アントニオ猪木さんが闘病中に漏らした弱音と本音 「神様なんて、本当にいるんでしょうかね」

アントニオ猪木さんが闘病中に漏らした弱音と本音 「神様なんて、本当にいるんでしょうかね」

筆者のインタビューに応じるアントニオ猪木氏=東京都内の事務所(2020年9月4日:筆者撮影)

「燃える闘魂」アントニオ猪木氏が10月1日、死去した。弱冠29歳で立ち上げた新日本プロレス創設からちょうど50年。奇しくも、前日の9月30日は、1960年にプロレスデビューした日にあたる。以後、半世紀以上にわたって第一線に立ちながら、政界にも進出し、参院議員を2期12年務めた。抜群の存在感と発信力により、絶大な影響力を保ちながら、死の直前までお茶の間のヒーローであり続けた。最近の言葉とともに、猪木氏の知られざる人となりを紹介したい。

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「誰もがかからないような病気に、何でなってしまったのかと考える時があります。人間の尊厳ということもたまに考えますね。神様なんて、本当にいるんでしょうかね…」。

 問わず語りでふと漏らした後、自宅の白い天井を数秒間にわたって、静かに見つめていた姿が思い出される。3年前に死去した妻・田鶴子さんの納骨式と墓の建立式のため、青森県・蔦温泉への遠出を翌週に控えた今年5月中旬の夕刻。「もう、いつ迎えが来てもいいと思っています」と笑みを浮かべながら、幾度となくこぼした。会った人すべてを虜にする「外向け」の笑顔とは、すっかり様相が異なっていた。田鶴子さんの遺骨と遺影を前にして、自らの運命を恨み、死期を悟っていたのだろうか。

 猪木信者の一人として「会長(猪木さんの呼び名の一つ)こそ、多くの人にとって神様そのものですよ」と何とか応じたが、たちまち視界がにじみ、しばし言葉を継ぐことができなかった。

 数万人に1人、日本国内で2000人程度と推定される難病の「全身性トランスサイレチンアミロイドーシス」と懸命に闘い続けてきた猪木さん。周囲からは常に「アントニオ猪木であること」を求められ、旺盛なサービス精神をフル稼働させ、どんな時でも世の中に元気を送り続けてきた。持病だった糖尿病、腰の重い病気に加えて、今回の病魔に冒されてから3年。全身が徐々に弱っていく恐怖と向き合いながらも、その様子を隠すことなくYouTubeに動画をアップしてきた。


■「いつも『いろいろ面倒くせぇなあ』とか思いながら…」


 以前、共同通信社の政治部記者だった私は、政治家・アントニオ猪木を参院議員2期目の2013年から担当し、数々の取材やインタビュー、さらには食事を一緒にする機会にも恵まれた。そして、いわゆる「サシ」で接する回数を重ねるにつれ、リングやテレビ番組でスポットライトを浴びてきた猪木さんと、目の前にいる猪木さんとのギャップを時々感じるようになった。聞かれたことには答えるものの、自分から話すことはあまりなく、口数は多くない。どちらが、本当の猪木さんなのか分からなくなった。

 ある時、その疑問をぶつけてみると「いつも『いろいろ面倒くせぇなあ』とか思いながら、いろいろやってるんですよ」、「まぁ、興業屋なものですから、大勢のファンや集まってくれる人々を目の前にすると、スイッチが一気に入って、そんなことをすっかり忘れるんです」と教えてくれた。すべてが腑に落ちたのを覚えている。

 最後に2人だけで面と向かって会話を交わしたのは、都心の自宅を訪れた冒頭の5月中旬のこと。巨体に赤いマフラーを巻きながら、国会で安倍晋三元首相らに論戦を挑み、北朝鮮で要人との会談に臨んだ際の姿は、そこにはなかった。テレビの大相撲中継を観戦しながらの話題は、世間話から始まり、病気の話や食べたいもの、一番の関心事など多岐にわたった。1時間程度だったろうか、野太い声は影を潜め、言葉が時折聞き取りづらいこともあった。

「誰もしていないようなことを、ずっとやってきました。今回(の病気)もそうです」(アントニオ猪木氏)

 私が「あの強かったアントニオ猪木が、今の弱々しい姿を見せている。それこそ、本当の強さなのではないですか」と水を向けると、プロレスや政治、事業などで誰も思いつかないようなことを実現させ、積み重ねてきた数々の成果と難病を重ね合わせてみせた。表情はどことなく、寂しそうだった。

