元大関・魁皇の妻 親方と弟子の愛で二度目のがんを乗り切る!

元大関・魁皇の妻 親方と弟子の愛で二度目のがんを乗り切る!

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「彼が入門してきたときからの、いろいろなことを思い出して感動しちゃいました。最近涙もろくて、すぐに泣けてきちゃうんですよ」

7月の名古屋場所終了後、晴れがましい愛弟子の姿を目にし、涙ぐむ女性の姿があった。大勢の報道陣を前に、浅香山親方(47・元大関・魁皇)と並び、新十両昇進を決めた弟子の魁勝(24)が、緊張気味に会見に臨んでいる。どこか心配そうに、ときにしっかりと目に焼きつけるよう見守っているのは、浅香山部屋のおかみ、古賀充子さん(51)だ。部屋創設6年目、初の関取が誕生したのだ。

「なんだか『親方もこういう会見をしていたよなぁ』と、親方の現役時代まで思い出しました。『懐かしいな。この感じ』って。それをうちの子が、今、この場でやっているんだなぁってーー」

38歳まで23年間もの長きにわたって現役生活を送った、希代の人気大関・魁皇にとって、充子さんは5歳年上の姉さん女房だ。引退後、夫が親方となり、2014年に東京都墨田区に部屋を構えると、妻である充子さんも“おかみさん”と呼ばれる存在となった。

「私は46歳で『この年で一から新しいことを始めるの?』と考えると、しんどかったですよ(笑)。あと10年若かったら、もっといろいろしてあげられるのに、って」

相撲界は「番付」という階級がものをいう。十両以上が「関取」と呼ばれ、やっと一人前と認められる。関取になれるのは、わずか10人に1人とされる厳しい世界だ。そして男だけの共同生活は、修業の場でもある。

勝負の世界に生きる彼らの悲哀に、わがことのように寄り添えるのが“紅一点”の充子さんなのかもしれない。

かつて『西脇充子』の名でリングに上がった元女子プロレスラーでもある。’90年10月、22歳で戦いの場から下り、第二の人生を歩んでいた彼女の前に、’97年9月、現れた敵は「卵巣がん」だった。

「家族を呼ばれる告知でもなく、私ひとりきりで、いきなり結果を知らされた。逆に悲愴感がなかったくらいです。不思議ですね。『明日から入院するから、ゴミを捨てよう』『バイト先からお給料を先にもらっておかなきゃ』なんて、現実的なことをまず考えた。でも、その後、抗がん剤治療をして髪の毛が抜け始め、じわじわとがんになったことを実感するんです」

しかし、この闘病が縁結びともなり、人気大関の妻となる。

手術を受けて半年間の抗がん剤治療を終え、少しずつ髪の毛も生え始めたころ、運命の出会いがあった。「力士と会うと元気になるから」と病状を心配する知人に誘われた先に、当時、小結だった魁皇がいたのだ。

夫が当時を振り返る。

「どんなに弱々しい女性が来るかと思ったら、美容師の友人が染めてくれたという金髪の頭で、すごい元気なんですよね。おまけに後輩のアジャ・コングまでいるし(笑)。『騙された〜』と思ったくらいでしたよ」(親方)

意気投合し、互いに好意を抱いた出会いから1カ月後、充子さんは転移や再発の有無を調べる検診を明日に控えた。「不安で不安でしょうがなく」電話を掛けた相手は、親方ーー当時の魁皇だった。

「明日、検査なんだ」

「そっちに行きましょうか?」

明るさがなりを潜め、心細げな充子さんの元に駆け付けて寄り添い、翌日、検査結果を心配しながらも魁皇は巡業へと旅立った。

ほどなく結婚を意識する。プロポーズのその言葉に、一女性として、再発の不安を抱える身として、心が震えるほどの感動を覚えた。

「これからは俺のために、俺を中心とした生活を送ってくれないか。その代わりにお前のすべてに責任を取るから」

出会いから約2年後、’99年6月に結婚。夫との結婚生活は、タッグを組んで闘うような日々だった。そして現在は、土俵に上がる11人の弟子たちとの泣き笑いの毎日を送っているが、そんななか、また新たな「闘い」が始まったーー。

魁勝の十両昇進パーティを4日後に控えたある日のこと。準備に追われていた充子さんが、外出から戻ってきた。しばしの雑談のあと、声のトーンが低くなったと思いきや、数秒の間を置き、意を決したように口を開いた。

「今日、実は……私、病院に検査に行ってきたんです。初めてお話するんですが、私、1年半前に乳がんになっているんです。今日は検診の日だったんですね。結果は大丈夫でしたけど、乳がんって10年は見ないといけないらしく、先生に『これから長い付き合いになりますよ』と言われているんです」

新たな「敵」は、50歳になった記念にと、昨年2月に友人とPET検査を受けたことで見つかる。検査翌日に電話があった。

「今から病院に来られますか? 7ミリの乳がんが見つかりました。早期でよかったですね」

絶句した。なぜ今になって、またこの私が? せっかく卵巣がんを克服したのにーー。この日から数日、充子さんは、今までにないほど涙に暮れた。弟子たちの姿が見えないと、彼らの暮らす大部屋に乗り込んでまで、たわいないおしゃべりを楽しみにし、日課としていたのだが。

「このときばかりは泣きましたね。子どもたちの顔を見るのが本当につらくて、とにかく彼たちを避けた。自宅部分に親方とずっとこもり、何日も会わなかったんです。子どもたちも、『おかみさん、どうしたんだろう?』とは思っていたでしょう。でも顔を見たら、もっと泣けてきちゃうから、どうしても会えなかった」

乳がん発見から1カ月後の昨年3月、大阪場所前に充子さんは手術に臨んだ。

「退院して体力も戻り、彼らが大阪から部屋に帰ってきて顔を見たら、『みんな、お帰り〜! 私もう元気だよっ』って、もう一人ひとりとハグですよぉ」

退院後は夫婦で電動自転車を買ってランチに遠出したり、親方は、夫婦2人の時間も作ってくれるようになったという。

「乳がんになってから急に優しくなったんですよ。今までしたことのない食事の後片付けも、いつのまにかしてくれて、なんだかわかりやすいですよね(笑)」

待ちに待った晴れがましい十両昇進パーティの日。薄黄色の和服に身を包み、凛とした充子さんは、200人の招待客のあいだを笑顔でくるくると動き回っている。この日のパーティの主役である魁勝に、ふと好きな女性のタイプを尋ねてみた。

「理想は、おかみさんです。楽しくて明るくて、さっぱりしてるところが好きです」との言葉を伝えると、「私がそう言わせるように仕向けてるんです。あはは!」と充子さんははじけるように笑った。

「私は彼ら(弟子)と生活するまで、自分は一切“母性本能”というものがない人間だと思っていた。こんなに母性があるんだと初めて気がつきました。親方にとっての弟子で、私にとっては弟子じゃないので、私は“うちの子どもたち”と言ってしまいます。もうかわいくてしょうがないんですね。大変な子育ても経験せずに、11人も子どもがいると考えると、なんて私は幸せなんだろうって」

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