「秀岳館高校」サッカー部事件、背後にある全く語られない教育現場の現実

「秀岳館高校」サッカー部事件、背後にある全く語られない教育現場の現実

サッカー部コーチによる暴行事件が発覚し、記者会見で頭を下げる秀岳館高サッカー部の段原一詞監督(左手前)ら

 秀岳館高校サッカー部の暴力事件は、コーチの暴力問題に端を発し、監督の不可解な対応や弁明をめぐって波紋を呼んでいる。 【小林信也/作家・スポーツライター】


■野球を見る目は必要ない


 部員たちが自発的に撮影したとされていた「謝罪動画」が、実は監督の指導の下で撮影・編集されていた。当初は「関与していない」と明言しながら指摘を受けて後に関与を認めるなど、二転三転する監督の無責任な姿勢や言い訳が世間の憤りを煽っている。一体、誰のための問題解決なのか。監督の弁明が右往左往する一方で、監督が「自分自身の立場を守ることに懸命だ」という姿勢だけは一貫して浮かび上がる。生徒を矢面に立てて責任逃れを図ったとしか思えない監督の対応は残念ながら弁護のしようがない。

 だが、なぜこのような事件が起こるのか? 校長補佐という要職にまである教員がどうして自己保身で頭がいっぱいになり、教育者なら本来最優先するはずの生徒への配慮を欠く背景に何があるのか? 私は長年、主に高校野球を中心に高校教育の現場を取材し、部活顧問(監督、部長、コーチら)と親しく交流してきた立場から、あまり語られていない教育現場の実情をふたつの観点から指摘したい。

 ひとつは、「多くの選手を集める部活動が、少子化が進む中で私学経営の重要な基盤になっている」という現実だ。その流れができてもう20年、30年が経っている。私は、ある有名私学の野球部長から、

「野球部とサッカー部と吹奏楽部、それぞれ100人集めるのが私の仕事です。三つの部活で300人の生徒が確保できれば、学校経営の基盤になります」

 と聞いた経験がある。彼は他の私立高校から転職した教員で、野球やサッカーの経験はない。だが、前任校で野球部長だった経験を買われ、その私学に職を得た。

「野球を見る目なんて必要ありません。私が信頼する有名監督が目をつけた中学生を誘いに行く。うちに来てくれればラッキーです」


■力の差


 節操がないと思ったが、それが彼の使命であり、やり方だった。そして、サッカー、吹奏楽も合わせ、一定の部員を確保することで校内での地位を確立していた。さらに、

「何人かは特待生で、授業料を免除してもいいのです。生徒数が確保できれば、私学助成金が入りますから収入は見込めます」

 という説明を聞いて、驚いた。

 事件の報道を見聞する視聴者、読者の大半は、「強いことが大事」「全国大会に出場し、優勝するのが目的」と思っているだろう。もちろん、現場の目標(掛け声)はそこにあるが、学校の目的(基準)はそこではない。常に「優勝」や「全国大会出場」の幻想が抱け、生徒が集まる状態を維持できれば及第点なのだ。秀岳館のサッカー部は、「名門」とか「強豪」と紹介されているが、実際には疑問符がつく。熊本県内では強豪の一角だが、「名門」か? と言えば、サッカー関係者の多くは首を傾げるのではないだろうか。この辺は、報道する側が視聴者の気を引くためにメディアが“盛っている”感が否めない。過去10年の結果を見ても、全国大会出場は1度しかない。昨年12月は熊本県大会の決勝に進出しているが、県立大津高校に7対0で敗れている。それほど大きな力の差があったと理解していいだろう。

 熊本県内でサッカーの名門といえば、真っ先に名が上がるのは、県立大津高校だ。総監督がテレビの人気番組「世界一受けたい授業」に出演し、選手主体の部活動に敬意が集まっている。県立校でありながら、100人を超える部員がいる。過去には県大会8連覇の実績があり、昨年度も全国大会で準優勝を飾っている。2年に1度はこの大津高が全国大会に出場している。昨年の県大会ベスト4の高校の監督のうち、3校は大津高のOB。つまり、人材も育て、県内のサッカーの方向性をリードしている存在だ。


■体育教員の必要“圧”


