「僕は勝てたのに…」悔しさをぶつけた若き日のセナ。84年モナコGPから始まった伝説を巡る【名ドライバー列伝/前編】

「僕は勝てたのに…」悔しさをぶつけた若き日のセナ。84年モナコGPから始まった伝説を巡る【名ドライバー列伝/前編】

数々の偉業を残したセナは84年にF1デビュー。6戦目で初の表彰台に立つも、その表情に満足の色はなかった。(C)Getty Images

モータースポーツファンにとって5月1日は特別な日だ。アイルトン・セナがイモラで天に召された、1994年のあの日から27年の時が過ぎた。

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 くしくも、同じ地で開催された今年のエミリア・ロマーニャGPでは、栄光を分かち合ったホンダのパワーユニットで走るマックス・フェルスタッペン(レッドブル・ホンダ)が優勝。ホンダのイモラでの勝利は、マクラーレンのセナが91年に挙げて以来の出来事だった。

 60年3月21日、ブラジル・サンパウロで生を受けたセナは、レーシングカートで活躍後、81年に渡英。一旦は帰国するが、83年にはイングランド期待の星、マーティン・ブランドルを下してイギリスF3選手権を制覇。全20戦中12勝は当時の最多記録だった。

 その実績を掲げ、84年に中堅チームのトールマン・ハートからF1デビュー。早くも第2戦の南アフリカGPで6位に入賞した。この年、新人ながら3度の表彰台に立つが、やはりハイライトは大雨の中で行なわれた第6戦のモナコGPだろう。
  13番手からスタートしたセナは、歴戦のドライバーが濡れた路面に足をすくわれるのを横目に、ファステストラップを刻みながらアラン・プロスト(当時マクラーレン・TAGポルシェ)を猛追した。

 首位を走るプロストのアピールもあり、32周目の終わりにレース終了を告げる赤旗が振られたが、直後にセナはスピードを緩めたマクラーレンをオーバーテイク。レッドブラッグ前の順位が結果に反映される規定のため、優勝こそ逃すも、後に代名詞のひとつとなる“雨のセナ”を強く印象付けた。

 多くの関係者は黄色いヘルメットを被るルーキーの走りに驚嘆したが、さらに驚かされたのは、初めての2位表彰台なのに嬉しい素振りを全く見せず、「僕は勝てたのに……」と悔しがる様子だったという。

 後年、“Being second is to be the first of the ones who lose.(2位になるということは、つまり敗者の中で1位ということだ)”と自身のレース哲学を語ったが、その心境だったに違いない。

 レースの75%を消化していなかったことから通常の半分しかポイントが与えられず、4.5点のみに終わったプロストは、結果的にチームメイトのニキ・ラウダに0.5ポイント差でタイトルを譲ることになるが、“宿敵セナ”とのストーリーは、この時から始まった。
  85年に名門ロータスに移籍すると第2戦ポルトガルGPで初のポールポジション。豪雨に見舞われた決勝ではミケーレ・アルボレート(フェラーリ)に1分以上の大差をつけ、初優勝を飾った。再び雨にたたられた第13戦ベルギーGPで2勝目を挙げた。

 続く86年にはドライコンディションのスペインGP、デトロイトGPでも勝者に。この2年間で15回ポールポジションを獲得し、「一発の速さならセナ」という評価を確たるものとする。

 ブラジルが誇る不世出の英雄は、史上最多(当時)となる通算65回のポールポジションを獲得している。現在はルイス・ハミルトン、ミハエル・シューマッハに次ぐ3番目の記録だが、獲得率は40.1%と、ハミルトンの36.9%、シューマッハの22.1%を上回る。

 ファン・マヌエル・ファンジオの55.8%、ジム・クラークの45.2%、アルベルト・アスカリの42.4%と上には上がいるものの、少なくとも近代F1において、予選の速さでは傑出した存在だったのは間違いない。
  今でこそ、優勝回数41回、チャンピオン獲得回数3回と、そこまで目を引かない数字となってしまっているが、セナは記録だけでなく、記憶にも残るドライバーだった。

 現在のF1マシンは以前に比べて大きく重くなり、また洗練された制御により、ドライバーの卓越した技術が伝わりにくくなっている。しかし、ブラウン管越しに見える細かなマシンの挙動からは何かしら強く訴えかけるものがあるように不思議と感じられた。

 しかし、エゴイスティックなまでに勝利を追い求める若き日のセナは、速さだけでは飽き足らなかった。その頃、ウィリアムズとタッグを組んでターボ時代のF1を席巻していたホンダの総監督、桜井淑敏に自らも直接働きかけ、87年にロータスはホンダ・エンジンを獲得する。

 まだ完成度の低かったアクティブ・サスペンションを搭載した99Tを駆り、モナコ、デトロイトの市街地レース2戦を制し、ウィリアムズ勢に次ぐランキング3位。次代のチャンピオン候補筆頭に躍り出た。

 その年のイタリアGPでホンダは、翌88年よりマクラーレンにエンジンを供給すると発表。セナが“ジョイント・ナンバーワン”体制でプロストのチームメイトになることも明らかにされた。ロータスで萌芽しつつあったセナとホンダとの黄金時代は、まさに花開きつつあった。

文●甘利隆
著者プロフィール/東京造形大学デザイン科卒業。都内デザイン事務所、『サイクルサウンズ』編集部、広告代理店等を経てフリーランス。Twitter:ama_super

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