阿部詩が世界柔道で連覇 準決勝敗退で東京五輪に黄信号の兄・阿部一二三にエール

記事まとめ

  • 柔道世界選手権2日目、阿部一二三と阿部詩の兄妹は明暗が分かれた
  • 詩の対外国選手の戦績は45戦全勝で、11月の大会で優勝なら五輪切符をほぼ手中に
  • 一二三は準決勝でライバルの丸山城志郎に敗れ、東京五輪が危うくなった

「阿部詩」は柔道世界選手権でV2 お兄ちゃん、もう一度私を引っ張って

 日本武道館での柔道世界選手権、二日目の8月26日。三連覇を目指した阿部一二三(22)、二連覇を目指した詩(19)の兄妹(ともに日本体育大学)は明暗が分かれた。

 女子52キロ級決勝。開始30秒、詩は腰高のまま得意の袖釣り込み腰に入った。相手のN・クジュティナ(30 ロシア)はこらえたかに見えたが次の瞬間、その体は吹っ飛び背中から畳に叩きつけられていた。「一本、それまで」に詩は百万ドルの笑顔を見せ、観客席では神戸から駆け付けた父、浩二さんがこぶしを突き上げた。神戸市消防局に勤める二枚目の浩二さんは柔道選手ではなかったが水泳の元国体選手。運動能力は父譲りだ。今春まで通っていた詩の夙川学院高校(神戸市)時代には、交代制勤務の合間を縫い、練習が終わった愛娘を車で迎えに来ていた。


■寝技の強化で増えた勝ちパターン


最大の難敵は準決勝のM・ケルメンディ(28 コソボ)だった。リオ五輪金。激しい攻防となったが阿部詩は延長3分15秒、場外際でもつれた瞬間、素早く横四方固めで抑え込んだ。顔をゆがめて必死に抑える表情が日本武道館の天井からつるされた大型スクリーンにアップになると、場内は再び感動に包まれた。

 国内のライバル志々目愛(25 了徳寺大職)はこの難敵に対して逃げ気味になり距離を取りすぎた。最後は「攻める意思なし」で三つ目の指導を取られて敗退していた。 

 これで阿部詩の対外国選手の戦績はなんと45戦全勝。何やらレスリングの吉田沙保里の連勝記録を思い出してしまうがどこまで行くのか。11月の大阪グランドスラム大会に優勝すれば東京五輪切符をほぼ手中にする。

 詩は「普通に強い、ではなく怪物と言われたい」という。怪物へますます近づいたが普段は笑顔の愛くるしいチャーミングな女性。「きれいな女性になりたい」も忘れない。

今年春、神戸市の神港学園高校から一足先に日体大に入った兄を追うように、同じ神戸市の夙川学院高校から日体大に入った詩。夙川学院で指導してきた松本純一郎監督(同校校長)も駆け付けていたが「素晴らしい試合でした。勝ちに持ってゆくルートが増えた。相手によって戦い方を変えてゆける。すごい進化。2年前まで『寝技はできない』なんて言っていたし苦手だったが、準決勝で見せてくれた寝技は素晴らしかった。8月に二度、神戸に帰ってきて調整していた。打ち込みを頼まれて久しぶりに受けてやったら高校時代より力を感じた。大学でいい指導を受けているなと感じましたよ」と愛弟子の活躍に喜んだ。恩師の言葉通り、阿部詩は今大会、5試合すべて違う技で勝っている。


■畳を掴む猿の足


 高校時代、阿部詩の練習を取材したことがある。体力、身体能力ともに飛び抜けていた。匍匐前進(腹這いで前進する)など、乱取り(自由に相手を代えて次々と勝負する練習)前の長時間の基礎訓練でも、広い道場の端近くまで来ると一人、逆立ちしてさっさと歩いていた。兄の一二三もよく知る松本監督が「兄貴よりも詩の方が天才ですよ」と話していた通り、「打ち込み」(投げる寸前まで技の入りを繰り返す練習)でも、どれもが得意技のように美しい。筆者のインタビューに「私、足の指が猿みたいに長いんですよ。だからこれで畳が掴めるんです」と笑いながら足を見せてくれた。確かに五本の足の指は小指も丸まっておらず、ちょっと気持ち悪いほど(詩さん、ごめんなさい)長かった。当たり前だが、柔道は相撲同様に裸足で闘う競技だ。足の長い指は、倒されかけた時など、ぎりぎりまで踏ん張りがきく大きな武器なのだ。


■兄はライバルに競り負け 五輪に黄信号


 一方、男子66キロ級の兄の阿部一二三は準決勝でライバルの丸山城志郎(26 ミキハウス)に敗れ、東京五輪がかなり危うくなった。「日本刀の切れ味」の内股と、巧みな巴投げを武器とする丸山。一方の阿部は強烈な背負い投げ、袖釣り込みなど担ぎ技が武器だ。試合中、丸山は足を負傷し治療したが畳に戻っても足を引きずっていた。阿部優勢のまま延長に入り観客の多くは阿部の勝利を予感した。だが3分46秒、丸山が得意の巴投げから浮き腰で技ありを奪って勝利した。決勝では丸山は韓国選手を下し、初の世界王者となった。

阿部一二三はこの日、担ぎ技が効かないとみると電光石火の大外刈りで沈めるなど調子も良かった。だが丸山との大激戦に敗れた。遅咲きのライバル丸山にはこれで三連敗だ。ショックは大きかったが気を取り直して敗者復活を勝ち上がり、これも延長戦でイタリアの選手を下して何とか銅メダルを取った。

 丸山に巴投げを入れられて倒される負け方は4月の全日本体重別選手権とほとんど同じだ。メダリスト勢揃い会見で筆者が「長い延長戦で巴投げに対する警戒心が少し薄れたのでしょうか?」と質問すると、「巴は警戒していましたが、前に出た時にうまく引っ張り込まれてしまった」と言葉少なに話した。入り方は巴投げだが決まり技は「浮き腰」。巴投げは相手の下に入り足で相手の身体を持ち上げ、自分の頭越しに投げるが、持ち上げた瞬間、素早く横へ引っ張り落とした丸山の巧みな技だった。丸山城志郎は父顕志さんがバルセロナ五輪代表というサラブレッドだが、すい星のように出てきた阿部の後塵を拝していた。昨年の大阪グランドスラムから巻き返している。一二三は怪我もあって今年に入って国際大会も精彩がない。黄信号どころか赤信号に近い。


■「もう一度私を引っ張って」と詩


「一番得な技で投げられてよかった。不安やプレッシャーがあったのでほっとしています」と話していた阿部詩だが「お兄ちゃんが勝ってたらもっと嬉しかった」と弾けきれなかった。中国選手の頭突きで腫れた目の治療のために一二三は妹の背中側を通り抜けて一足先に去ったが、痛々しい姿の兄が心配でたまらない様子だった。

 この兄妹、ほんとうに仲が良い。一昨年のグランドスラムでアベック優勝した際、ツーショットでカメラマンに「もっと近寄ってくださいよ」と注文されると、兄は「彼女やないんやから」と照れたが、その間に妹は恋人のようにしっかりと兄に寄り添っていたのを思い出す。

「お兄ちゃんが負けたのは悔しいけど、まだ道はあると思う。もう一度私を引っ張ってもらえる存在になってほしい」と話した詩は少し前まで「兄を目指している」と語っていた。二人三脚は変わらない。これからは兄が妹を目指せばよいのだ。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」「警察の犯罪」「検察に、殺される」「ルポ 原発難民」など。

週刊新潮WEB取材班編集

2019年9月1日 掲載

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