白鵬・千代の富士・北の湖の髷を結ってきた、相撲界の“生き字引”に聞く「横綱秘話」

名横綱たちに愛された床山・床蜂(とこはち)さん(2019年8月)

 去る7月の大相撲・名古屋場所千秋楽、横綱白鵬が感謝の花束を贈った人がいる。床山の床蜂さん。白鵬が2004年に十両に昇進して以来ずっと、その髷を結ってきて、名古屋場所を最後に定年を迎えた。

 そもそも「床山」とは、大相撲の力士の誇りともいうべき髷を結う人。相撲協会に採用され、相撲部屋にそれぞれ所属する。力士と同様に地位があり、5等〜1等、さらに最高位の特等まであって、全員が名前を「床〜」と名乗る。常時50名ほどが在籍し、土俵に上がることはない、相撲界を支える陰の職人集団だ。

 その最高位、特等床山だった床蜂さんこと、加藤章さんは1954年8月17日生まれ。正式に定年退職の日を迎えられたことで今回、特別にお話を伺うことができた。

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■2回も部屋を逃げ出した

 床蜂さんの床山としてのキャリアは1968年、まだ中学2年生のときから始まった。父親が交流のあった宮城野部屋で新しい床山を探していて、入門することになったのだ。当時は力士が中学生から入門していた時代で、その前には小学生の行司がいたこともあったそうだが、床蜂さんが入門したころは、すでに力士以外では義務教育卒業が入門の条件で、特例的に見習いとして宮城野部屋に入った。

「最初は何もできなくて、よその部屋から先輩の床山が来て仕事するのを見て、覚え、自己流でやっていったんです。学校から帰ってくると毎日、部屋の序ノ口、序二段の若い力士の頭を借りてやってみる。正直、学校の宿題なんてほとんどやりません。でも通っていた両国中学には相撲関係の生徒が50人以上もいて、先生も『できる範囲でやっとけ』と理解があったんです。

 ■当時の部屋の親方は(43代横綱の)吉葉山で、『相撲界にいれば周りはみんな年長者だし、後援者はほとんどが年配の人だから、そういう人たちから学んでいけばいい』と言いましたね。吉葉山はまた特に床山を大事にしてくれる人でね。何か怒られるようなことがあっても、翌日にはもう『よし、よくできた!』と褒めてくれる。まだ14〜15歳だから、褒められるとその気になるんですよ」

 しかし床蜂さんは同時期に入門した床山たちに比べると、ご本人曰く「いちばん覚えが悪かった」とか。教えてくれる先輩床山は特に厳しい人で「ちょんまげもろくにできないのに、大銀杏なんてできるわけがない」と、ほかの同期たちが次々に大銀杏を結っていく中で、ずっと大銀杏を結わせてもらえない。

 ちなみに、幕下以下の力士は「ちょんまげ」で、十両、幕内に上がると取り組みのときなどで「大銀杏」を結ってもらえる。頭の上にのった髷が銀杏の葉のように見えるから大銀杏と呼ぶ。

白鵬。左が大銀杏で右がちょんまげ

 そんなとき、誰かの「同期は大銀杏をやってるのにねぇ」と意地の悪い言葉が耳に入り、積もり積もったものもあって、床蜂さんは悔しさのあまり部屋を逃げ出してしまったという。

■「実は入門してすぐにも逃げたことがあるんです。自分、小さいでしょう? 周りがデカい人ばかりで怖くなってね。だから、それが2回目。自分には才能がない、床山は向いてないんだと思いました。ところが自宅に戻ったら、家の前に見たことのある車が止まってる。親方の車です。慌てて裏口から入って二階に上がり、エンジン音がしたから帰ったと思って下りて行ったらバッタリ。部屋に戻りました」

 稽古が厳しくて逃げ出した力士の話はよく聞くけれど、床山が逃げ出した話は初めて聞いた。しかし、部屋に戻った床蜂さんはそこから悔しさをバネにして修行に励み、18歳のとき初めて関取の大銀杏を結ったのが「朝日山部屋にいた琉王という力士で、その後、2年ぐらい結わせてもらってました」。

