渋野日向子にとって“五輪落選”はマイナスなのか?試行錯誤を重ねた22歳が目指すものとは

渋野日向子にとって“五輪落選”はマイナスなのか?試行錯誤を重ねた22歳が目指すものとは

東京五輪出場が叶わなかった渋野。米ツアー予選に向け挑戦し続けている。(C)Getty Images

渋野日向子にとって、東京五輪出場に向けてラストチャンスとなった『KPGM全米女子プロ』。日本代表に選ばれるためには、世界ランキングで畑岡奈紗に次ぐ日本選手2番手の座を奪うことが必須条件だった。幸いにも『KPGM全米女子プロ』はメジャー競技のため、通常の試合よりも得られるポイントが高く、5位以内に入れば渋野よりも上位にいた稲見萌音、古江彩佳を逆転するチャンスがあった。しかし、結果は40位タイに終わり、東京五輪の出場権を手にすることはできなかった。

 ただ、渋野にとって今回の東京五輪出場にはどれだけの意味があったのだろうか。確かに一時は五輪出場へ意欲を見せる発言をしていたが、最近はほとんど聞かなくなっていた。1年延期されたことで、渋野の優先順位が五輪出場よりも米ツアーの出場権へと変わっていったからだ。

 実際、昨年の夏場以降、渋野は自分のゴルフに対して試行錯誤を繰り返している。それが年末の『全米女子オープン』4位という結果に結びついたが、そこから更なるスイング改造を始め、今季に臨んでいた。残念ながらここまでは大きな成果を得られてはいないが、渋野なりの考えがあっての試行錯誤なのだろう。仮に五輪出場を目指していたなら、そこまで大きく変える必要もなかったはずだ。

 目先の結果にこだわらず、かなり先までのことを考えたからこそ、大きなスイング改造に踏み切り、4月から3か月間、米ツアーで戦う選択をした。そこには12月に行なわれる米ツアー予選会突破が目標であり、五輪出場へのこだわりはなかったというのが本心だろう。であれば、むしろ中途半端な状態で五輪の出場権を得られなくてよかったのではないだろうか。
 『KPGM全米女子プロ』では最終日に6バーディ、1ボギーの67をマークし、渋野自身も手応えを感じていた。フェアウェイを外したのも、パーオンを逃したのもわずかに1度ずつしかない。「3か月の遠征最後のラウンドだったし、攻めていく気持ちを最後まで貫けたのはすごくよかったと思います」と、ホールアウト後に笑顔を見せていたが、順位的にもプレッシャーを感じる位置ではなかったこともあり、いい意味で開き直れたように感じた。

 終わりよければではないが、メジャーの舞台でたとえ1日でも67を出せたことは今の渋野にとって大きな自信となるだろう。スイング改造を始めとする試行錯誤が間違っていなかったと思えるからだ。このまま自分の考えどおりに突き進めばいいと迷わずに済む。

 しかし、仮に五輪出場が決まっていたなら、渋野の性格上、そこで結果を出さなければいけないと思うはず。この3か月間で苦労しながらも得た経験を活かせればいいが、結果を残せなかった場合は相当なダメージを受けることになる。12月の予選会突破を目指すなら、今回の五輪落選はプラスだと考えられないだろうか。
  五輪に出場したいなら次回のパリ五輪もある。それまでに米ツアーメンバーとして、どんどん経験を積んでいけばいい。もちろん、稲見や古江のように成長した若手が何人も現れ、渋野の行く手を阻むかもしれない。

 しかし、逆に渋野が力をつけてメジャーの優勝回数が増えている可能性だってある。低年齢化が激しいゴルフ界といえども、渋野だってまだ22歳であり、パリ五輪を迎えるときでも25歳にすぎない。20歳でメジャーチャンピオンとなったことで誤解されがちだが、ゴルファーとしての円熟期はこれから迎えるのだ。
  どんなに好調な選手でも必ず、結果を出せない時期は何度もある。あのタイガー・ウッズでさえ世界ランキング674位にまで落ちた経験を持つ。渋野のポテンシャルが高いのは誰もが認めているだけに、あとは渋野自身がそれをどこまで引き出していけるかが課題だ。そのための試行錯誤であり、米ツアー挑戦だったのではないか。大きな目標を成し遂げる過程において、今回の五輪落選にはマイナス要素が一切なかったと言える日がくることを信じたい。

文●山西英希

著者プロフィール/平成元年、出版社に入社し、ゴルフ雑誌編集部所属となる。主にレッスン、観戦記などのトーナメントの取材を担当。2000年に独立し、米PGAツアー、2007年から再び国内男子、女子ツアーを中心に取材する。現在はゴルフ雑誌、ネットを中心に寄稿する。

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