 1989年、史上初のプロレスラー出身国会議員として初当選以来、政界の常識をいとも簡単に乗り越える「非常識」ぶりを発揮してきた。湾岸戦争前で情勢が緊迫しているイラクに単身で何度も乗り込み、度重なる交渉の末、日本人人質の解放を実現させた。政府の渡航自粛要請を何度も無視し、北朝鮮を訪問すること33回。国会への連絡不備を問題視され、登院停止30日間となる参院では63年ぶりの懲罰を食らっても、「国会は無理やり休ませてくれるところなんだよ笑」と、どこ吹く風だった。

 ボクシング世界ヘビー級王者のモハメド・アリさんとの異種格闘技戦で得た世界的知名度を武器に初当選直後から繰り広げた「闘魂外交」では、従来の議員外交の枠に収まることなく、キューバのカストロ国家評議会議長をはじめ、旧ソ連やブラジル、ニカラグア、ソマリアなど各国首脳と次々に面会。クリントン元米大統領、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長らとも交流した。

「元気ですかー!」で始まる国会質問は、ダジャレを必ず交えて、議場内を笑いの渦に巻き込んだ。2期目の2015年、国会質疑でUFO(未確認飛行物体)を取り上げた時、複数の議員が小馬鹿にするようなあざけ笑いを浮かべたことを忘れなかった。決死の覚悟で臨んだアリ戦を一部で茶番扱いされたことに怒り、プロレスに対する世間の目、プロレス出身議員として見られる世間の目には敏感であり続けた。ただ、政治家・アントニオ猪木の評価は、賛否両論が交錯するのが実情だ。


■最後に抱いた夢


「塩分がないと、何を食べても美味しくないんですよ。先日、近所の中華料理を取り寄せましたが、しょっぱくて食べられなくてね。美味いものを、また食べに行きたいですね」

 厳しい食事制限を強いられながらも、大好物のフグを食べに行くのに強い意欲を見せていた。

 病気は睡眠にも影を落としていた。「小刻みにしか眠れないんです」、「どこかが痛いというわけではなく、手がしびれるんです」。会話の最中、ペットボトルのお茶を欲した猪木さんの手は震えてわずかに届かず、おそるおそる手渡しした。

「今、一番関心があるのは、ごみ問題。水プラズマを何とか前に進めたいと思ってます」。常に夢を追ってきた男が最後に抱いた夢は、温度が2万度になるプラズマと水を作用させることで、一瞬にしてごみを溶かし、灰もなくしてしまう水プラズマ技術の活用。フィリピンのスラム街「スモーキーマウンテン」にうずたかく積まれたごみが瞬時に消えるのを夢見ていた。

 私が米国で暮らしていた時も、時折かかってきた電話の第一声はこれまでと変わらず「元気ですかー?」の大声だった。病気の進行とともに、その声は次第にかすれ、か細くなっていった。あの声はもう聞けない。この世にいないのが信じられない。とてつもない喪失感に打ちひしがれている。


■「アントニオ猪木」という重荷


 拙著『猪木道――政治家・アントニオ猪木 未来に伝える闘魂の全真実』執筆のため、2020年に3回インタビューした際、難病は既に進行しており、体調は決して万全ではなかった。毎日欠かさなかったアルコールを一切口にすることはなく、歩くのには杖が手放せなかった。

 インタビューの最終盤、猪木さんは最強かつ最期の敵は自分だと明かした上で、こう漏らしていた。

「皆さんが(いつまでも元気だと)期待してくれているアントニオ猪木だって、歳を取っていくんです。そういう名前とか、イメージというのが、ずっと付きまとうのは、俺にとって、すごく重荷なんですよ。アントニオ猪木を続けるのも楽じゃない、本当に大変なんです」

 その言葉を直接聞かされてから「いつまでも元気でいてください。100歳まで生き抜いてください」などと気軽に伝えるのがはばかられるようになり、二度と口にすることはできなかった。

 猪木寛至さん、もうアントニオ猪木を演じなくても、大丈夫です。どうぞ、ゆっくりとお休みください。

小西一禎(こにし・かずよし)
ジャーナリスト。慶應大卒後、共同通信社入社。2005年より本社政治部で首相官邸や自民党などを担当。17年、会社の「配偶者海外転勤同行休職制度」を活用し、妻・二児とともに渡米。20年、休職満期につき退社。米コロンビア大東アジア研究所客員研究員を歴任。駐在員の夫「駐夫」として、各メディアへの寄稿・取材歴多数。今後の執筆分野は、キャリア形成やジェンダー、海外育児、政治、メディア、コーチングなど。『猪木道――政治家・アントニオ猪木 未来に伝える闘魂の全真実』(河出書房新社)は初の著作。

デイリー新潮編集部

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