 そうして徐々に腕を上げていき、ついに横綱の大銀杏を結うときがきた。それは、昭和の大横綱の北の湖。床蜂さんは20代半ばになっていた。

■初めて横綱の大銀杏を結う

■「北の湖さんの床山が、夏巡業のときに暑いからって酒飲みまくってベロンベロンになっちゃったんですよ。そのころ、北の湖さんのいた三保ケ関部屋には増位山、北天佑、播竜山など関取が多く、みんなで手分けしてやることになって、誰が誰をやるともめていたときに『ごちゃごちゃ言っとらんで、オレの頭、早くやらんかい!』と北の湖さんに指名されてやりました」

大横綱・北の湖

 実は床蜂さん、横綱北の湖とは並々ならぬ縁があり、横綱に昇進する前には何度も“練習台”になってもらい、大銀杏を結わせてもらっていた。

■「北の湖さんは両国中学の1こ上、兄貴のような存在でした。中学のときも北の湖さんが学校のそばのラーメン屋でおごってくれたり、いろいろ面倒みてもらっていたんです。いつも口を酸っぱくして『みんなに好かれる床山にならないと、仕事はとれないぞ。先輩面するな。常に新弟子の気持ちでやらないとダメだ』と言ってくれて、いま自分があるのは北の湖さんのおかげだと思ってます」

 床蜂さん、生粋の職人肌ゆえに床山としての仕事に悩み、20代でもまた「辞めたい」と口にしたことがあったそう。そのときも北の湖が■「床山に入った以上、床山であり続けろ」と怒鳴ってくれた。でも、実は遅刻魔で一緒にごはんを食べようと約束しても、いつも1時間は遅れてくる。「あれ? 時計がおかしいんじゃない?」なんて平気でとぼける。

 巡業先から一緒に東京に戻ろうと誘われたけど、用事があるからと断ったら、そこから1週間も口をきいてくれない。それで床蜂さんがひとり、巡業先の旅館の食堂でごはんを食べていたらズンズンやって来て『なんでこんなところで食べてんだ? おい、誰か、章(床蜂さん)の飯をオレんとこに持ってけ』と自分の部屋に持って行かせ、それで仲直りしたとか。

 横綱・北の湖は“憎らしいほど強い”と言われて一般的には怖いイメージのある相撲取りだけれど、素顔は照れ屋で優しい人だったという。床蜂さんいわく「面倒見のいい相撲バカ」なんだそう(こんな言葉、床蜂さんじゃなっきゃ言えません!)。

 その北の湖、実は横綱白鵬のこともとても気にかけていた。床蜂さんいわく「二人は似たところが多い」そうで、北の湖もそう感じていたのかもしれない。

「北の湖さんが亡くなる少し前、高野山で横綱土俵入りがあったんです。そのときホテルの喫茶室で北の湖さんとコーヒーを飲んでいて『これからごはんでも行こうか』と話をしていたら、近くに座っていた白鵬が『自分も行っていいですか?』って言ってきてね。北の湖さんが『おまえが行くような店じゃないぞ』って笑って言いながら、居酒屋に一緒に行きました。

 そのとき北の湖さんが白鵬に■『横綱になったのは俺と同じ年ぐらいだろう? 今はいい。だけど、30歳になったらペースを落とせ。稽古のペースを落とせ。長くやるならペースを落として、場所中の外出も減らしていけ。場所中に食事に行こうなんて誘いは足を引っ張るだけと思え。俺は30になってひざやってダメになったけど、おまえはまだひざやってないだろう? 30越えると疲れがたまってあちこち故障も起こすからな』と、こんこんと話してくれたんです。

 白鵬はそのとき29歳で、『年が明けたら30になります』と言っていて、北の湖さんは『29と30では違うから』って。自分は『横綱、よく聞いておいたほうがいいですよ』と言いました」

 なんと……。白鵬V42の陰に北の湖あり、ではないか。横綱のことは横綱にしかわからないという。関西の小さな居酒屋で、偉大な横綱道がひそかに伝授された夜だった。

■千代の富士の髪は多かった

 さて、数多くの関取の髷を結ってきた床蜂さんが、床山として手こずった関取といえば横綱千代の富士が筆頭にあがるという。

 当時、高島部屋にいた晃山(こうざん)という十両力士の髷をやっていたとき、千代の富士が晃山と親しく、床蜂さんに「兄弟子は何年ぐらいに入ったの?」と気さくに話しかけてきた。年功序列の相撲界、たとえ横綱でも相手が年長者なら、兄弟子になる。

