「これを走るとまた強くなっちゃうね」小出義雄さん 選手に愛された“常識外れ”の指導法

 女子マラソン界の「名伯楽」として知られる小出義雄さんの死を惜しむ声が各界から止まない。実績に加えて、明るく陽気な人柄が接した多くの関係者を魅了したからだろう。

 小出さんの指導法もまた、昔ながらのスパルタ式とは一線を画した、明るさを感じさせるものだった。ノンフィクション作家、黒井克行氏が、スポーツ界の名指導者たちの取材をもとに執筆した近刊『指導者の条件』を締めくくる最後の人物として取り上げたのが、小出さんである。

「これを走るとまた強くなっちゃうね」という小出さんの言葉をタイトルとしたこのノンフィクションには、小出さんの「ホメ続ける」力がいかに突出したものだったか、という視点で書かれている。ここからわかるのは、単なる「陽気なおじさん」ではない、小出さんの指導者としての突出した手腕だ。

 故人を偲ぶ意味で、このノンフィクションを全文、掲載しよう(『指導者の条件』より。年齢、肩書は執筆当時のもの)。
 
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「僕は駆けっこが大好きなんですよ」

 小出義雄はこの言葉を口にする時、少年のように目を輝かせる。

 まもなく80歳を迎えるが、これまでに高橋尚子を始め、有森裕子、鈴木博美、千葉真子ら世界と渡り合える数多くの選手を育ててきた陸上界の第一人者だ。有森裕子はオリンピック2大会連続メダルを獲得し、次の大会のシドニーでは高橋尚子をして金メダルへと導いた。小出の中の「駆けっこ好き」が「勝利への執念」と化し、メダルをもぎ取ったのである。それを成し得た背景にあったのは選手との絶対的信頼関係だった。

 小出ももともと陸上選手である。千葉の農家に生まれ、中学から陸上を始めた。高校は駅伝の名門・山武農業高校で、全国高校駅伝の千葉県代表になっている。大学から誘いがあったが、親が大学進学を認めず、家出。紆余曲折を経て、22歳の時、順天堂大学に入学した。憧れの箱根駅伝では山登りの5区を任された。

 卒業後は千葉県の高校教員となり、教鞭を執る傍ら陸上部を指導した。そして49歳で教職を辞し、リクルート・ランニングクラブの監督になる。その後、積水化学に移籍し、現在は自身が作った佐倉アスリート倶楽部で指導している。

 その半生は自身が言う「陸上バカ」という言葉に尽きる。

 千葉・長生高陸上部を率いて参加した大会でのことである。女子5000メートルで、部員がスタート前のコール(点呼)漏れで失格となった。競技関係者と部員のどちらに非があったのか定かでないが、部員に全幅の信頼を置く小出は「皆、帰るぞ!」と大会会場から引き揚げた。レースを前にした部員もいたが、皆、小出の号令に従った。ラグビーに「All for one. One for all」という言葉があるが、あたかもそれを彷彿とさせる行動だった。これが「先生は批判覚悟で自分たちのために体を張った」と、部員一同から信頼を得、お互いの絆をさらに深めた。翌年、失格した選手はインターハイ優勝で小出に応えた。

 現在、プロのコーチとして多くのマラソン選手を育てる滝田剛は、千葉・佐倉高校で小出の指導を仰いだ。

「高校1年の時、監督が胃潰瘍で入院しました。医者から絶対安静を言い渡されているにもかかわらず、監督は放課後の練習時間に合わせて病院を抜け出し、私たちと一緒にジョギングしていた。白い丸首のグンゼの肌着にブリーフという恰好。本人はTシャツにランニングパンツのつもりだったのでしょうが、どう見ても病院からの脱走者か変質者のなりで、今なら間違いなく通報されていますよ」

 風邪で39度の熱があっても、グラウンド内のベンチに横になりながら選手の走る姿を見ていたこともある。

「ウケ狙いのパフォーマンスで出来ることではなく、こうまでして見守ってくれるのかと熱いものが込み上げた」(滝田)

 高校の指導者時代から「駆けっこ好き」の情熱は伸び盛りの選手たちのハートを鷲掴みにしていたのだ。

 小出はこう語る。

「選手の好不調、微妙な変化は実際に自分の目で確かめないと今後の練習方法が作れない。人任せにはできないんです」

 夫人が重篤な病で長期入院中も、小出は休まない。早朝4時には起床し、幼稚園を頭に3人の娘の食事の世話と弁当作りをし、6時半からの朝練に向った。授業後、夫人の入院先に顔を出すものの練習時間となるや病院を後にした。しかも、夫人が意識不明の危篤状態に陥り、ここが山かと思われた時も、「じゃあ、行ってくる」と義母に任せて練習に出かけた。

