照ノ富士 復活V〜元大関が味わった序二段での屈辱

話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、8月2日に5年ぶりに幕内で復活優勝を遂げた、照ノ富士関にまつわるエピソードを取り上げる。

大相撲7月場所(東京)千秋楽 平幕・照ノ富士 5年ぶり2度目の優勝 伊勢ケ浜親方から優勝旗=2020年8月2日 両国国技館 写真提供:産経新聞社

「こうやって笑える日が来ると信じてやって来た。一所懸命やれば、いいことがあるんだと思った」(照ノ富士、優勝力士インタビューにて)

8月2日に東京・両国国技館で千秋楽を迎えた、大相撲7月場所。初日から10連勝で快調にトップを走っていた横綱・白鵬が、11日目から連敗。ヒザを痛め途中休場というアクシデントがあり、ならば新大関・朝乃山の優勝か……と思われましたが、そこに待ったをかけたのが、東前頭17枚目の元大関・照ノ富士でした。

13日目に朝乃山との1敗対決を制し、単独トップに立った照ノ富士。14日目に関脇・正代に敗れましたが、直後に朝乃山も敗れたため、単独トップを維持。千秋楽に敗れると3力士による決定戦でしたが、関脇・御嶽海を寄り切って、みごと13勝2敗で優勝を決めました。

照ノ富士が賜杯を手にするのは2度目で、2015年の夏場所以来、実に5年ぶりのことです。初優勝の際、照ノ富士は関脇2場所目で「平成生まれ力士の初V」でもありました。この優勝で照ノ富士は大関に昇進。スピード出世を重ねていたこともあり、「綱を張るのも時間の問題」とみられていました。

ところが……左ヒザに抱えていた古傷が悪化。ケガが完治しないまま強行出場を重ねたのも裏目に出て、2017年、名古屋場所・秋場所を連続で途中休場。14場所務めた大関から陥落してしまいました。その後も、満足に稽古ができないまま出場しては途中休場を繰り返し、番付はついに十両へ……。また、糖尿病・肝炎にも悩まされるようになりました。

さすがに本人も心が折れ、何度も引退を申し出たそうですが、師匠・伊勢ヶ濱親方(元横綱・旭富士)は、「まずは体を治せ。やめるのは、やれることをすべてやってからだ」と慰留。弟子がケガに負けたまま終わるような力士でないことを信じていたからです。

実は、照ノ富士がモンゴルから来日したとき、最初に入門したのは間垣部屋でした(当時のシコ名は「若三勝」)。しかし間垣親方(元横綱・2代目若乃花)が病に倒れ、部屋が閉鎖されたため、2013年に伊勢ヶ濱部屋に移籍。十両に昇進すると、伊勢ヶ濱親方は自分の現役時代のシコ名「旭富士」の「富士」を取って、「照ノ富士」という新しいシコ名を付けてくれました。以後も、直接取った弟子と変わらぬ愛情を注いでくれた伊勢ヶ濱親方。

そんな師匠の言葉に、照ノ富士も決断します。2018年の夏場所を途中休場した時点で、幕下陥落は確実になっていましたが、引退届ではなく休場届を提出。「どうせケガや病気は治さないといけない。まずは体を万全の状態に戻そう」と、4場所連続で全休に踏み切りました。

この場合、全敗と同じ扱いになるため、番付はどんどん下がります。昨年(2019年)春場所の時点で、幕下→三段目を通り越し、ついに西序二段48枚目まで落ちましたが、照ノ富士は再び土俵に戻って来ました。

優勝経験のある元大関が、こんな低い地位で相撲を取ること自体、前代未聞のことで、序二段の力士には送迎のタクシーもなく、付き人もいません。部屋の車に同乗して会場に向かい、ほとんど観客がいないなかで相撲を取る……口にはしませんが、角界のトップクラスにいた照ノ富士にとっては、精神的にかなりキツい状況だったと思います。

そんな照ノ富士を支えていたのは、「もう1回、自分がどこまで通用するのか試したい」という思いでした。体調が回復し、稽古を再開。落ちていた筋肉が再び戻って来るのを見ていると、モンゴルから来日して、何とか体を大きくしようと頑張っていた若いころを思い出したそうです。「そうか、番付を上げて行く楽しみを、もう一度味わえるじゃないか」……これぞ、究極のポジティブシンキングです。

番付が下がったことで、大関時代にチヤホヤしてくれた一部のタニマチ(後援者)は離れて行きましたが、残ったタニマチは「どんなに番付が下がろうと応援するよ」と、変わらず支援を続けてくれました。人の優しさを知ったことで、本人が「イケイケだった」と言う大関時代とは違って、謙虚になれた照ノ富士。ドン底からのスピード復活は、故障が癒えたこともありますが、内面の成長も大きかったようです。

生まれ変わろうと奮闘する照ノ富士を支えたのは、師匠だけではありません。伊勢ヶ濱部屋の仲間たちも日々、照ノ富士を励ましてくれました。兄弟子の安治川親方(元関脇・安美錦)もその1人。昨年引退した安治川親方は現役時代、長らく幕内の座を維持していましたが、十両に落ちても引退せず、故障と闘いながら、40歳まで相撲を取り続けました。

「筋肉が落ちないように、体を動かせよ」と親身になってアドバイスしてくれた安治川親方。照ノ富士は「ケガをして、もう一度やろうと思ったのは、安美関(=安美錦)のおかげ」と感謝しています。

そしてもう1人、今回の復活Vに貢献してくれたのが、同門の照強です。14日目、照ノ富士は正代に敗れ、朝乃山に2敗で並ばれてしまいましたが、続く結びの一番で、朝乃山に土を付けたのが照強でした。「前日の夜からずっと考えていた」という奇襲「足取り」で朝乃山に尻もちをつかせた照強。

取組後のインタビューで、「照ノ富士関が負けたんで、もう一度単独首位に立たせてやろうと。実現できてよかった。自分の星どうこうより、援護射撃の気持ちが強かった」と興奮しながら語りました。

かつて照ノ富士の付き人を務めていただけに、目の前で照ノ富士が負けて「絶対に勝つ!」と心に誓ったのでしょう。筆者もこの一番、国技館で観ていましたが、勝ち名乗りを受けるときの、照強の「やってやったぜ!」という顔が印象的でした。まさに「伊勢ヶ濱部屋ファミリー」の絆がつかんだV、と言えるでしょう。

これで来場所、照ノ富士の番付は幕内上位になることが確実ですが、横綱・大関全員と対戦することになります。3日の会見で、「(今場所は)勢いに乗って勝った。もう少し鍛えないと来場所は厳しい」と語った照ノ富士。休む間もなく、5日からさっそく体を動かすと宣言しました。

この復活Vは、照ノ富士にとってあくまで「通過点」。本来の地位は大関であり、師匠と同じく綱を張ったときこそが、本当の“恩返し”なのです。白鵬、朝乃山ら上位陣も黙っていないでしょうし、来場所がますます楽しみになりました。そして、観客を入れて15日間、無事に興行を終えた日本相撲協会、および関係各位に、深く感謝します。

関連記事(外部サイト)