“ファブ・ファイブ”のウェバー、初優勝メンバーのライス、名ドリブラーのクロフォード… ミシガン大の最強メンバーを選定!<DUNKSHOOT>

“ファブ・ファイブ”のウェバー、初優勝メンバーのライス、名ドリブラーのクロフォード… ミシガン大の最強メンバーを選定!<DUNKSHOOT>

ウェバー(右)、ライス(左上)、クロフォード(左下)らを輩出したミシガン大のベストメンバーは?(C)Getty Images

1910年に創設され、NBA(1946年)より古い歴史を持つNCAA(全米大学体育協会)。そこでの活躍はプロを目指す若手選手たちにとってNBA入りの“王道ルート”であり、時代を問わず何人ものスーパースターを送り出してきた。

 では、カレッジとNBAで実績を残した選手を対象に、大学別に最強メンバーを選出した場合、どんな顔ぶれになるのか。『THE DIGEST』では、双方に精通する識者に依頼し、各大学のベストメンバーを選んだ。

 第6回は90年代初頭にカレッジ史上最強の1年生クインテット、通称“ファブ・ファイブ”で一世を風靡したミシガン大編をお届け。クリス・ウェバーやグレン・ライスといったレジェンド、現役ではキャリス・ルバート、ティム・ハーダウェイJr.らを輩出したミシガンの最強メンバーとは——。
 【ポイントガード】
リッキー・グリーン

1954年8月18日生。183cm・77kg
カレッジ成績:60試合、平均19.7点、3.3リバウンド、4.2アシスト
NBA成績:946試合、平均9.4点、1.9リバウンド、5.5アシスト

 76年にミシガンが10年ぶりのNCAAトーナメント決勝を戦った際の主力メンバー。77年の大学最優秀選手投票では、UCLAのマーケス・ジョンソンに次いで2位だった。

 同年のドラフト1巡目16位でゴールデンステイト・ウォリアーズに入団、マイナーリーグで苦労した時期もあったが、80-81シーズンにユタ・ジャズ入りしてからは実力を発揮。当時のNBAで最も足の速い選手の一人で、82-83シーズンにはリーグ3位の平均8.9アシスト、同2位の2.8スティール。翌年の2.7スティールは1位で、本数は83、84年に2年連続1位と極めて優秀なディフェンダーだった。84-85シーズンにジャズに入団したジョン・ストックトンが、3年間控えにとどめ置かれたのもグリーンがいたからだった。

 通算5221アシスト、1348スティールはどちらもミシガン大出身のNBA選手ではナンバー1。また88年1月25日には、リーグ誕生後通算500万点目となる超ロングシュートを命中させている。
 【シューティングガード】
ジェイレン・ローズ

1973年1月30日生。203cm・95kg
カレッジ成績:102試合、平均17.5点、4.7リバウンド、3.9アシスト
NBA成績:923試合、平均14.3点、3.5リバウンド、3.8アシスト

 大学時代は身長203センチながら大型PGとして活躍、プロではSFでプレーする機会が多かったが、ここではその中間のSGとして選出した。
 
 91年に入学すると、同学年のクリス・ウェバー、ジュワン・ハワード、ジミー・キング、レイ・ジャクソンとともに、全員1年生の”ファブ・ファイブ”として大学バスケット界を席巻。2年続けてNCAAトーナメント決勝に進んだが準優勝どまり、また学生の不正勧誘がのちに発覚して当時の記録がすべて剥奪になった。

 94年にドラフト13位でデンバー・ナゲッツに入団したが、当初はなかなか成績が伸びず、インディアナ・ペイサーズへ移籍した後に得点力が開花。99-2000シーズンにMIPを受賞すると、翌01年から3年連続平均20点以上、シカゴ・ブルズ時代の03年に自己最多の22.1点を記録した。引退後は解説者となり、歯に衣着せぬ物言いが人気を博している。実父(育ての親は別人)のジミー・ウォーカーもオールスター2度選出の好選手だった。
 【スモールフォワード】
グレン・ライス

1967年5月28日生。201cm・98kg
カレッジ成績:134試合、平均18.2点、6.4リバウンド、2.0アシスト
NBA成績:1000試合、平均18.3点、4.4リバウンド、2.1アシスト

 ウェバーが登場する前は、ミシガン大OBの出世頭がライスだった。89年の全国制覇時にはトーナメント新記録の184得点。さらに年間949得点、通算2442得点も学校記録として残っている。

