辿り着いた理想郷すら手放した問題児ウェバー。類い稀な才能が送った“物足りないキャリア”【NBAレジェンド列伝・後編】<DUNKSHOOT>

辿り着いた理想郷すら手放した問題児ウェバー。類い稀な才能が送った“物足りないキャリア”【NBAレジェンド列伝・後編】<DUNKSHOOT>

サクラメントではキャリアの最盛期を過ごしたウェバー。しかしこの“理想郷”も自らの手で手放すことに。(C)Getty Images

■“理想郷”サクラメントでキャリアの最盛期を迎える

 ワシントンに移ってからは、ケガや問題児のイメージがさらに増幅される。2年続けて肩を脱臼するなど、度重なる故障に悩まされただけでなく、1998年にはスピード違反で逮捕された際、車からマリファナが発見された。同年はさらにFILAのツアーでプエルトリコへ渡った際にも、再びマリファナの不法所持で逮捕。FILAから契約を解除されるに至った。

 こうしたトラブルにうんざりしたウィザーズは、1998年にミッチ・リッチモンドとの交換で、ウェバーをサクラメント・キングスへとトレードする。

「トレードというより懲罰だ。シベリアに送られたようなものだからな」

 万年下位に沈むキングス、そして中小都市のサクラメントに追いやられ、ウェバーは落胆の色を隠さなかった。
  だが、サクラメントは再出発を切るのにはうってつけの環境だった。新人の頃は有名人である立場を楽しみ、毎晩のように夜の街に繰り出していた彼も、次第にそうした状況に倦むようになっていた。ナイトスポットが少なく、メディアの注目度も低いサクラメントで、彼はバスケットボールに専念できるようになった。

 移籍1年目は得点こそ平均20.0点と平凡ながら、リーグ最多の13.0リバウンドを奪ってキングスを16年ぶりの勝ち越しに導く。2000−01シーズンは自己最高の平均27.1点をあげ、オールNBA1stチームに選出。シーズン終了後にフリーエージェントとなり、故郷デトロイトへの移籍も噂されたが、キングスと7年1億2300万ドルで再契約を結ぶ。サクラメントへ移って3年、“シベリア”は彼にとっての理想郷となっていた。

 ウェバー以外にもブラデ・ディバッツ、ジェイソン・ウィリアムズ、ペジャ・ストヤコビッチなど個性的な好プレーヤーが揃ったキングスは、2001−02シーズンはリーグ最高の61勝をマーク。プレーオフも順調に勝ち上がり、カンファレンス決勝で前年王者のロサンゼルス・レイカーズと互角の戦いを繰り広げた。
  その第5戦、ウェバーはシリーズ最多となる29得点を叩き出すと、チームも1点差の接戦を制しファイナル進出に王手をかける。しかし続く第6戦を落とすと、最終第7戦もオーバータイムの末に惜敗。第4クォーターとオーバータイムで積極的にシュートを打たず、合計4得点に終わったウェバーに非難は集中した。

 この試合で29得点と絶好調だったマイク・ビビーにボールを回し続けたウェバーの判断が、必ずしも間違っていたとは言えない。もし勝っていたら「チームプレーに徹することが勝利への近道」と信じる彼の姿勢も讃えられていただろう。しかし結果的に敗れたことで、彼のプレースタイルは消極的と批判され、「本当にエースの器なのか」との疑問が投げかけられた。
 ■ヒザのケガで輝きを失い、晩年はチームを転々

 雪辱を期して臨んだ翌2002−03シーズンは、またしても不祥事に水を差されてしまう。ミシガン大時代にNCAA規定に違反して金銭を受け取っていたことが明るみに出て、裁判での偽証も追及された。刑務所入りこそ免れたものの、10万ドルの罰金を言い渡され、大学時代の成績もすべて公式記録から抹消される屈辱を味わうことになる。

 コート上でもプレーオフのカンファレンス準決勝第2戦でヒザを負傷し、以降は出場できず、チームも大黒柱を欠いたことで敗退。2003−04シーズンも最初の50試合を欠場、さらには薬物規定違反と連邦大審院での偽証によって、合計8試合の出場停止を科せられた。

 ここまでトラブルが頻発すると、もはやサクラメントも安住の地ではなくなった。ヒザの手術後は動きも鈍くなり、高額契約に見合う働きができなくなっていたこともあって、2005年2月にはアレン・アイバーソン率いるフィラデルフィア・セブンティシクサーズへのトレードが決まる。

「一度でもファイナルに進出していれば、違う結果になったかもしれない。サクラメントには何の不満もなかったから残念だ」

 そう言い残し、ウェバーはNBAでの故郷を後にした。
  フィラデルフィアではそのアイバーソンとのコンビが不発で、2007年にはデトロイト・ピストンズへ移籍。2008年には和解を果たしていたネルソンから招かれウォリアーズに復帰し、同年限りで引退した。その後は『NBA TV』や『TNT』で解説者として好評を得て、「将来的にはゼネラルマネージャーかオーナーになりたい」との希望も語っていたが、まだ実現はしていない。
  2009年2月、ウェバーの背番号4がキングスの永久欠番となった。

「自分のキャリアにとって最高の栄誉だ。でも、これが2番目の栄誉だったら良かった。優勝という、最大の目標は叶えられなかったからね」

 確かに彼ほどの才能の持ち主なら、少なくとも一度は優勝できていただろう。ウェバーのプレースタイルは非常に洗練されていた一方で、ギラギラした部分に欠けていた。勝利に対して彼がもう少し貪欲であったなら、NBAの歴史は変わっていたのかもしれない。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2012年1月号掲載原稿に加筆・修正。

【PHOTO】オラジュワン、ジョーダン、バークレー、ペニー……NBAの歴史を彩った偉大なレジェンド特集!

関連記事(外部サイト)