 もうひとつの指摘は、体育教員や実績のある部活顧問が学校運営で重要な役割を担っている現実だ。すべての学校がそうだとは言わない。お行儀のよい生徒が大半を占める高校では不要だが、ヤンチャな生徒が多い高校では、体育教師や部活顧問の存在は校長にとって大きな頼りだ。端的な例を挙げれば、全校集会の光景を想像してほしい。ザワザワする生徒たちの前に強面の体育教師や部活顧問が立てば、次の瞬間に静寂が訪れる。このような高圧的な雰囲気で学校運営をする日常が、いまも何割かの高校の現実だろう。校長にすれば、威圧的で生徒を鎮める力を持つ体育教員や部活顧問はありがたい存在なのだ。

 その体育教員や部活顧問が、暴力的な威圧でなく、人間的な魅力尊敬や威厳によって生徒から尊敬を得ているなら問題ないが、往々にして普段からの高圧的な態度が、つまり「あの教師は怖い」「逆らわない方が身のためだ」といった恐怖感で制圧されている場合が少なくない。

「パワハラ一掃」「高圧的な指導はいけない」と言いながら、学校運営そのものが、そのような空気で行われている現実を変えないかぎり、秀岳館の監督、コーチに見られる彼らの勘違いは変わらない。


■教育現場の構造的欠陥


 私は、野球部の顧問たちと親しく交流してきたから、彼らにも言い分があることを知っている。それは例えば、「給料分だけ働けば役目を果たした」と考える「事なかれ教員」が増えている現実だ。

 教師の仕事はプライスレスな領域が多い。生徒指導を突き詰めたら、際限がない。それがブラックな体質を生む要因でもあるのだが、「最近は割り切った教員が多い。彼らが放棄している役割を自分たちが担っている」という認識や自負も、情熱的な体育教員や部活顧問の中にはある。

 人気ドラマ「ドクターX」(テレビ朝日)の主人公・大門未知子は、「医師免許がなくてもできる仕事はやりません」と公言している。そのクールさが魅力なのだが、「教員免許がなくてもできる仕事はやりません」と決めている教員の割合が増えているのは、実はなかなか難しい現実を生んでいる。生徒指導に関する仕事などは、悩みを抱えた生徒の心が落ち着き、確かな目標をつかみ直すまでの道のりを考えたら一朝一夕には終わらない。粘り強い指導と情熱が必須だ。そのため、その領域には近づかないと決めている教員が少なくない。学校の中で、誰かはこの役目を担う必要がある。多くの場合、体育教員や部活顧問が校長の求めに応じる形になりがちだ。彼らが本当に粘り強く、ひとりひとりの気持ちに寄り添って支援できるのが理想だが、教師の方も楽な解決を図ろうとすれば、安易な高圧的指導が日常になってしまう。

 情報番組のコメンテーターの発言は、「まだこんな暴力的な指導をしているのか」「暴力で強くするのはもうやめよう」といった『アンチ暴力指導』への指摘、支配的な体質の糾弾に集約される。その指摘は当然だ。ここ数年のパワハラ騒動を通して、社会の価値観や基準は完全に変わった。そのことだけに視点を向ければ、暴力を振るったコーチや、いい加減な弁明を繰り返す監督の悪しき体質かりが際立って見える。同時に、彼らを生み出す背景に、いまも残る教育現場の構造的欠陥があることも理解する必要がある。

 秀岳館サッカー部の問題は、単なる部活の暴力問題、顧問の横暴ではない。

 私は、秀岳館サッカー部の監督、コーチを弁護したくてこれを書いているのではない。高校に通う目的は、大学受験のためなのか、スポーツのためか、人格形成なのか、目的や意義さえも曖昧な現代の高校のあり方そのものが問われる核心的な出来事だと、多くの人に気づいてほしい。

 スポーツ(部活の強化)を学校経営の柱に据えるビジネスモデル自体が大きな曲がり角に来ていると思うし、高圧的に支配しなければ秩序の保てない日本の十代の本質的課題がどこにあるのか? 家庭の教育、子どもたちを育てる目的の方向性を含め、真剣に考え直す必要がある。

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部等を経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。

デイリー新潮編集部

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