輪島功一が許せなかった「韓国人ボクサー」との一戦 リベンジを可能にした駆け引きとは(小林信也)

輪島功一が許せなかった「韓国人ボクサー」との一戦 リベンジを可能にした駆け引きとは(小林信也)

輪島功一、柳済斗を15回KO ボクシングWBA・Jミドル級(1976年2月17日)

 輪島功一は昭和18(1943)年、樺太で生まれた。1歳半で北海道士別市に移る。生活は貧しかった。小学校高学年になると、祖父母の家に養子に出された。

「小学校5年の頃から、イカ釣り船に乗って生活費を稼いだ。夕方から明け方まで一晩中イカを釣って、陸に上がると獲ったイカをさばいて干して。漁師さんは帰って寝るんだけど、オレはそれから学校さ」

 イカを釣るのは、上向きに針をつけた竿。

「名人は針を50本も60本もつけて一気に釣るんだ。オレは子どもだから最初は30本くらい。それでもたくさん釣れると、重くて上げるのが大変だった」

 日々の食い扶持のため、睡魔や寒さと戦いながら海に出るしかなかった。

「船酔いがきつくてさ。汚い話でごめんね、海に戻してしまう。漁師にそれを『もったいない!』と怒られてさ。だんだん要領がわかると、我慢してちょっとずつ戻す。そうすっとイカが寄って来て、よく釣れるんだ」

 顔をくしゃくしゃにして笑う表情は、現役時代と変わらない。

 高校1年まで海で祖父母の暮らしを支えた。やがて、先の見えない環境に見切りをつけて東京に出た。

「高校も出てないからさ、仕事もなかなか見つからなくてね。土建会社で働いている時、行き帰りの途中にボクシングジムがあった」

 それが三迫(みさこ)ジムだった。

「さんぱくジムかってね。覗いたら面白そうでさ」

 志願するとすぐ訊かれた。

「お前いくつだ?」

「もうすぐ25になります」

「じゃ端っこ行って、好きにやってろ」

 年齢だけで、輪島は選手育成コースでなく、「自主トレコース」に追いやられた。

「ファイティング原田がオレと同い年なんだ。原田は中学時代にボクシングを始めて19歳で世界チャンピオンになった。オレが始めた頃はもう引退間際だった。ボクシングはそういうものだったから、オレなんて相手にされなかった」

 しかし輪島は本気だった。やる以上は一花咲かせてやると。年齢的な焦りはなかったのか?

「25だからね、オレは慌てるんじゃなくて、急いだね」

 輪島らしい絶妙な言い方でまた笑った。


■“王さん、どう思う?”


 私が初めて輪島と会って言葉を交わしたのは、大学を卒業するかしないかの頃。輪島が引退してまもない時期だった。

 自宅近くの井の頭公園にジョギングに行くと、400mトラックの周りに立つ木々の間を縫うように走る男の姿が遠くに見えた。ときおりしゃがみ込み、何かを拾ってポケットに入れる。やがてそれが輪島功一に違いないとわかった。私は黙って輪島の後について走り始めた。時々しゃがむのは、ゴミを拾っているのだとわかった。やがて急に輪島は足を止め、パッと振り返って私に向かってシャドーボクシングを始めた。そして、私の眼を見て、口を開いた。

「王さんのホームラン世界記録、どう思う?」

 王貞治が756本の世界記録を達成して大騒ぎになった翌年だったろうか。

「日本の球場って狭いんだろ? アメリカの球場はもっと広い。それで世界一って、違うんじゃないか」

 そしてまた、鋭い連打を私に向けて放った。

「オレはさ、世界のリングに上がって、世界の王者を相手に直接戦ってタイトルを獲った」

 それが世界王者・輪島功一の矜持なのだ。


■不可能を可能にする


 炎の男と呼ばれた輪島の激闘の中でも、最も伝説的に語り継がれるのは柳済斗(韓国)とのリターンマッチ。

 75年6月、防衛戦で柳済斗に7回KO負けを喫した。

「オレはさ、韓国の人は大好きなんだ。年寄りを大切にするでしょ。家族を大事にする。素晴らしいよ」

 それだけに、あれは信じられない、と。

「5ラウンドが終わってさ、『ああゴングが鳴ったね』と、オレは両手を広げて柳済斗に目で合図したわけだ」

 言いながら、いつもの人懐っこい笑みを浮かべた。

「そしたらさ、柳がパンチを出してきた。まともだからね、効いたさ」

 輪島は尻もちをついた。

「終わって気を抜いた時だからね、効いたよ。目の前が真っ赤になった。相手がどこにいるかわからない」

 ダメージが残った。そして7回、柳のラッシュを受けて輪島はリングに沈んだ。

 限界説や引退説が囁かれた。しかし輪島はリングを離れる気にはなれなかった。

「勝つにも勝ち方がある。負けるにも負け方がある。あれは納得しない。このままじゃ終われない」

 翌76年2月、リターンマッチで柳を15回にKOし、タイトルを奪還した。「奇跡の勝利」とも言われ、ファンを熱狂させた。試合前、風邪ひきを演じ、調印式にもマスク姿で現れるなど陽動作戦を取った。

「あれは駆け引きだよ。日本ではさ、駆け引きが『ずるい』と言われる。違うよ。悪いことに使っちゃだめだよ、でも駆け引きは不可能を可能にするんだ」

 下り坂の32歳が上り調子の28歳に勝つには、駆け引きが必要だった。

「肘を打たれても骨が砕けるかと思うほど柳のパンチは強かったんだ」

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。「ナンバー」編集部等を経て独立。『長島茂雄 夢をかなえたホームラン』『高校野球が危ない!』など著書多数。

「週刊新潮」2020年12月3日号 掲載

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