彭帥問題で中国当局の肩を持つIOC「バッハ会長」 歴史を動かす危険な一歩か

彭帥問題で中国当局の肩を持つIOC「バッハ会長」 歴史を動かす危険な一歩か

彭帥選手(si.robi/Wikimedia Commons)

 安否が心配されていた中国の女子プロテニス選手・彭帥さんの無事を伝える動画が次々に公表される中、21日にはIOC(国際オリンピック委員会)のトーマス・バッハ会長が彭帥さんと約30分にわたって「ビデオ通話を行った」とのニュースが写真付きで報じられた。

 中国側もIOCも「これで彭帥選手の安全と自由は証明できた」として、広がりを見せていた北京五輪外交ボイコットなどの動きを牽制した。

 しかし、両者の思惑とは裏腹に、中国当局への疑念がこれで解消したとは言い難い。むしろ、それまで静観の構えだったIOCのバッハ会長の唐突な登場で、中国とIOCの蜜月ぶりが強烈にアピールされ、かえって火種を大きくしたとも言えるだろう。

 報道されたのはバッハ会長が画面に映る彭帥選手と話している静止画だけで、肉声は公開されていない。しかも、10年以上におよぶ海外プロサーキット生活で英会話は十分にできるはずの彭帥選手になぜ通訳が必要だったのか? 通訳がバッハ会長に伝えた言葉は本当に彭帥さんの本心だったのかなど、各分野の専門家が様々な指摘をしている。むしろ謎は深まった感が強い。

 会談にはバッハ会長と彭帥選手のほか、IOCアスリート委員長のエマ・テルホ氏と、通訳も務めた中国の元バドミントン選手でIOC委員の李玲蔚(リ・リンウェイ)氏の計4人が参加したという。李玲蔚さんは「彭帥選手の友人」と紹介されていたから、なんとなく和やかな印象を受けるが、「ただの親しい友人」ではない。彼女は中国で最初のバドミントン世界チャンピオンで、いわばレジェンドのひとり。同時に、2008年北京五輪の成功に向け、国際連絡部副大臣を務めた。2012年にIOC委員に選ばれただけでなく、2013年の第12回全国人民代表大会(全人代)常任委員会委員、2015年には党委員会書記に就任、といった顔を持つ人物だ。つまり、中国当局側の人である。

 IOCと中国、どちらがこの会談を持ちかけたかは不明だが、いずれにせよIOCと中国は共同で、彭帥選手の自由と安全を世界にアピールし、北京冬季五輪開催になんら懸念がないことを強調した格好だ。

 新たな火種と書いたのはまさにこの点だ。

 アメリカのバイデン大統領が「外交ボイコット」を示唆し、イギリスなど多くの国が同様の態度を表明している。WTA(女子テニス連盟)は彭帥選手の安否確認を強く求め、人権を蹂躙する中国の姿勢が変わらなければ「中国からの事業撤退も検討する」(スティーブ・サイモンCEO)と一貫して強い姿勢で改善を求めている。ジョコビッチ選手や大坂なおみ選手らも、彭帥選手の安否確認と自由を求める声を上げている。


■「ぼったくり男爵」バッハ会長


 私たちが住んでいる自由主義社会の空気感で言えば、あらゆる人の平等と人権を尊重するのは大きな時代の要求であり共通のテーマだ。夏の東京2020でもこの実現が主要な課題のひとつとされたのは記憶に新しい。アスリートや世界のスポーツ・ファンがIOCバッハ会長に望んだのは、事実の解明と中国社会の改善を求める行動だったはずだ。ところが、期待に反してバッハ会長はこともあろうに中国当局の肩を持つ行動に出た。その衝撃と落胆はあまりにも大きい。

 日本では「ぼったくり男爵」の蔑称が歓迎され、行き過ぎた商業主義の象徴的存在とみなされている。それももちろん問題だが、今回の行動はそれ以上にIOCとオリンピックの根幹に関わる暴挙だと、多くの人が感じているだろう。

 これがどんな波紋を呼び、アスリートや多くのスポーツ・ファンがオリンピックに対してどう考えを変え、そのことがどんな行動に結びつくかはまだわからないが、このまま何も起こらなければ、今度はそれ自体が問題だと非難の的になるだろう。このようなIOCと中国の姿勢を容認して、粛々と北京五輪に参加することが「スポーツマンシップ」と言えるだろうか? 各国政府以上に、参加を目指している選手ひとりひとりが胸に手を当て、参加の是非と今後取るべき針路を深く問うべき責任に直面している。

