【NBA秘話】“幻”に終わったジョーダンvsマジックの1オン1対決。歴史的ビッグイベントが中止になった理由とは…〈DUNKSHOOT〉

【NBA秘話】“幻”に終わったジョーダンvsマジックの1オン1対決。歴史的ビッグイベントが中止になった理由とは…〈DUNKSHOOT〉

1990年、ジョーダン(左)vsマジック(右)という、当時のリーグを代表するスーパースターが1オン1で直接対決する驚愕のイベントが計画されたが、幻に終わった。(C) Getty Images

NBAを代表するスーパースターが、本気モードの1オン1で戦ったら……。ファンであれば、誰もが想像したことがあるテーマだろう。現役の大物スターが直接対決するそんなイベントが、1990年代に2度計画されたことがあった。そのうちのひとつは、なんとマイケル・ジョーダンvsマジック・ジョンソンという超豪華な顔合わせ。しかし、様々な理由でこの対決は実現しなかった。幻に終わった“歴史的ビッグイベント”の舞台裏に迫る。

■1990年代に実現寸前までこぎつけたスーパースターによる直接対決

 以前、アメリカ代表の選手たちが真剣に1オン1で競い合っている動画を『YouTube』で偶然見て、そのあまりの凄まじさに目が点になったことがある。NBAは世界で最もバスケットボールが上手い男たちの集団なわけだから、凄くて当然なのだが、テレビで試合だけを観ていると、そういった感覚が薄れてしまう。とにかく、異次元の上手さなのだ。

 参加していたのは、ケビン・デュラント、ポール・ジョージ、デビン・ブッカー、ヴィクター・オラティボ、マイルズ・ターナーといった面々。2019年夏に中国で開催されるワールドカップに備え、その1年前のオフに行なわれたラスベガスでのトレーニンキャンプの練習後に、本気モードでの1オン1が始まったのだった。
  これが本当に凄い。世界最高レベルの1オン1だろう。もちろん審判などおらず、身体をぶつけ合い、相手を手で抑え、時にはもろに掴むストリートスタイルでのプレーだが、少々のファウルなどお構いなしに、鬼のようなシュートをいとも簡単に決めてみせる。惚れ惚れする動きとシュートの上手さだ。動画の説明文によると、ドリブルは2回まで。ルールはそれだけ。

 その日の激しい1オン1バトルで、圧倒的な存在感を見せつけていたのがデュラントだった。さすが、あのコビー・ブライアントに“最も手強い1オン1プレーヤー”と言わしめただけのことはある。

 NBAのチームメイト同士が、練習後などにリラックスモードの1オン1をプレーすることはたまにあるようだが、その様子を一般のファンが目にすることはない。もしトップ選手同士による本気の1オン1が見られるなら、ぜひとも見てみたい、そうNBAファンなら間違いなく思うはずだ。なかには、お金を払ってでも見たいと思う人もいるだろう。
  1990年代、そんな夢のようなイベントが2度も計画され、どちらも開催直前までこぎつけている。シャキール・オニール(以下シャック)vsアキーム・オラジュワンと、マイケル・ジョーダンvsマジック・ジョンソンという、目も眩むような顔合わせだ。

 もしそれらが実現し、成功を収めていたら、その後もオフの人気イベントとして、NBAファン垂涎のマッチアップによる1オン1が見られたのではないだろうか。ジョーダンvsコビー、コビーvsアレン・アイバーソン、レブロン・ジェームズvsデュラント……。想像しただけで目眩がしてくる。

 今回は、幻に終わった2つのメガイベントに加え、実現したビッグイベントも一緒に振り返ってみたい。1992年に行なわれた、ジュリアス“ドクターJ”アービングvsカリーム・アブドゥル・ジャバーという、レジェンド中のレジェンドによるいぶし銀の対決。見ようによっては、ジョーダンvsマジック以上のインパクトを持つ顔合わせである。
 〈1992年 ドクターJ vs ジャバー〉
引退したレジェンド2人が1オン1で火花を散らす


 1991年11月7日、マジックはHIV(ヒト免疫不全ウイルス)への感染と現役引退を突然発表し、世界中に衝撃が走った。

 これを受けて計画されたのが、ドクターJvsジャバーの対戦だった。エイズ研究基金へのチャリティの一環であることを宣伝文句に行なわれたが、もちろんビジネスの側面もあった。イベントの正式タイトルは“The Clash of the Legends.(レジェンドたちの激突)”。2人の対戦をメインイベントに据え、その前にトーナメント戦が開催され、ジョージ“アイスマン”ガービンやリック・バリー、ネイト“タイニー”アーチボルド、コニー・ホーキンスら往年の名選手が参加している。

 2時間番組のペイパービュー視聴料は19.95ドル、そのうち約6ドルがエイズ研究基金とマジック・ジョンソン・ファウンデーションに寄付された。ドクターJとジャバーの2人は20年来の友人で、このイベントのアイディアは、ジャバーがフィラデルフィアのドクターJ宅へ食事に招かれた時に思いついたという。