 同年のドラフト4位でマイアミ・ヒートに入団、新興チームの看板として活躍を続け、95-96シーズンにアロンゾ・モーニングの交換要員としてシャーロット・ホーネッツへ移ると、同年から3年連続オールスターに出場。97年の大会ではチーム最多の26得点でМVPに輝いた。この年はリーグ1位の3ポイント成功率47.0%、平均26.8点も自己最多とあらゆる点でキャリアイヤーになった。

 98-99シーズンの途中にロサンゼルス・レイカーズへ移り、2000年には優勝を経験したが、故障も多くなってジャーニーマン化。通算出場数はちょうど1000試合だった。SFには他にも、ミシガン史上屈指の人気選手で66年ドラフト1位のキャジー・ラッセル、クリーブランド・キャバリアーズなどで活躍したキャンピー・ラッセルもいた。
 【パワーフォワード】
ルディ・トムジャノビッチ

1948年11月24日生。203cm・98kg
カレッジ成績:72試合、平均25.1点、14.4リバウンド
NBA成績:768試合、平均17.4点、8.1リバウンド、2.0アシスト

 90年代のファンにはヒューストン・ロケッツ2連覇時のヘッドコーチとして、それ以前のファンには乱闘で顔面を破壊されたことで有名だが、”ルディT”は選手としても優秀だった。

 大学4年間の通算1039リバウンド、平均14.4本、さらには1試合48得点も学校記録だが、ミシガン大の低迷期だったためNCAAトーナメントには一度も出られなかった。70年ドラフト全体2位で、当時はサンディエゴに本拠を置いていたロケッツに入団すると、次第に力をつけ4年目からは4年連続でオールスターに出場。73-74シーズンに自己最高の平均24.4点(リーグ6位)をマークした。

 だが、77年12月9日のレイカーズ戦で、乱闘を制止しようとしてカーミット・ワシントンのパンチをまともに食らい昏倒。「道路にメロンが落ちて割れたような音がした」(カリーム・アブドゥル・ジャバー談)ほどの衝撃で、残りのシーズンは欠場せざるを得なかったが、翌年は見事オールスターに返り咲いた。
 【センター】
クリス・ウェバー

1973年3月1日生。206cm・111kg
カレッジ成績:70試合、平均17.4点、10.0リバウンド、2.4アシスト
NBA成績:831試合、平均20.7点、9.8リバウンド、4.2アシスト

 驚異の1年生チーム“ファブ・ファイブ”の主軸として、92、93年に2年続けてNCAAトーナメントを戦いながら、いずれも決勝で敗退。特に93年は勝負所ですでに使い切っていたタイムアウトを要求、テクニカルファウルを宣告される凡ミスを犯してしまい戦犯扱いされた。

 同年のドラフト1位でNBA入りし、ウォリアーズで新人王を受賞。ワシントン・ブレッツ(現ウィザーズ)を経てサクラメント・キングスへ移った98-99シーズン、13.0リバウンドで1位になると、同年から5年連続で平均20点、10リバウンド以上。ビッグマン(ベストポジションはPF)としては破格のパスセンスも披露し、2001年にはオールNBA1stチームに選出された。

 この頃はシャキール・オニールとコビー・ブライアントを擁するレイカーズとも何度も死闘を繰り広げたが、審判の疑わしい判定に加え、自身のエースらしくない積極性を欠くプレーも徒となり、ファイナル進出を果たせずに終わった。
 【シックスマン】
ジャマール・クロフォード

1980年3月20日生。196cm・84kg
カレッジ成績:17試合、平均16.6点、2.8リバウンド、4.5アシスト
NBA成績:1327試合、平均14.6点、2.2リバウンド、3.4アシスト

 ミシガン大OBのNBAでの通算最多得点は、ライスでもウェバーでもなく、このクロフォードが記録保持者だ(1万9419点)。シアトルのプレーグラウンドからミシガン大へ進学し、2000年ドラフト8位でキャバリアーズが指名、すぐブルズへトレードされた。

 さほど確率が高くないにもかかわらず、強気にシュートを打ちまくる姿勢が批判されたこともあったが、09-10シーズンにアトランタ・ホークスへ移籍し、先発から控えに回ったのが大成功。多彩なドリブラーはベンチの起爆剤がハマり役となって、同年とロサンゼルス・クリッパーズ時代の14、16年の合計3回シックスマン賞を受賞した。
  プロ3年目から16年連続で平均得点は2桁、フェニックス・サンズ時代の19年4月9日にはベンチ出場で51得点。このとき39歳で史上最年長の50点、かつ史上初となる4球団で50点をあげた選手にもなった。これが現役最後の試合となる可能性もあったが、翌年もブルックリン・ネッツで1試合だけ出場している。

文●出野哲也

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