大事件、躍進、別離……ピアースとウォーカーが紆余曲折を重ねて築いた確かな絆【NBAデュオ列伝|後編】〈DUNKSHOOT〉

大事件、躍進、別離……ピアースとウォーカーが紆余曲折を重ねて築いた確かな絆【NBAデュオ列伝|後編】〈DUNKSHOOT〉

紆余曲折を経たピアース(左)とウォーカー(右)だが、その間には今も確かな絆があるようだ。(C)Getty Images

■大事件、躍進、別離…紆余曲折を重ねる2人の運命

 2年目の1999−2000シーズンも素晴らしい活躍をしたピアースを、突然の不幸が襲ったのは2000年9月25日未明のことだった。ボストン市内のナイトクラブで暴漢たちに襲撃され、首や背中、胸などを11回も刺されたのだ。一歩間違えれば死に至っていたはずの、戦慄すべき出来事だった。

「肺の手術をした後、医師に告げられたんだ。『もう少しで君は死ぬところだったんだよ』とね。とてもショックだった…」

 ウォーカーにとっても、ピアースの事件は他人事ではなかった。そのわずか2か月前、彼はシカゴのレストランで銃をつきつけられ、現金と5万ドルの高級腕時計を奪われていたのだ。すぐにウォーカーはピアースを見舞いに訪れ、お互いの身に起こったことを何度も話し合った。恐ろしい経験を共有したことで、2人の関係はさらに深まった。
  そんな衝撃的な出来事があったにもかかわらず、ピアースは強靭な精神力でこれを乗り越え、わずか1か月後の2000−01シーズン開幕から元気にコートに姿を現わす。ウォーカーとのコンビネーションも、ますます磨きがかかっていった。パス捌きに長けたウォーカーがオフェンスの起点になることで、ピアースは自在に得点を重ねていき、このシーズンは平均25.3点、ウォーカーも自己最高の23.4点をあげた。

 2002年には揃ってオールスターに出場。彼らに引っ張られる形でセルティックスは49勝し、7年ぶりに進出したプレーオフでも勢いは止まらなかった。1回戦でフィラデルフィア・セブンティシクサーズを5戦で下すと、カンファレンス準決勝ではデトロイト・ピストンズに4勝1敗と圧勝。ニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツとのカンファレンス決勝でも第2、3戦に連勝し、特に第3戦は第3クォーター終了時につけられていた21点差をひっくり返す、プレーオフ史上最高の逆転劇を演じた。結局その後3連敗して2勝4敗で敗退したものの、“ザ・デュオ”の異名を奉られた2人の活躍は、古豪復活を印象づけるには十分だった。
  しかしセルティックスは、ピアース&ウォーカーの“ツーメン・チーム”から脱却できなかった。2002−03シーズンも44勝でプレーオフに進出したが、カンファレンス準決勝でネッツにスウィープ負け。同年オフ、ウォーカーはその年就任したばかりのダニー・エインジ・ゼネラルマネージャーによって、ダラス・マーベリックスにトレードされてしまう。共同キャプテンまで務めていたピアース&ウォーカーのコンビは、いともあっさりと解体されてしまった。

 エインジは元々ウォーカーのプレースタイルを気に入っていなかった。パワーフォワードにもかかわらずペリメーターでのプレーに固執し、やたらと3ポイントシュートを連発する傾向は以前からあったが、近年はそれが目に余るようになっていたからだ。成功率が高ければそれでもいいのだが、2002−03シーズンの3ポイント成功率は32.3%、フリースローも61.5%とムラが目立っていた。

 ボストンのファンも大部分はこのトレードを支持したが、言うまでもなくピアースは不満だった。ウォーカーが仲の良い友人というだけでなく、チームのフロントマンの役目が自分の肩にのしかかってきたことが重荷だったからだ。以前よりも感情的になり、鬱憤をレフェリーにぶつけるような場面も多くなっていった。
 ■ウォーカー復帰でコンビを再結成した2人だったが…

 2004−05シーズン、ピアースのフラストレーションは最高潮に達する。この年からヘッドコーチになったドック・リバースと反りが合わず、それを隠そうともしなかった。チーム成績も芳しくなく、55試合を消化した時点で27勝28敗の負け越し。ピアース放出の噂は、日に日にその信憑性を増していった。