「女房の病気を理由に練習を人任せになんてできない。選手だって命懸けでやっているんだから」

 小出には世間の常識は通用しない。選手も小出の異様ともとれる陸上への鬼気迫る情熱に圧倒され、「俺たちも負けてられるか」と背中を押されていた。

 この時に小出が指導にあたっていた市立船橋高の男子は全国高校駅伝を大会記録で駆け抜け、優勝している。

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 社会人チームの監督になって、小出の陸上への情熱はさらにヒートアップした。

「金メダルが欲しい」というのが実業団に転身した理由である。そして、それは高橋尚子をしてシドニーで実現したのだが、この金メダルも、小出と高橋との絶対的信頼関係がもたらしたものである。

 そのための指導手法の一つに“ホメ殺し”がある。

「Qちゃん、いいよ、いいよ」

 走る高橋の後方、車の助手席から顔を出し、小出の激励が飛ぶ。

「Qちゃん、また強くなっちゃうよ」

 と“ホメ殺し”に追い打ちをかける。高橋はどんなに苦しくても、この声に応えるべくブレーキをかけることができない。彼女の性格を見越しての小出流の駆け引きである。

 世界一の厳しい練習を課すと言われる小出は、シドニー五輪以降、“世界に敵なし”の高橋にジョギングを含め月に1200キロの練習量を課した。日に換算すると40キロ、つまり、毎日フルマラソンを走っていた計算になる。大の練習好きで練習量に音をあげたことのない高橋だが、一度だけ逃げ出したくなったという。前日にレースを想定した40キロの追い込みをやっていながら、小出は、

「Qちゃん、今日は長い距離を走ろうか」「エッ、今日もですか?」

 さすがに高橋の顔は歪んだが、小出は意に介さず、ニコニコしながら、

「これを走るとまた強くなっちゃうね」

 高橋にとっては、天使からとも悪魔からともとれる囁きであったが、「監督についていけば」との絶対的な信頼があった。さらに高橋は、

「監督、このコース、もう少し走ってみたいんですけど」

 と、自ら厳しい練習を願い出るようにまでなっていた。

「私は人形になる」

 高橋は厳しさから目を背けないためにこの言葉を自らに言い聞かせていた。

「監督と選手の間に甘えや妥協があったら駄目だ。『この人は本当に陸上が好きなんだ』と呆れるくらい選手に思わせたらそれは信頼となって返ってくる」

 とは、小出の弁である。

 もっとも小出は選手の誰をもホメるわけではない。各人の性格に応じて、まさに「飴と鞭」である。小出は性格が嫉妬深い選手に対してはホメるどころか半ば放っておき、敢えて見せつけるように他の選手たちを可愛がった。嫉妬心を煽り、選手は“自分も見て欲しい”と必死に頑張る。結果、たとえば、志水見千子はアジア大会女子3000メートルで3位に入るまで成長した。

 アトランタ五輪1万メートル5位入賞の千葉真子はホメられた側である。

「朝練ではみんなまだ心も体も完全に目覚めていません。でも監督だけは自ら率先して笑顏と大きな声で『チバちゃん、おはよう! 今日もいい顔してるねぇ』って。『どうせ苦しいことをするんだったら、明るく元気にやろう!』と。一瞬にして目が覚めちゃいます。これが“小出マジック”で、監督の魅力はこのコミュニケーション能力にあるんです」

 千葉は1万メートルからマラソンに転向後、期待通りの活躍が出来ずにいた。

「ごめんよ、俺の指導が悪いばかりに」

 小出は選手の成績の責任の全てを自分一人で負う。小出の辞書には「秘書が……」ならぬ「選手が……」はない。そもそも、小出は選手の“生殺与奪の権”を握っていると自覚し、腹切り覚悟で、「成績が悪いのは全て監督の責任」と言って憚らない。千葉は、

「成績が悪いと怒られた方が全然楽。監督を悲しませてしまった、もっともっと頑張ろうと思いました」

 そして小出はその後、「チバちゃん、一緒に頑張ろうね」と肩を叩くことも忘れない。この駄目押しのフォローに選手が籠絡されないわけがないのだ。

 喜寿を越えても小出の走ることへの情熱は褪せることがない。

「(シドニーの金メダルから)16年も“遊んで”しまった。僕の情熱が足りなかったんだ。監督業をやっていると、命はいくつあっても足りないが、2020年の東京五輪での金メダル獲得までは死ぬわけにいかない」

 こうした発言こそ、人を惹きつけてやまないゆえんなのだろう。

デイリー新潮編集部

2017年4月26日 掲載

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