 歴代6位タイとなる20シーズンをNBAで過ごした後、1989年に引退したジャバーはこの時44歳。一方のドクターJはまだ41歳ながら、一足先の1987年に引退している。
  ニュージャージー州のアトランティックシティは、ラスベガスに次いで全米2位の規模を誇るカジノシティだ。マンハッタンから南に車で約2時間半、海沿いに建つタージ・マハールはドナルド・トランプ前大統領が保有していた大型カジノ。そこに併設されたアリーナで、1992年2月28日、世紀の一戦は開催された。

 試合はハーフコートで行なわれ、1クォーター5分の計20分。ゲームが開始されると、先手を取ったのはジャバーだった。サイズのアドバンテージを存分に生かし(ドクターJより18cm高く、26kg重かった)、1stクォーターに11−0と大差をつける。攻めては伝家の宝刀スカイフックが見事に決まり、守っては得意のブロックが炸裂。この日のために、レイカーズの若手センター、ブラデ・ディバッツ(当時24歳)と週3〜4回の練習に励んできたそうだ。

 一方、ドクターJにとっては散々な出だしだった。前半はシュートを27本打って、成功したのはわずか2本、前半終了時のスコアは19−5。

 この日、サプライズでマジックが会場に姿を見せた。ワンサイドゲームに不完全燃焼状態だった観客は、「マジック! マジック!」のチャントを開始。その声に発奮したドクターJは、最終クォーターにようやく反撃に出る。ダンクやブロックを披露する一幕もあったが、時すでに遅し。この日ドクターJのFGは9/44(20.5%)と本調子にはほど遠く、最終スコアは41−23、勝負はジャバーの圧勝に終わった。

 ゲーム終了後、疲労困憊状態だったドクターJは「ジャバーは今からでも現役に復帰できるだろう」と真顔で語ったそうだ。
 〈1995年 シャックvsオラジュワン〉
頂上決戦で惨敗したシャックがリベンジを果たさんとするも…


 1995年のNBAファイナルは、新鋭マジックvs2連覇を狙うベテラン集団の王者ロケッツという盛り上がり必至の構図だった。マジックには人気沸騰中の若手デュオ、シャック&ペニー(アンファニー・ハーダウェイ)が、一方のロケッツにはレギュラーシーズンMVPを獲得したリーグNo.1センター、オラジュワンが君臨し、シャックとオラジュワンによる新旧センター対決は、大きな見どころのひとつとなっていた。

 だが、接戦を期待されたシリーズも、蓋を開けてみると4−0でロケッツのスウィープ勝ちに終わる。個人成績はオラジュワンの平均32.8点、11.5リバウンドに対し、シャックは28.0点、12.5リバウンドと健闘を見せたが、マジックはニック・アンダーソンが初戦でフリースローを4本連続で外すという歴史に残る大ミスを犯し、他のサポーティングキャストも軒並み調子を落とすなど、普段の力をまったく発揮できなかった。
  NBAファイナルという檜舞台では敗北を喫したシャックだったが、オラジュワン個人に対しては、決して引けを取っているとは思わなかった。また、オールスターゲームのウォーミングアップ時、ジョーダンと遊びで1オン1をプレーし、たまたま勝ったことも自信になっており、1オン1ならオラジュワンに負けないと考えていた。

 そんな2人の対決を一大イベントにしようと考えたのが、以前2人のエージェントを務めていたレオナルド・アーマトという人物。スポンサーにタコベル(テックス・メックス料理の大手ファーストフードチェーン)を担ぎ出し、さらにはイベントをプロモートしたのがなんとトランプ前大統領。会場はドクターJvsジャバーの時と同じく、アトランティックシティのタージ・マハールに決まった。

 NBAファイナルが終わってから1か月後、タコベルは大々的にキャンペーンを開始する。イベントの正式名称は“タコベル・1オン1・チャンピオンシップ”。9月30日の夜9時から開始されるゲームはペイパービューでの配信も予定され、視聴料は19.95ドルに設定された。
  勝者には賞金100万ドルが授与され、前座試合にはケビン・ガーネットvsジョー・スミスもしくはニック・ヴァン・エクセルvsケニー・アンダーソンの一戦が組み込まれることになった。ゲームの形式は10ラウンド制。ショットクロック12秒。詳細は不明だが最高6ポイントのプレーも設定されていたという。タコベルはイベントの予告CMを大量に流し、スパイク・リー監督が手掛けたそのCMは、現在『YouTube』で観ることができる。世紀のイベントに向けて、準備は万端だった。

 ところが、イベント前日にオラジュワンが急遽出場辞退を申し出る。理由は“トレーニング中に生じた仙腸関節(骨盤にある関節)の痛み”。緊急事態を脱すべく、主催者側はあらゆる手を尽くした。代役にアロンゾ・モーニングや、苦肉の策としてマグジー・ボーグス(身長160cm)とスパッド・ウェッブ(170cm)のコンビとシャックを戦わせるという案も浮上。

