アルビレックス新潟がミャンマーでデフサッカーを支援 現地取材で分かった苦労

■飛び込みで指導を依頼


 Jリーグの各クラブが、東南アジアでCSR(社会貢献活動)をしていることはあまり知られていない。

 ***

 例えば今年の8月には、「セレッソ大阪」がマレーシア、タイ、ミャンマーから15名を招待して大阪遠征を実施したり、「北海道コンサドーレ札幌」がタイのサッカー少年60名を北海道に招いてトレーニングキャンプを実施したりした。

 他にも「FC東京」がインドネシアの「バヤンカラFC」に指導者を派遣したり、9月には「湘南ベルマーレ」がフィリピンでサッカーの指導を行ったりした。

 そうした活動の中で異彩を放っているのが、ミャンマーで耳の不自由な子どもが通う聾学校でサッカー(デフサッカー)の指導を行っている「アルビレックス新潟ミャンマースクール」だ。

 2018年より指導に当たっている米山信介さんはミャンマー代表の監督も務め、11月に香港で開催されるデフリンピックのアジア予選に向けて日々の練習に励んでいる。デフリンピックとは4年に1度、世界規模で行われる聴覚障害者のためのスポーツ競技大会のことだ。

 アルビレックスがミャンマーでスクール事業を始めたのは14年9月のことだった。すでにシンガポールではプロチーム「アルビレックス新潟シンガポール」を持ち、シンガポールプレミアリーグで優勝3回を誇る強豪チームであり、元Jリーガーも数多い。

 そしてシンガポールだけでなくカンボジアやマレーシアでもスクール活動を展開していたが、ミャンマーにはスクールがないということで、シンガポールやカンボジアでスタッフとして働いていた村中翔一さんが「アルビレックス新潟ミャンマー」を立ち上げた。当時のことを米山さんに聞くと、次のような説明があった。

「最初のきっかけは、14年に私の前任である村中がミャンマーに来た時に、最初は指導の当てがあるわけではなく、本当に最初はゼロからのスタートで来て、ちょっとずつ指導先を増やしていったんです。日本人なので、最初は日本人学校に行ったんですよ。『指導させてください』ということで行ったんです」

 日本人学校を訪れてみると、その向かいにある聾学校でも、生徒らが学校内の敷地でサッカーをしているのが見えたという。

「そこで聾学校も訪問し、『我々はサッカースクールもやっていたので、指導させてください』ということで、そこからの始まりです。目的があってやったわけではなくて、たまたま環境があった。スポンサーもついていなくて、学校側にも『我々は指導できるのでやらせてください。お金を取りません。無償でやります』ということでスタートしたんです」

■マレーシアの大会に招待


 村中さんが赴任当初は日本人学校の校庭を借りることもできず、練習場の確保にも苦労したそうだ。しかし地道な活動が実を結び、日本人学校の校庭を借りられるようになり、日本人学校と有料のインターナショナルスクールの生徒は合わせて150人にも増えた。

 そして「無償でやります」と声をかけたのは「マリーチャップマン聾学校」。ミャンマーには聾学校が3校あるが、全寮制の学校は「マリーチャップマン聾学校」だけだ。

 校庭では子供たちがサッカーを楽しむ。聾学校での週3回のスクールは営利事業ではないため無料で行い、代わりにスポンサーを募ってユニホームを作り、中古のサッカーシューズを寄付してもらうなどして徐々に練習環境を整えていった。

 指導者の生活費などは「最初は新潟シンガポールの持ち出しでした。いまはサッカースクールと日本人学校、日本人のお子さんに対するサッカースクールとインターナショナルスクールにもコーチを派遣していて、そこでのスクール費で生活しています」と米山さん。

 そんなメリーチャップマン聾学校の生徒たちにとって転機となったのが16年の海外遠征だった。私立の全寮制の学校で、下は幼稚園から上は高校3年生まで、男女合わせて400人くらいの生徒がいる。そして「普段は外に出ることもなく、学校の中ですべての生活が成り立つ」(米山さん)環境だった。

 それが16年の9月、12月にマレーシアで開催される第1回ASEANのデフサッカー(聾者サッカー)大会に招待された。校長から話を聞いた村中さんは「出場しましょう」と即答した。しかし学校には遠征費などに割く予算はなく、アルビレックス新潟シンガポールの内部からも参加費用を不安視する声があったそうだ。

 そこで村中さんは、スポンサー企業やサッカースクールの保護者に募金をお願いした。しかしマレーシアへ行くためには他にも多くの問題があった。米山さんが「学校の中ですべての生活が成り立つ」と指摘したように、パスポートはもちろんのこと、住民登録カードすら持っていない子供たちがいた。あまりのハードルの高さに、学校側も海外遠征には消極的だった。

 村中さんの決断は早かった。校長と一緒に航空会社を訪れ、人数分の航空券5000ドルを現金で支払った。もちろん村中さん個人の、手持ち資金の、ほぼ全額だった。これには校長も驚いたようで、すぐにパスポートの取得など手続きは無事にすみ、12月4日から始まった大会ではタイ、マレーシアと対戦。試合は大差で敗れたものの、デフサッカーのミャンマー代表として初の国際舞台を経験した。

 現アルビレックス新潟の是永大輔CEOは、サイト「日刊にいがたWEBタウン情報」に「【アルビ社長日記】僕らはサッカーをすることで、飛び越えるんだ。」を連載している。10月1日の記事には、国際大会に初めて出場した時のことが取り上げられた。

