久保建英がレアル・マドリード移籍 背景に筑波大学でサッカーに勤しんだ父親の存在も

記事まとめ

  • レアル・マドリードに完全移籍した久保建英は、父親の指導と読み聞かせの賜物だという
  • 父の建史氏は筑波大学でサッカーに勤しんだが、よくて4軍の選手だったそう
  • 建史氏は筑波大学OBの風間八宏さんが語る筑波大メソッドを息子に課したと言われている

久保建英を育てた父の「個に磨きをかける指導術」「読み聞かせ」

 弱冠18歳でレアル・マドリードに完全移籍した日本代表MF久保建英(たけふさ)。天才との評価だが、勝手に育ったわけではない。サッカー選手としては鳴かず飛ばずだった父親の指導と、読み聞かせの賜物だというのだ。

 早速、バイエルン・ミュンヘン戦に後半から出場、“黄金の左足”で攻撃の起点となった久保。父の建史(たけふみ)氏(48)も筑波大学でサッカーに勤しんだが、“才能”は息子に継がれなかったようで、

「建史さんは筑波時代、1〜5軍まである中、よくて4軍の選手。4年間在籍すると、たいていは3軍くらいまではいけるものですが、それすら叶わなかった選手で、OBがみな“記憶にない”と語るんです」

 さるサッカージャーナリストはそう語るが、元日本代表GKの田口光久氏は、

「教育者を育てる筑波大でサッカーを学んだ建史さんは、指導者としてはある程度のものを持っている。だから、建英に影響を与えることができたんです」

 と言って、続ける。

「筑波大のOBには、名古屋グランパスエイトの風間八宏現監督がいて、久保親子が公園でサッカーをしていたころ、風間の言う“機敏さ、素早さ、敏捷性”が注目されはじめました。しっかりボールを止め、パスをするのではなく自分で局面を打開していくサッカーは、その後“画期的”と評価されましたが、建史さんは、風間が語る筑波大メソッドを息子に課した部分があったのだと思います」

 建史氏は、建英が2歳のころから年間350日以上、近くの公園でボールを蹴らせたという。また、外で遊ぶときは裸足にさせ、足裏感覚を養ったのだそうだが、練習メニューは、サッカー解説者の川添孝一氏も、

「風間の影響を強く受けたものだと感じています」

 と言って、続けるのだ。


■個に磨きをかけられた


「たとえば、ボールを止める、蹴るにしても、首を振って必ず周囲を見渡してから動く。ドリブルはタッチを多く、緩急をつけて足の裏を多用する。右足も使えるように、シュートは浮かさずにゴロで、キーパーの動きを見て蹴る。いま、建英は“体の後ろに目があるようだ”と評されていますが、幼少期のトレーニングを通し、頭を振って周囲を見ることを体で覚えたんです。キック一つにしても回転をかけるのか、強いゴロのボールを蹴るのか、その場で判断させてきたことが瞬時の判断力に結びついている。また、ボールが来ないときも足を止めずにステップを踏ませてきたので、一歩目の踏み出しの瞬発力が上がっています」

 そして、こう結ぶ。

「いまの日本には、ボールを曲芸のように扱える子は大勢いますが、個を伸ばせない。指導者はチームとしての戦術を教えざるをえないからですが、建英の場合、その前に父のマンツーマン指導で、個に磨きをかけることができたんです」

 だが、“個”として判断するには知性が、チームプレーのためにはコミュニケーション能力が要る。その点も建史氏は抜かりなく、

「何百冊も絵本を買い、建英のお気に入りは『いないいないばああそび』『11ぴきのねことあほうどり』『ともだちくるかな』『十二支のおはなし』『ちからたろう』など。ほかにも図書館で週に20〜25冊も借りて、毎日読み聞かせたそうです。また、幼稚園やサッカーの送迎のときは宮沢賢治のお話のCDを聴かせ、夜、枕元では『三国志』『水滸伝』のほか戦国武将伝のあらすじを聞かせたそうです」(先のジャーナリスト)

 ここは建史氏に直接語ってほしいところだが、

「結構です」

 の一言。だが、着ているのは建英が契約するアディダスのポロシャツ。息子自慢が伝わるが、自慢しすぎて嫌味になるのを避けての取材拒否だろうか。

「週刊新潮」2019年8月1日号 掲載

関連記事(外部サイト)