■「それで、じゃ、自分の頭やってよと言われてね。でも、やった瞬間に体験したことのないような……ものすごく毛が太くて多くて、とてもじゃないけどうまくできない。しんどくなって油を多めにつけちゃったら、次の日に元結(髪を縛る和紙でできた細い紐)を締めた跡が消えなくて往生しました。千代の富士は『なまくら(注:なまけること)決めるからだよ』ってすっかり見透かしててね」

千代の富士

 床蜂さんには苦い思い出だが、千代の富士とは2016年に亡くなるまで気軽になんでも話ができた。千代の富士と床蜂さんの遠慮のない、信頼関係がうかがえる。

■「けっこうおしゃべりな人でね。自分も言いたいこと、言ってたなぁ。一度、千代の
富士の後援会の方から熊本での横綱土俵入りに呼ばれて、その帰りにバスで九重部屋の
前に着いて『おつかれさま』と言ったのに、千代の富士が無視してスタスタと降りて
?いくから『なんだぁ、挨拶もしないのか?』と大きな声で言うと、戻ってきて『おつ
かれさま!』って笑って言ってきたり。部屋の力士たちには『兄弟子(注・床蜂さんの
こと)ぐらいですよ、うちのオヤジにそんなこと言えるのは』と驚かれました」

 現在は歌手として活躍する増位山も、床蜂さんを床山として慕ってくれたひとり。

「宮城野部屋の章は元結締めるのが本当にうまいんだな。あんなにしっかり締まってるのはないよ」と言ってくれ、ずっと増位山の髷も結っていたそうだ。

 頭をやる間、おしゃべりしたりもするんですか? と尋ねたら「昔の支度部屋は今よりもっとみんなしゃべってリラックスしてた」そう。

 ある場所で、逆鉾(現・井筒親方)が7勝7敗で千秋楽を迎えていた。床蜂さんは髷を結いながら逆鉾といろいろな話をしていた。大銀杏ができあがったころ、逆鉾が「章さんのおかげで気持ちがスッキリできた」と言って支度部屋を出ていったという。

■「それで勝って、三賞を受賞したんですよ。そしたらバ〜って走ってきて『章さんのおかげで勝てた!』って握手してきて。彼は喜びを全面に出す人なんです」

 ちなみに大銀杏を結うのは30分かかるそうだ。床蜂さんの大銀杏がほかの人とは違うのは、深く髪を梳(す)くこと。櫛(くし)の入りが浅いと大銀杏が浮いてしまい、見た目はきれいでも、すぐに乱れる。

 手順はこうだ。

 まず、髪をよく揉み込み、びんづけ油をつけ、毛先までよく櫛を通す。元結で髷の根元をくくり、その端を歯でぐっと噛んで縛る。それから髷を作り、千枚通しのような髷棒で土台の髪を広げ、髷を銀杏型に整える。

 文字にすればわずか数行だが、最後まで床蜂さんは■「15日間の本場所中、満足に結えるのは2〜3日だけ。だいたい初日から5日目ぐらいまでは満足できない」ことが多かったという。

 大相撲の力士にとって髷は力士である証(あかし)。引退するときにはその髷を落とす。髷は命のようなもので、それを結う床山は、力士たちが戦うための命を吹き込む、最も近しく、かけがえのない存在なのだ。

《続編「相撲界“影の職人”床山さんが語る32年前の秘話、双羽黒の髷を結って減俸の過去」へと続く》

和田靜香(わだ・しずか)◎音楽/スー女コラムニスト。作詞家の湯川れい子のアシスタントを経てフリーの音楽ライターに。趣味の大相撲観戦やアルバイト迷走人生などに関するエッセイも多い。主な著書に『ワガママな病人vsつかえない医者』(文春文庫)、『おでんの汁にウツを沈めて〜44歳恐る恐るコンビニ店員デビュー』(幻冬舎文庫)、『東京ロック・バー物語』『スー女のみかた』(シンコーミュージック・エンタテインメント)がある。ちなみに四股名は「和田翔龍(わだしょうりゅう)」。尊敬する“相撲の親方”である、元関脇・若翔洋さんから一文字もらった。

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