《開催地は、マレーシアだ。学校の敷地から出るだけで苦労するほどなので、もちろん海外に出たことなどあるわけがない。もしかしたら一生取得することのなかったパスポートを取得して、もしかしたら一生乗ることもなかった飛行機に乗って――、みんなでクアラルンプールに降り立った。そして、もしかしたら一生見ることもなかった高層ビルが林立する景色を目の当たりにした。彼らはサッカーをすることで、国境を飛び越えた》(註:デイリー新潮の表記法に合わせ、改行などを省略した。以下同)


■予選1勝が目標


 19年9月10日、カタールW杯のアジア2次予選がスタートし、日本代表は敵地でミャンマー代表に2−0の勝利を収めた。試合日の2日前の8日、聾学校の子供たちが練習するヤンゴンユナイテッドのフットサルコートで、米山さんと練習中の生徒を取材した。

 耳は聞こえなくとも目は見えるため、コーチがデモンストレーションをすると女の子たちはリフティングやドリブルなどの練習メニューを笑顔で消化していく。緊張感はまるでなく、純粋にサッカーを楽しんでいる。なかには素足でボールを蹴っている女の子も2人ほどいた。

 デフサッカーの特徴としては、耳が聞こえないため主審は笛を吹く代わりにフラッグを上げる。選手同士のコミュニケーションは手話で行う以外は普通のサッカーと変わらない。

 障害者のサッカーといえば、来夏に東京で開催されるパラリンピックに出場するブラインドサッカーを思い浮かべる方も多いだろう。残念ながらデフサッカーはパラリンピックの種目に入っていない。

 その理由として「ブラインドサッカーは健常者でも目を塞げばできますが、デフサッカーだと耳を塞いでも多少は聞こえる。聾唖者は障害者としては健常者に近いため、デフリンピックという独立した大会を開催した」(米山さん)とのことで、そういう経緯でパラリンピックの参加資格を失ったそうだ。

 現在の主な活動は、サッカースクール事業に加え、メリーチャップマンの聾学校の子供たちを教える「アカデミー事業」、そしてCSRとして養護施設もミャンマーには数多いので、月に1回コーチを派遣するサッカークリニックの3本柱がメインになっている。

 これまでの地道な活動により、メリーチャップマン聾学校には、キリンHDがM&Aを行ったミャンマービール、大塚製薬、クボタの3社がスポンサーとして名を連ねている。今年1月からはミャンマークボタも加わった。

 さらに10月29日から11月12日にかけて、香港で開催される「第9回アジア太平洋ろう者競技大会」(兼2021年デフリンピック・アジア予選)に向けて、日系企業を中心にスポンサーを探していた――「過去形で書いたのは、第9回の大会がデモの過熱化などを理由に開催が中止になってしまったからだ」

 日本では「一般社団法人 日本ろう者サッカー協会」が設置されている。一方のミャンマーにはデフサッカーの協会が存在しないため、米山さんらが香港協会とコンタクトを取りエントリーしていた。遠征のための資金捻出も米山さんらが中心になって集めていた。

 大会の目標については「まずは出場すること。そして予選で1勝という感じですね」と米山さんは控えめに語っていた。というのも前述したように2016年の大会に参加したメリーチャップマン聾学校の選手は「まったく歯が立たなくて0対20とか、0対18のスコアになってしまった」からだ。


■「フットボールと出会えてハッピー」


 ただし、惨敗にも理由がある。ミャンマー代表は13歳から18歳の選手構成だったのに対し、「タイとかマレーシアや他の国々は全国から選手を選抜し、社会人の選手を連れてきた」(米山さん)からに他ならない。

 それでも米山さんは「それはそれで、いい経験になりました。大会に行って良い経験になったし、事前に勉強会もして、終わった後も報告会をして、選手も社会勉強をしたので、次はまず1勝を目指してやっていますね」と前向きにとらえている。

 そしてキャプテンを務めるチュン・ネンダートンさんは「フットボールと出会えてとてもハッピー」と笑顔を見せた。8歳からサッカーを始め、現在は19歳。今大会でミャンマー代表に抜擢されたエースでもある。

 香港での大会がもし実施されていたなら、女子はベスト4に進出すると2021年に開催される(開催地は未定)デフリンピックの出場資格を得ることができた。中止が決まる前、参加国はミャンマーを含めて3カ国しかエントリーしていなかった。米山さんも「どうなるのか? デフリンピックに出られちゃうのかなという感じです」と困惑気味だった。

 ただ、残念ながら10月9日、米山さんから「ミャンマーサッカーとフットサルの代表は香港での大会出場をキャンセルすることになりました」というメールが届いた。

 その理由として、犯罪容疑者の中国本土への引き渡しを認める逃亡犯条例の改正案に反対する抗議活動が拡大し、治安に不安があること。選手の大半が未成年ということで、学校側と相談し、今回の参加は見送ることになった。しかしながら、「国際大会は、来年も開催される予定ですので、そこを目指して行こうと考えております」と国際大会にかける情熱にはいささかの陰りもない。

 日本ろう者サッカー協会は、2019年は1月から毎月休みなく12月まで男女とも活動を継続していて、強化に余念がない。ミャンマーとは比べものにならないほど組織は充実し、活動範囲も多岐に渡っている。

 そんな日本は2025年のデフリンピック招致に立候補している。招致が決まればデフサッカーの強化と同時に告知にも力を入れることになるだろう。そして2025年大会にミャンマー代表がアジア予選を突破して来日する可能性もある。その時は「おもてなし」の心で温かく歓迎したい。

六川亨(ろくかわ・とおる)
1957年、東京都生まれ。法政大学卒。「サッカーダイジェスト」の記者・編集長としてW杯、EURO、南米選手権などを取材。その後「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。

週刊新潮WEB取材班編集

2019年10月23日 掲載

関連記事(外部サイト)