 だが、オラジュワンのキャンセルはあまりにギリギリすぎた。代役の手配がつかず、主催側はイベントの中止という苦渋の選択を採らざるを得なかった。数百万ドルの返金が生じたという。

 CMを『YouTube』にアップしているwasteoflife405というユーチューバーは、掲載動画の説明文にこう書いている。

「この件(オラジュワンのドタキャン)について、私はデイビッド・スターン(当時のNBAコミッショナー)が関与していると想像する」。
 〈1990年 ジョーダン vs マジック〉
リーグ最高選手決定戦はアイザイアの横槍で中止に


 NBAの歴史上、最大級とも言える1オン1の対決である。当時、世界中のバスケットボールファンが最も望んだ対戦カードだろう。

 30歳になったばかりのマジックは、1979年のデビューから11年間で5回の優勝を遂げ、直前の1989−90シーズンに3回目のレギュラーシーズンMVPを獲得したばかり。実績的に、リーグのトッププレーヤーであることに疑問の余地はなかった。一方、26歳のジョーダンはプロ6年目にして4度の得点王や最優秀守備選手賞、レギュラーシーズンMVPなどを獲得し、人気、実力ともリーグの頂点にいたが、最も重要な優勝だけはまだ達成できていなかった。

 イベントの発案者はマジック。現役時代からビジネスマンとしての才覚を発揮していた彼は、思いつくやいなや実行に移し、手練れのプロモーター2人にジョーダンとの交渉やイベントの計画実行を託した。交渉の結果、ジョーダンは参加を承諾し、その他にも様々なことがトントン拍子に決まっていった。

・イベントの正式タイトル:“King of the Court (コートの王)” 
・開催場所:シーザースパレス(ネバダ州ラスベガス) 
・勝者の賞金額:100万ドル 
・試合形式:ハーフ15分、計30分

 ところが、イベントは直前になって急遽取りやめとなる。理由は3つ。

 まず、当時のNBPA(選手会)会長だったアイザイア・トーマスが開催に反対の異を唱えた。ジョーダンが1年目のオールスターで、アイザイアに“フリーズアウト”を食らって以来、ジョーダンはアイザイアを蛇蝎のごとく嫌い、2人は犬猿の仲だった。1990年のプレーオフでも激しいバトルを繰り広げたばかりであり、アイザイアが役職を利用してジョーダンの邪魔立てをしても、何ら不思議はなかった。
  また、NBAにはリーグのトップ選手にこのようなイベントへの参加許可を出した前例がなかった。これを認めれば、“King of the Court”シリーズが拡大し、追従する選手が続出するだけでなく、他の大掛かりなイベントにも選手たちが積極的に参加する可能性が出てくる。それにより、NBAの利益が損なわれる恐れがあった。

 そして、当時のNBAコミッショナー、デイビッド・スターンも難色を示した。リーグの選手が賭けの対象となり、ギャンブルと直接結びつくことを避けたかったからだった。

 実は、ジョーダンの心も揺れ動いていた。イベントが巨大化していくにつれ、お金の匂いに様々な人が群がりはじめ、ジョーダンまでもが単に金儲けのためにプレーすると思われても仕方がなかった。

 1989−90シーズンのジョーダンのサラリーは250万ドル、賞金の100万ドルは決して小さい金額ではない。だが、彼にとってお金はまったく問題ではなかった。ジョーダンはマジック・ジョンソンというリーグを代表するバスケットボールプレーヤーと、本気で1オン1で戦ってみたかった。当時『ESPN』のインタビューで、こんなふうに話している。

「ベストの選手と対戦するのは、昔から楽しいよ。彼にはサイズとフックショットがある。サイズのアドバンテージを生かして、俺をじりじり押し込むこともできるだろう。ただ、クイックネスと身体の強さだったら俺に分があり、武器も俺の方が多く持っている。いずれにしろ、戦略的な戦いになるだろうね。決して甘く見てはいないよ。彼は非常にインテリジェントなバスケットボールプレーヤーだから」。

 また、代理人のデイビッド・フォークには、次のようにこぼしていたという。

「もし俺が勝ったら、人々はこう言うだろう。『それで? あなたは何を期待していたんだ? あれがマイケルじゃないか。彼は1オン1のプレーヤーなんだから勝って当然だよ』。そしてもし俺が負けたら、『だから彼はマジックみたいにタイトルを獲得できないのさ』、となる。このイベントに参加することの意味は、いったい何なんだ?」。

 イベントが中止される直前に発券された、会場への入場券と賭金が記録されたレシートがネット上に残っている。それによると、ラスベガスのブッカーが設定したオッズは1対2.5で、ジョーダン有利と見ていたようだ。

文●大井成義

※『ダンクシュート』2020年11月号掲載原稿に加筆・修正。

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