ミラクルショットで“NYの気温を上げた”ジョンソン。荒くれ者から真のリーダーになった男の物語【レジェンド列伝・後編】<DUNKSHOOT>

ミラクルショットで“NYの気温を上げた”ジョンソン。荒くれ者から真のリーダーになった男の物語【レジェンド列伝・後編】<DUNKSHOOT>

1996年のニックス加入後は成績が下降。それでも99年のカンファレンス決勝では劇的な4ポイントプレーを成功させ、ファイナル進出の立役者となった。(C)Getty Images

ジョンソンとアロンゾ・モーニングという未来のスター候補を加えたホーネッツは“フューチャーブルズ”と呼ばれ、将来を嘱望されていたが、両者はやがて反目し合うようになる。

 ジョンソンはモーニングが自己中心的だと感じ、モーニングの目にはジョンソンが親分風を吹かしすぎると映っていた。お互いに「ホーネッツの中心選手は自分だ」というプライドもあった。

 1993年10月にはジョンソンが12年8400万ドルという、チームスポーツ史上最高額の契約を交わしたことで、モーニングとの契約延長が困難となってしまった。

 高額すぎると批判を浴びた契約を正当化すべく、気合いを入れてジョンソンは93-94シーズンに臨んだが、12月の試合で背中を強打する。オフの間に手術した椎間板の痛みが悪化し、彼のジャンプ力は以前の高さを失ってしまった。ジョンソンが31試合を欠場したこの年、ホーネッツはプレーオフにすら進めなかった。

 それでも94年の世界選手権では「ドリームチーム2」の一員として金メダルを手にし、94-95シーズンも81試合に出場した。ケガでインサイドでのプレーが難しくなった分、3ポイントの精度を高めて平均18.8点とまずまずの数字を残し、2度目のオールスター出場も果たした。
  95-96シーズン開幕直前にはモーニングがマイアミ・ヒートへトレードされ、ホーネッツはジョンソンのチームとなるはずだったが、シーズン終了後にはアンソニー・メイソン、ブラッド・ローハウスとの交換で、彼自身がニューヨーク・ニックスへトレードされた。

 ニックスにはパトリック・ユーイングやアラン・ヒューストンなど得点源が何人もいたため、ジョンソンの得点は前年の20.5点から12.8点にまで下がった。それでも彼の貢献度は数字以上のものがあったと、チームメイトたちは証言している。

「その気になれば20点や30点は楽に稼げただろう。でも彼は自分の得点はどうでもよかった。真のチームプレーヤーさ。背中の具合が良くなくても、一度だって練習を休まなかった」(ハーブ・ウィリアムズ)。「まさしくリーダーだった。練習には真っ先に来て、最後まで残る。コートにいない時は必ずウェイトトレーニングをやっていた。自分だけでなく、チームメイトの動きもすべて把握していた。俺が選手として成長したのも、ラリーを見習ったからなんだ」(カート・トーマス)
  ニックスのヘッドコーチだったパット・ライリーがヒートに移って以来、両チームは仇同士となっていた。ジョンソンにとって、モーニングのいるヒートは特に負けたくない相手だった。97-98シーズンのプレーオフ1回戦、両者は再び顔を合わせ、ニックスの1勝2敗で迎えた第4戦に事件は起こった。

 この試合、ジョンソンは執拗にモーニングをマークし、苛立たせ続けていた。そして試合終了間際、理性を失ったモーニングが殴りかかり、乱闘が始まった。両者とも、最終第5戦は出場停止(当時のファーストラウンドは3勝先取)。もちろんダメージが大きかったのは、チームの柱を失ったヒートのほうだった。ニックスがシリーズを制したのは、モーニングの短気な性格に付け込んで出場停止に追いやったジョンソンのおかげだった。

 翌98-99シーズンのプレーオフではジョンソンは実際のプレーで大活躍する。インディアナ・ペイサーズとのカンファレンス決勝第3戦、残り11.9秒の時点で3ポイントを沈めたばかりか、ファウルまでもらって4ポイントプレーを完成させたのだ。「ニューヨーク市の気温が数度上がった」と言われたほどのミラクルショットで逆転勝ちしたニックスは、シリーズも制して史上初となる第8シードからのファイナル進出を成し遂げた。
  ただ、サンアントニオ・スパーズとのNBAファイナルではジョンソンはティム・ダンカンとのマッチアップに苦戦し、いいところなく終わった。背中の痛みも感知することはなく、2001年、32歳の若さでジョンソンは引退を決意した。

 故郷のダラスに戻ったジョンソンは、UNLVに復学して学位を取った。高校の指導者になるのが目標で、そのための資格が必要だったからだ。現役時代にあれほど悩まされた背中の痛みは「引退した途端に治っちゃったよ」と笑う。「生まれ育った地区に、子どもたちのためのコンベンションセンターを建設する」という大きな夢もついに叶えた。

「ケガさえなければ、史上最高の選手の1人だっただろうね。彼のプレーには穴がなかったから」ホーネッツ時代のチームメイトだったケンドール・ギルは、中途半端に終わったジョンソンのキャリアを惜しむ。確かに、その素質に見合う成績は残せなかった。だが今のジョンソンは、過ぎ去った時間を悔やむ必要もないほど、意義ある人生を送っているようだ。

文●出野哲也
※『ダンクシュート』2009年11月号掲載原稿に加筆・修正

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