から外されないまま、2015年大会本番を迎えたのです。

グループリーグ初戦、試合終了間際の逆転トライで、王者・南アフリカを破り、世界をアッと言わせた日本。大野は後半13分に退くまで強敵へ果敢に食らいつき、歴史的勝利に貢献しましたが、真骨頂を見せたのは、グループリーグ第3戦・サモア戦です。

日本は第2戦のスコットランド戦に大敗。大野は「ここでサモアに負けたら、また元の日本代表に戻ってしまう。これは日本ラグビーの今後を左右する一戦だ」と、南アフリカ戦以上の緊張感で試合に臨みました。

先発出場した大野は、前半終了間際、右太ももに肉離れを発症。痛みを感じながらも「笛が鳴るまでは走り続けよう」と右足を引きずりながら突進し、サポートに回ったのです。その間に山田章仁がトライを決めた日本は、サモアに快勝。結果的に、大野のワールドカップ出場はこの試合が最後になりましたが、この勝利で勢いを取り戻した日本は、最終戦でアメリカも撃破。3勝1敗の堂々たる成績でグループリーグを終えました。

南アフリカ・スコットランドも3勝1敗で並んだため、日本はポイントの差で3位となり、惜しくも決勝トーナメント進出は逃しましたが、ずっと勝てなかったワールドカップで3勝を挙げたことは、大きな意味がありました。そして、3つ勝ったことに満足せず、勝ち上がれなかったことで悔し涙を流す後輩たちを見て、大野は日本代表の進歩を実感したのです。

大野が去った新生日本代表は、前回味わった悔しさをバネに、2019年日本大会でグループリーグを4戦全勝で突破、初の8強入りを果たしました。その陰には、10年以上にわたって代表を務め、獅子奮迅の活躍で「ラグビー弱小国」のイメージを一変させた大野の存在があったことも忘れてはなりません。……長い間、お疲れ様でした。ありがとう、鉄人!

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