鈴木健吾・日本新Vで歴史に幕〜アベベで始まり、瀬古が苦しんだ“びわ湖毎日マラソン”

話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、今年(2021年)の大会で長い歴史に幕を閉じた「びわ湖毎日マラソン」と、この大会の優勝者にまつわるエピソードを取り上げる。

第76回びわ湖毎日マラソン大会 ゴール後、75鈴木健吾=2021年2月28日 皇子山陸上競技場 写真提供:産経新聞社

「自分が一番びっくり。このタイムが出ると思っていなかった」

〜『時事通信』2021年2月28日配信記事 より(鈴木健吾・優勝後のコメント)

来年(2022年)から大阪マラソンと統合されるため、今年で滋賀県での開催が終了。半世紀以上の長い歴史にピリオドを打つことになった「びわ湖毎日マラソン」ですが、2月28日、最後の大会で快挙が生まれました。

鈴木健吾(富士通・25歳)が、日本新記録の2時間4分56秒で優勝。日本人選手が初めて2時間5分の壁を突破したのです。しかも、2位・土方英和、3位・細谷恭平、4位・井上大仁、5位・小椋裕介まで4人が2時間6分台でゴール。このレースの上位5人が何と、日本マラソン史歴代10傑に名を連ねたのです。

これには、日本陸上競技連盟の強化責任者である、瀬古利彦氏(日本陸連・マラソン強化戦略プロジェクトリーダー)も大喜び。今大会には、すでに東京オリンピック代表を決めている3選手(中村匠吾・服部勇馬・大迫傑)は出場しませんでしたが、瀬古氏はこうコメントしています。

「これで(代表の)みんなもスイッチが入ると思う。彼らを奮い立たせ、燃えさせた。東京に向けてもいいレースになった」

〜『サンケイスポーツ』2021年2月28日配信記事 より

瀬古氏が期待するのは、五輪代表組が奮起することで、さらに2時間3分の壁を突破することです。かつてマラソンは「日本のお家芸」と言われていました。しかし近年は、世界の高速化の波にすっかり取り残され、国内で開催される国際レースでも、上位はアフリカ勢が占め、その後ろで日本人選手たちが争う……という構図が続いています。

そんな現状を打破する兆しが見えた、今回のびわ湖毎日マラソン。もともとコースにアップダウンが少なく、天候にも恵まれたとはいえ、6位から15位までの10選手も2時間7分台でゴールしています。瀬古氏は記録続出について、会見でこう語りました。

「年間の国内ランキングみたいな成績。こんなことは世界のマラソンでも多分初めてでしょう。世界の歴史を変えた“びわ湖”になった」

〜『サンケイスポーツ』2021年2月28日配信記事 より

国内で開催されている主要マラソン大会のなかで、最も長い歴史を誇っていたびわ湖毎日マラソン。この大会が男子マラソンの歴史をつくって来たのは、紛れもない事実です。最後の大会に先立って、瀬古氏は2月9日の会見で、その功績について語りました。

現役時代に出場した瀬古リーダーは「僕自身はいい思い出はないので、辛かった思い出しかないですけれど…」とユーモアを交え「びわ湖が果たしてきた役割は、ものすごいものがある。歴史が物語っている」と感慨深げに振り返った。

〜『日刊スポーツ』2021年2月9日配信記事 より

この大会が始まったのは、戦後間もない1946年10月のことでした。当時は滋賀ではなく大阪開催で、名称は「全日本毎日マラソン選手権」。大阪市内を走っていたこのレースが最もにぎわったのは、1961年の大会です。前年の1960年にローマ五輪の男子マラソンで金メダルを獲得したアベベ・ビキラ(エチオピア)を招待したからでした。アベベは2位に10分以上の差をつける圧倒的な走りで優勝を果たしました。

ローマ五輪ではレース前に靴が壊れ、裸足で走って優勝したアベベ。3年後(1964年)の東京五輪で連覇を目指す金メダリストを一目見ようと、沿道には群衆が殺到しました。選手に触ろうとする観客も現れるなど、警備に当たった大阪府警の手に負えないということになり、翌1962年の大会から滋賀県に場所を移すことに。つまり「びわ湖毎日マラソン」が始まるきっかけをつくったのは、アベベだったのです。

ただし、滋賀に移ったのもつかの間、続く1963年・1964年の大会は、東京五輪のプレ大会という位置付けになった関係で、この2年間は東京で行われています。五輪イヤーの1964年大会は代表選考レースとなり、優勝した君原健二、2位・円谷幸吉、3位・寺沢徹がそのまま東京五輪代表に決定しました(ちなみに東京五輪はアベベが連覇。円谷は3位に入り銅メダルを獲得しています)。1965年からは会場が滋賀に戻り、再びアベベが出場。このときも独走で優勝を飾りました。

ソウル五輪の年に開催された1988年の大会も、世間が注目する大会となりました。当時は福岡国際マラソンが五輪代表の「一発選考レース」と位置づけられていましたが、優勝候補の瀬古利彦が直前に故障。福岡国際を欠場したためです。

ソウルでメダルを獲得するためには、瀬古の力がどうしても必要と考えた日本陸連は、福岡国際の上位2名(中山竹通・新宅雅也)を代表に決め、もうひと枠は「保留」に。瀬古の回復を待って、びわ湖毎日マラソンの瀬古の走りを見てから決めることになりました。

ところが……序盤から飛ばしたことと、予想外の気温上昇により、瀬古は終盤に失速。優勝は果たしたものの、目安とされた2時間10分台は切れず、福岡国際3位のタイムも下回る2時間12分41秒という平凡な記録でレースを終えました。

最終的に日本陸連は経験を買って瀬古を3人目の代表に選びましたが、この“救済措置”には大きな非難が起こりました。その影響もあってか、ソウルで瀬古は9位に終わり、この年限りで引退しています。先述の「僕自身は辛かった思い出しかないですけれど……」というのはおそらくこの件を指しています。

東京五輪の代表選考を明快にするため、マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)の創設にも尽力した瀬古氏。優勝したのに、まったく喜べなかったびわ湖毎日マラソンでの苦い経験も背景にあったのではないでしょうか。

世界的にマラソンの国際レースが大規模化するなか、小都市で行われて来たびわ湖毎日マラソンはその役目を終え、大阪マラソンと統合。来年から会場は大阪に移ります(戻ります、と言ったほうが正確ですが)。新大会の名称は未定ですが、鈴木という新たなスターを得た日本勢が、外国勢にどう対抗して行くのか? 新たなドラマに期待です。

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