 選手にとってオリンピックは人生最大と思うほどに大きな目標であり、オリンピックの成績がその後の人生を左右するのは誰もが知るとおりだ。しかし、オリンピックがお金にまみれ、政治的思惑に完全に利用されているなら、強く改善を求めるべきだろう。そのような汚れた舞台を選手が名声と巨額の収入を得るために利用するなら、選手もまた同罪と言われても仕方がない。

 新しいスポーツの祭典をアスリートたち自身の手で提唱し、新しいパートナーたちと生み出す努力をすべき時が来たのではないか。

「オリンピックに政治を持ち込むな」は大切な原則だが、それはむしろ「オリンピックを政治に利用している人たち」が、「自分たちの行為や政治的思惑を隠す目的」で使われる場合が少なくない。


■「平和の祭典」のウソ


 歴史に語られる1936年ベルリン五輪に思いを馳せる。ジェシー・オーエンス、村社講平ら幾多の名選手が躍動し、伝説が生まれた。記録映画や聖火リレーなど、いまに続くオリンピックの伝統が生まれた大会でもあった。しかし、ナチス・ドイツのプロパガンダに利用された事実は拭えない。

 なぜ、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害をわかっていながら、国際社会はベルリン五輪の開催を容認したのか? なぜアメリカなど各国は参加したのか? 改めてその疑問をたどると、興味深い事実が浮かび上がる。

 オリンピックのベルリン開催が決まった後にアドルフ・ヒトラーは首相になった。そのヒトラーが、アーリア人以外はスポーツ施設や団体から排除する政策を取ったことから、世界各国でボイコット運動が起こった。当時アメリカのオリンピック委員会の委員長で後にIOC会長として君臨するアベリー・ブランデージも当初はドイツでの開催を取りやめるよう提唱していた。1934年にドイツに査察に行った後、「ユダヤ人選手は公正に扱われているため、大会は予定どおり開催されるべきだ」と態度を変えた。そして、「スポーツに政治を持ち込むべきでない」とボイコットに反対し、アメリカ選手団の参加を強く主導したと語られている。あの時も、ドイツ当局とIOC首脳が結びつき、政治の片棒を担いだといってもいい事実があったのだ。

 IOCはオリンピックを「平和の祭典」と呼び、世界の平和と平等を発信しているようだが、その実、平和や平等の実現とは対極的な勢力と結んできた歴史が厳然とある。しかも、IOCはオリンピック当初の女性選手の参加を厳しく認めなかった。

 私たちはいま改めて、IOCの歴史的実態と、彼らがオリンピック誕生の初めから決して人道的でなく、むしろ権威的で差別的だった事実を直視し、新たな方向性を模索すべきではないだろうか。

 私もオリンピックに理想を抱き、感傷と憧憬を持つ者として、オリンピックを悪く言うことにためらいを感じる。未来永劫、オリンピックが続いてほしいという淡い期待を捨てることができない。しかし、IOCは選手やファンのそのような思いを人質に取るかのように、あるいはそういう幻想や愛情に付け込むように、華やかで感動的な舞台の裏で、本当はあってはならない差別的、権威的な世界状況を作り出している。そうであれば、私たちは感傷を捨て、目を覚ますべきだろう。

 考えてみれば、IOCはオリンピックの旗を持つ、スポーツ界では唯一の組織だ。中国共産党がそうであるように、IOCもまた「一党独裁体制の組織」だ。しかもバッハ会長就任以降、「オリンピックが世界のスポーツ界全体の傘になる路線」を着々と進めている。かつては「4年に一度のスポーツの祭典」だったが、いまは違う。日常的にオリンピックがあらゆるスポーツに影響力を持ち、ジュニアに至るまでオリンピック・ムーブメントを張り巡らそうとしている。とくにマイナーと呼ばれる競技は、IOCからの分配金なしには運営が難しい。言い換えれば、オリンピックとIOCに依存し、支配されている。その状況を考えれば、IOCと中国が蜜月になるのは、単に中国マネーを必要とするだけでなく、もっと深いところで共感し合っている可能性さえ想像できる。

 今回のバッハ会長の行動は、実は歴史を動かす大変な一歩だったのではないか。内心、そうした動きの萌芽を強く期待している。オリンピックが形骸化し、もはや救えない裏面を持つものなら終了し、オリンピックの理想を受け継ぐ新たな祭典を創ればいい。もしくはオリンピックの主催権をIOCに返上してもらい、新たな組織でオリンピックを継承してもいい。オリンピックからIOCを追放することになんら躊躇は感じない。今回のバッハ会長の行動で、変革へのカウントダウンが始まったのではないだろうか。

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。「ナンバー」編集部等を経て独立。『長島茂雄 夢をかなえたホームラン』『高校野球が危ない!』など著書多数。

デイリー新潮編集部

関連記事(外部サイト)