 そしてトレード期日当日、エインジはトレードを断行する。だが、それはピアースを放出するのではなく、マーベリックスからアトランタ・ホークスに移っていたウォーカーを呼び戻すものだった。「ウォーカーのプレーに対する評価は変わらない。だが私は、彼がチームにもたらしていたもの――プレーの熱さを見落としていた」。エインジはトレードの理由をこのように語った。
  古巣に戻ったウォーカーは、文字通り水を得た魚だった。エインジとの約束で自己中心的なプレーを封印し、ダーティーワークに率先して取り組み、チームリーダーとして若手選手を牽引。慣れないリーダー役から解放されたピアースにとっても、トレードの効果は大きかった。

 ウォーカー加入後は18勝9敗の快進撃で、セルティックスは4年連続のプレーオフ進出を決める。しかしながら、ウォーカーの存在の大きさがこれほど目に見える形で認識されたにもかかわらず、エインジからの評価は相変わらず低いままだった。シーズンが終わるとフリーエージェント(FA)になったウォーカーは、引き留められることもなくマイアミ・ヒートと契約した(最終的にはサイン&トレードで移籍)。

 シャキール・オニール、ドゥエイン・ウェイドの2大スターの陰に隠れる形ではあったが、優勝を狙えるチームで戦える幸せを感じていたウォーカー。ヒート移籍後、初めてのセルティックス戦でピアースと再会した彼は、旧友の置かれた状況に同情した。
 「今さらチームの再建計画に関わりたくはないだろうね。今のセルティックスはボールのソロ・アクト(独り芝居)。タイトルのチャンスのあるチームでプレーしたいはずさ。あと何年も待てるほど彼が辛抱強いとは思えない」

 愛着のあるボストンを離れて、ウォーカーは2006年に初めてのチャンピオンリングを獲得。ピアースもウォーカーのように、リングを求めて他チームへ移る選択肢もあったが、そうすることなく3年間の延長契約にサインした。

「往年のセルティックスとは似ても似つかないかもしれないけれど、俺たちは黄金時代を復活させたいと真剣に思っている。俺たちは頂点に君臨しなければならない。誰もが強いセルティックスの復活を待っているんだ」

 その思いは2年後に報われた。2007−08シーズン、セルティックスはケビン・ガーネット、レイ・アレンという2人のオールスターをトレードで獲得。ピアースとの“ビッグ3”が形成され、レギュラーシーズンは球団記録にあと2勝と迫る66勝をマークした。
  プレーオフでは意外な苦戦を強いられたが、ファイナルではロサンゼルス・レイカーズを4勝2敗で下しリーグ制覇。そして、その一番の立役者こそピアースだった。第1戦ではヒザを負傷しながらも第3クォーターだけで15得点を叩き出す、鬼気迫るパフォーマンスで勝利に貢献。チームトップの平均21.8点をあげ、憧れだったチームを倒してのファイナルMVP受賞という、これ以上ない成果を収めたのだった。

 2016−17シーズンを最後にピアースは引退。一方のウォーカーは2008年にNBAを去ったのち、ギャンブルがらみの犯罪などを起こした末、2010年には自己破産に追い込まれた。現役時代に稼いだ1億ドル以上の資産を蕩尽してしまったのである。金策のため、せっかくのチャンピオンリングも売却せざるを得なくなった。
  そんなウォーカーだが、波瀾万丈の人生が人々の興味を引くからか、近年はメディアに登場することも少なくない。昨年ピアースが「レブロン・ジェームスはリーグ史上ベスト5に入る選手ではない」と語って物議を醸した際も「彼は“レブロンが自分より断然優れている”なんて思っていない。本当にそう信じていると思うよ。あの闘争心の強さを考えたら、全然不思議じゃない」とコメント。ピアースの性格、そして実力を間近で見てきた彼ならではの発言だろう。バスケットボール選手としての立ち位置は全然違ってしまった2人だけれども、若い頃苦楽をともにした仲間としての絆は、今も失われていないのかもしれない。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2006年12月号掲載原稿に加筆・修正。

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