白鵬は「平成の大横綱」にあらず? 相撲記者、好角家が選ぶナンバー1は

白鵬は「平成の大横綱」にあらず? 相撲記者、好角家が選ぶナンバー1は

白鵬

■「平成の大横綱」の称号は誰の手に(1/2)


 平成の大横綱。栄誉あるその称号は、貴乃花にも白鵬にも使われるからヤヤコシイのだ。平成の世、土俵を彩った横綱はこの2人を含めて13人。果たして、真に平成の大横綱と呼ぶにふさわしい横綱は誰なのか。記者や好角家がガチンコで検証した、その結果は……。

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「平成に育ててもらいました」――

 今年の1月場所8日目、天皇皇后両陛下が観覧に訪れた際に横綱・白鵬はそう口にしたが、今場所優勝後にも同じことを言った。その裏には、平成の大横綱は自分をおいて他にはいるまい、という強烈な自負が感じられはしないか。

 しかし、本誌(「週刊新潮」)が行った調査の結果は意外なものであった。平成の大横綱の称号に最もふさわしい力士は誰かと記者や好角家に聞いたところ、誰一人として白鵬を挙げなかったのだ。

 ちなみに、本誌の調査に協力していただいたのは、スポーツ評論家の玉木正之氏、東京相撲記者クラブ会友の大見信昭氏、相撲ジャーナリストの中澤潔氏、漫画家のやくみつる氏、ベテラン相撲記者、角界ジャーナリストの6人である。評価の対象となるのは、平成の時代に短期間でも土俵に上がったことのある横綱、第58代の千代の富士から第72代の稀勢の里までの13人。識者にはこの中から1人を選んでもらい、加えて、その力士の名勝負を2番選出してもらった。

 白鵬を推さなかった理由については、

「確かに優勝42回はすごいことなんですが、なんといえばいいか、鼻についてきたんですよね」(中澤氏)

「白鵬については、とんでもない優勝回数を記録しましたが、やはり、土俵態度という点で、とてもじゃないけど推せない」(やく氏)

 審判の判断に不服を申し立てるため、土俵に20秒近くも仁王立ちするという前代未聞の出来事があったのは2017年の11月場所。やはり、「品格なき横綱」は「平成の大横綱」たりえない、というわけである。

「ある力士がこう言っていました。“今は全体的にレベルが落ちている。若貴時代に白鵬がいたら、10回優勝できたか分からない”。つまり、白鵬は『鳥なき里のコウモリ』ということ。実際、“若貴時代は現在よりレベルが高かった”というのは関係者の一致した見方です」

 とは、貴乃花に一票を投じた角界ジャーナリスト。

「当時、横綱には貴乃花の他に若乃花、曙、武蔵丸がいて、大関には貴ノ浪。魁皇や武双山がなかなか大関に上がれなくて、安芸乃島、琴錦、貴闘力が三役の常連でした。この3人だって、現在のレベルから見ればメチャクチャ強いですよ。全体のレベルがあれだけ高かった中で、ガチンコで22回も優勝しているのは本当にすごいことです」

 やはり貴乃花を推した大見氏も、

「当時は巨漢のハワイ勢が隆盛を極めていた時代。そこに決して大きくはない日本人力士が一人、戦いを挑んでいったところに多くのファンは喝采していたのです」

 として、こう話す。

「さらに、宮沢りえとの婚約、河野景子との結婚、洗脳騒動に兄弟不仲説と、土俵外でも様々なドラマを見せてくれるとあって、その人気はうなぎ上りだった。親方になってからも話題には事欠かず、18年には自爆するような形で相撲界を去ったこともあり、やはり『平成の大横綱』にふさわしい」


■貴乃花と武蔵丸の因縁


 今回の調査では、角界ジャーナリスト、大見氏に加えて中澤氏の票も得た貴乃花が3票でトップとなった。

 中澤氏が挙げる貴乃花の「名勝負」の一つは、1995年11月場所の「若貴対決」。あっけなく兄の若乃花の勝利に終わったが、

「あの当時は若貴ブームのおかげで満員御礼が666日も続いた。若貴の2人が土俵に上がるだけで666日も満員御礼が続くなんて、これは空前絶後の記録です。そんな中での若貴対決が注目を集めないはずがない」

 人気も実力も規格外の貴乃花のライバル、武蔵丸に1票を投じたのは、やく氏。名勝負として挙げるのは、99年11月場所千秋楽の対貴乃花戦である。

「武蔵丸の強さがピークだった頃ですね。この大一番を見れば、武蔵丸の右四つがとんでもなく完成されていることが分かります」

 と、やく氏は言う。

「貴乃花に十分の右四つで組まれ、武蔵丸は左の上手が取れずに、右の差し手だけでこらえることになった。ところが、武蔵丸はそのままの状態から、そのぶっとい右腕で、貴乃花を完全に裏返してしまった。本当に強烈でしたね。おそらく、貴乃花の生涯で、これだけぶん投げられたことはないだろうと思えるほどのインパクトでした。真裏に返されて180度では止まらずに、さらに90度、合計で270度くらい、貴乃花の体が回ったように見えた」

 現役当時、武蔵丸は悠揚迫らぬ泰然自若とした態度で、西郷隆盛のようだと言われた。

「私は外国人力士だからといって特別な目で見るのは好きではありません。ただし、武蔵丸に関しては、ハワイ出身でありながら、“西郷さんってこんな感じだったのかな”と思わせてしまう日本人的な雰囲気を持っており、そこが魅力でした。ハワイ勢はモンゴル勢に比べると、人種的にも文化的にも、より日本から遠いけれど、その距離を埋めようとした努力が健気に見えた、という側面もあったでしょう」(同)

 貴乃花は節目節目で武蔵丸と当たり、記憶に残る大一番が生まれた。

 中澤氏が「名勝負」として挙げるのは、01年5月場所の優勝決定戦で貴乃花が武蔵丸を下した大一番である。

「貴乃花が14日目にケガを負ってから、優勝決定戦で武蔵丸を倒すまで、まるで出来すぎた芝居を見ているようでした」

 と、中澤氏は言う。

「致命的なケガをくつがえした、最高の相撲。彼にとっては一番印象に残っている取組じゃないでしょうか。優勝を決めた後、当時の小泉総理が“感動した!”と言ったあのシーンは、まさに平成の名場面といえます」

 大見氏もこう語る。

「ほとんど動かないような状態の右ひざを抱えながら、険しい表情で武蔵丸と相対する貴乃花の姿には、背筋が凍るような独特の雰囲気がありました。あの形相といい、相撲内容といい、勝負の面白さというものを身に染みて感じた瞬間でしたね」

 結局、この時のケガが原因で7場所連続の休場に追い込まれた貴乃花は、02年の9月場所で再起。しかし、そこで彼の前に立ちはだかったのも“因縁の相手”である武蔵丸だった。

「01年の5月場所では、体がボロボロで悲壮感を漂わせる貴乃花に対して、武蔵丸は心を鬼にしきれなかった」

 と、やく氏は話す。

「しかし、貴乃花が復活してきた02年の9月場所では、メンタル面を平常に保ち、相撲の内容で圧倒したのです。当時、世間が貴乃花に同情的になればなるほど、この大一番は逆張り的な意味で、すごい一番を見たな、と溜飲が下がりました。私は、貴乃花ファンでも、武蔵丸推しでもなく、全体的に相撲を見ている立場でしたが、やっぱり武蔵丸は強いな、と思ったのを覚えています」

(2)へつづく

「週刊新潮」2019年4月4日号 掲載

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